第62話:私の手は、あの方の字で、できておりましたの
組合の帳面から、上納した家を、辿りましたわ。三十一年分、十七冊。換字表で読めますもの。北部三郡から始まって、南の港、王都の商会、教会、貴族家。
全部、名前が、出ましたわ。
二十日かけて、四十一家、立てましたの。……四十一家とも、追徴が、立ちませんでしたわ。
「監査官殿。これも、時効です」
セドリック様が、条文を、指で、押さえておられましたの。
「規程第三十一条。追徴の請求権は、当該会計年度の終了から二十年で消滅する。……三十一年前の記録は、十一年ぶん、届きません」
「では、この十年分は」
「立ちます。ただし」
セドリック様は、そこで、口を、閉じられましたわ。
「……ただし、五十九話で申し上げた申立てが通れば、その十年分の追徴も、無効になります」
私、机に、両手を、置きましたの。……先に、塞がれておりますのね。
証拠の連鎖で押す。三十一年の帳面を、家ごとに割る。数で押す。
六十一話で、あの方が仰ったとおりの手を、私、二十日かけて、打ちましたのよ。打ち終わってから、気がつきましたわ。
時効の二十年も、追徴請求権の条文も、あの方が、お書きになりましたの。二十二日目に、もう一つ、参りましたわ。
王室評議会からの、通知ですの。
『申立ての審査中、特別監査官ロザリンド・ファルケンラートの新規案件の起票を、停止する』
……ええ。
これも、規程どおりですわ。第十九条。適法性に疑義のある監査官の職務は、審査中、制限されますの。
私、書きかけの起票書を、引き出しに、しまいましたわ。その晩、私、執務室で、一人で、『監査官必携』を、開いておりましたの。
六十一話で、いただいた本ですわ。
最初から、読み直しましたのよ。監査官の心得。帳簿の見方。違和感の記録。手続の厳格性。証言の扱い。証拠の連鎖。査問の様式。
……全部、私が、やってきたことですわ。
七話の子爵の追徴も、十四話の現行犯も、三十一話の査問も、四十九話の御前も。この本の、順番どおりですのよ。
私、自分が、上手だと思っておりましたわ。監査官の性が、ざわめくのだと。数字の裏を見る眼があるのだと。祖父の血だと。
……違いましたのね。私、上手に、読めただけですの。
この方の書いた本を。
扉が、開きましたわ。フィーと、セドリック様でしたの。
二人とも、何も仰いませんでしたわ。フィーは、算盤を抱えて、私の向かいに座って、それきり、動きませんでしたの。
セドリック様は、条文を持ってきて、机の端で、めくり始められましたわ。
……何を探していらっしゃるのか、御自分でも、お分かりではございませんのね。私も、同じですもの。
「ロザリンド様」
「なあに」
「……あの、わたし、ひとつだけ、思ったんですけど」
フィーは、算盤の珠を、いじりながら、申しましたわ。
「あの本、灯台のおじいさんの日誌の読み方、書いてありますか」
私、頁を、繰る手を、止めましたの。
殿下が、いらしたのは、夜半でしたわ。
執務室の入口に、立って、私を、御覧になりましたの。
私、たぶん、ひどい顔をしておりましたわ。
「ロザリンド」
「……はい」
「その本は、なんだ」
「監査の、教本ですわ。あの方が、お書きになりましたの」
「読めん」
「ええ。殿下は、帳簿を、お読みになれませんもの」
殿下は、机の前まで、来られましたの。それから、その本を、一度、手に取って、ぱらぱらと、めくられましたわ。
本当に、読めていらっしゃいませんわ。頁の向きが、逆ですもの。
「ロザリンド」
「はい」
「俺は、帳簿は読めん」
五話でも、二話でも、伺いましたわ。
「だが、君が読めるかどうかは、分かる」
私、顔を、上げましたの。
「五話で、俺は、君を庇わなかったな。監査結果で黙らせろと言った。……君が、それをできる人間だと、知っていたからだ」
「殿下」
「いまも、そうだ」
殿下は、本を、机に、戻されましたわ。
「その本を書いた男は、君の手を、知っている。……だが、君の目までは、書いていない」
私、その晩、眠れませんでしたの。夜明け前に、机の引き出しを、開けましたわ。
一年分の、監査調書の控えが、入っておりますのよ。一枚ずつ、めくりましたわ。
様式は、あの方のものですの。月、区、相手方、額。額の下に、線。
……ですけれど。
七話の調書の、余白に、私、こう書いておりましたわ。
『塩の樽の匂い。港の樽と、違う』
十三話の余白には。
『灯台守の日誌。雨の日だけ、字が大きい』
三十話には。
『パンが、足りない。数ではなく、腹が』
……これは。
教本の、どこにも、ございませんわ。
時効も、審査中の職務停止も、全部、あの方がお書きになった条文ですの。二十日かけて打った手は、六十一話で予告されていたとおりでしたわ。
ロザリンドは、上手だったのではなく、上手に読めただけだったと気づきますの。……いちばん、こたえる気づき方ですのよ。
「その本を書いた男は、君の手を、知っている。だが、君の目までは、書いていない」
そして夜明け前、一年分の調書の余白に、教本のどこにも載っていない言葉が、残っておりましたわ。塩の匂い。灯台守の字。足りないパン。
次回、ロザリンドが、教本を閉じますわ。
ヒロインが強い話ほど、一度きちんと折らないと、次が効きませんの。折るのは、書くほうも痛うございますわ。ブックマークと評価、どうぞよろしく。




