第68話:それでは、決算を申し上げますわ 〜筆頭の追徴〜
王室評議会の広間で、公開の査問が、開かれましたわ。
四十九話の王前会計検査は、陛下の御前でしたの。今度は、評議会ですわ。……あの方に勲章を差し上げた側の、皆様の前ですのよ。
傍聴の席に、六人が、並んでおられましたわ。
ジョゼフ翁。パン屋の女将。ハンスさん。マルタさん。マチルダ院長。トマ。
六人とも、いちばん良い服で、いらしておりましたの。ジョゼフ翁の上着だけ、四十年ものでしたけれど。
グリム様は、証人席に、お一人で、座っておられましたわ。背は、丸うございましたの。いつもと、同じですわ。
「それでは、決算を申し上げますわ」
私、扇を、閉じましたの。
「第一。三十一年前の七の月から、先月の末日まで。全国四十一家からの月末の送金について。組合の帳面十七冊、市井の帳面のべ二千四百十七件、書庫の一冊——三つが、一日も違わずに、一致いたしますわ」
「第二。この送金を原資とする貸付の、元本総額。……一千百万クローネですの」
広間が、揺れましたわ。四十九話の二百四十万クローネで、皆様、驚いておられましたもの。
平民の年収の、三十六万年分ですわ。
「第三。貸付の相手方。王国の叙爵家、百四十一家のうち——」
私、そこで、一度、息を、置きましたの。
「八十九家ですわ」
広間が、今度は、静まりましたの。……ええ。
この席に座っておられます方々の、半分以上ですもの。
「第四。直近の三月分の受領は、時効の外にございますわ。受領者は、証人席の方ですの。九万二千クローネ。これが、立件されます分ですわ」
「第五」
私、書面を、めくりましたわ。
「被監査者、ヴァルター・グリム様の、資産を申し上げますの」
評議会の皆様が、身を、乗り出されましたわ。一千百万を動かした方の、私財ですもの。
「土地、ございませんわ。家屋、借家ですの。預金、四百二十クローネ。年金の、二月分ですわ」
誰も、口を、開きませんでしたの。
「調度、机一つ、書棚二つ、椅子三脚。……猫が、一匹」
私、顔を、上げましたわ。
「以上ですわ」
三十一年、一千百万クローネを動かして。この方は、一クローネも、お取りになりませんでしたのよ。
六十一話で伺いましたわね。北の三郡が飢えないために、始めましたの。
……ですから、追徴が、できませんわ。没収するものが、ございませんもの。
この方を、金では、裁けませんのよ。
「グリム様。一つだけ、伺わせてくださいませ」
「どうぞ」
「六十七話で、拝見いたしました。最後の頁の次に、白紙が一枚。こう書いてございましたわね」
私、その一行を、読み上げましたの。
『三十一年、一度も、間違えなかった』
「ええ。そのとおりですわ。あの帳面には、誤記が一つもございませんの。私、監査官として、申し上げますわ。……見事なお仕事ですわ」
グリム様は、少しだけ、目を、細められましたの。
「ですけれど、グリム様」
私、扇を、開きましたわ。
「間違えなかったのは、帳面の中だけですのよ」
「三十一年前の七の月。北部三郡の凶作の分、四百クローネ。これは、正しい行ですわ」
「五年目の、伯爵家への貸付。屋敷を建てるための、二千クローネ。……これも、額は、正しく書いてございますの」
「グリム様。この二つの行の間に、何が、ございましたの」
グリム様は、答えられませんでしたわ。
「飢える村を助ける帳面が、屋敷を建てる帳面に、変わりましたのよ。三十一年の、どこかで。……その日付が、どの頁にも、ございませんわ」
私、書面を、置きましたの。
「あなた様は、三十一年、一つも、間違えませんでしたわ。ただ、一行だけ、お書きにならなかったのですの」
「……」
「数字で嘘を吐くのに、間違える必要は、ございませんのよ。書かなければ、それで足りますわ」
グリム様の、膝の上の手が、動きましたの。三十三話から、ずっと、猫を撫でていらした手ですわ。
「……お嬢さん」
「はい」
「それは、私が、教本に、書いたことだよ」
「存じておりますわ」
私、扇を、閉じましたの。
「ですから、申し上げましたのよ」
「それでは、追徴を、申し上げますわ」
私、最後の一枚を、めくりましたの。
「金銭による追徴は、ございませんわ。没収すべき資産が、ございませんもの」
評議会が、ざわめきましたわ。
「代わりに、三点、求めますの」
「一つ。監査規程の起草者署名を、削除いたしますわ。第一条以下は、そのまま残しますの。条文は、正しゅうございますもの。……ただ、これは、もう、あなた様のものでは、ございませんわ。王国のものですの」
「二つ。『監査官必携』を、絶版といたしますわ。改訂して、配り直しますの。編著者の欄は、空けておきますわ。……次に埋めるのは、この本を、誰かのものにしない誰かですのよ」
グリム様は、何も、仰いませんでしたわ。背筋だけ、少し、伸びましたの。
「三つ」
私、その綴りを、机の上に、置きましたわ。表紙に、『監査規程 製本見本(不良)』とございます、あの一冊ですの。
「この帳面を、公開いたしますわ」
グリム様が、初めて、顔を、上げられましたの。
「……なんと」
「監査庁の書庫に、綴じますわ。『監査規程・別冊』として。誰でも、閲覧できますの。写しも、取れますわ。地方の会計吏にも、配りますのよ」
「お嬢さん」
「三十一年分の、完璧な帳面ですもの。教材として、これ以上のものは、ございませんわ。……若い監査官が、これを読んで、覚えますのよ。灰色は、どう書かれるのか。どこまで正しく、どこから間違うのか」
私、扇を、開きましたわ。
「六十一話で、仰いましたわね。帳簿とは、隠すために発明されたのだ、と」
グリム様の、白い髭が、震えましたの。
「では、隠せなくして差し上げますわ」
しばらく、誰も、口を、きかれませんでしたわ。やがて、グリム様が、ゆっくりと、立ち上がられましたの。
七十の方には、重い動きでしたわ。
「……三十一年、誰にも、見せなかった」
「存じておりますわ」
「一度も」
「ええ」
「あれは、私の、仕事だった」
その声が、初めて、揺れましたの。
三十三話の林檎のお茶のときも、六十一話でお認めになったときも、揺れませんでしたのよ。
……仕事を、取り上げられたときだけ、揺れますのね。この方も、私と、同じですわ。
裁可が、下りましたわ。
三点、すべて。加えて、直近三月分の受領について、有罪ですの。年齢を考慮して、王都の外への居住制限と、年金の停止。
監査官の栄誉は、剥奪されましたわ。……ずいぶん、軽い刑ですのよ。
軽くて、けっこうですわ。この方から取り上げるべきものは、自由でも、お金でもございませんもの。
広間を出るとき、グリム様が、私の横で、足を、止められましたの。
「お嬢さん」
「はい」
「オーギュストは」
私、立ち止まりましたわ。
「あの男は、三十一年前、私に、こう言った」
グリム様は、前を、御覧になったまま、仰いましたの。
「『ヴァルター。二冊目を作るなら、いつか、一冊目に戻せるようにしておけ』と」
……お祖父様。
「私は、戻さなかった」
それだけ、仰って、行かれましたわ。傍聴席の六人が、立ち上がって、私を、見ておられましたの。
ジョゼフ翁が、しわだらけの手を、上げられましたわ。……いつまでも、下ろされませんの。
私、扇で、顔を、隠しましたわ。隠しても、無駄でしたけれど。
——第8章・完——
第8章「監査官を監査する」、これにて締めですわ。中間の目標、祖父の仇ですの。
一千百万クローネを三十一年動かして、この方の私財は四百二十クローネと、猫が一匹。金では、裁けませんのよ。
ですから、三つ求めましたわ。起草者署名の削除。教本の絶版と改訂。そして——三十一年分の完璧な帳面を、書庫に綴じて、誰でも読めるようにいたしますの。
「帳簿とは、隠すために発明されたのだ」と仰いましたわね。では、隠せなくして差し上げますわ。
そして最後に、祖父の言葉。『二冊目を作るなら、いつか、一冊目に戻せるようにしておけ』。
……ですけれど、まだ、終わっておりませんのよ。債務者は、叙爵家百四十一家のうち、八十九家ですわ。全部潰せば、王国が、潰れますの。
次の第9章は、「最終決算」。いよいよ、最後の章ですわ。
ブックマークと評価が、ここまで書き切るための軍資金ですの。どうぞよろしくお願いいたしますわ。




