第52話:事故のなかった街道
ミュール街道の関から、北へ、半日ほど参りますと、梟亭という宿がございますわ。
街道の宿場宿ですの。名前のとおり、看板に、下手な梟が描いてございましたわ。
「十二年前の、宿帳ですか」
女将は、六十がらみの、腰の曲がった方でしたの。私が身分を名乗りますと、少しだけ、身構えられましたわ。
お役人が来て、古い帳面を出せと言う。……その意味を、宿屋の女将は、よく御存じですのね。
「ご安心くださいませ。あなた様の商いを、調べに参ったのではございませんの」
「……じゃあ、何を」
「泊まったお客様を、一人、探しておりますの」
女将は、屋根裏へ、梯子を掛けられましたわ。
埃の中に、宿帳の束が、積んでございましたの。紐で括って、年ごとに。十二年前どころか、三十年分、ございましたわ。
「捨てられなくてね。うちの人が、几帳面だったから」
……ええ、女将。この王国は、そういう方々に、支えられておりますのよ。
十二年前、九の月。フィーが、頁を、繰りましたの。指が、途中で、止まりましたわ。
「……ありました」
十三日。オーギュスト・ファルケンラート。一人。二階の奥。夕餉あり。朝餉なし。
「朝餉、なし」
私、そこを、指で押さえましたの。
「女将。朝餉なしというのは」
「夜明け前に発つお客ですよ。うちの厨は、まだ火が入りませんからね」
夜明け前。
梟亭から、王都へ帰るには、南へ下って、ミュール関を通りますわ。関は、半日の道のりですの。夜明けに発てば、昼過ぎには、通っておりますわね。
けれど、五十一話で見た関の綴りに、祖父の馬車は、ございませんでしたわ。
その日も。前の日も。翌日も。
「フィー。祖父が亡くなったのは」
「……検死の記録では、十四日の、夜です。ミュールの坂」
坂は、梟亭より、さらに北ですわ。つまり。
祖父は、十四日の夜明け前に、南へ発ちましたのよ。そして、その日の夜、北の坂で、死んでおりますの。
半日かけて南へ下り、関を通らず、その日のうちに、丸一日かけて、来た道を、北へ戻った。
そんな旅程が、ございますかしら。
「……ロザリンド様。それ、逆走です」
「ええ。逆走ですわ」
しかも、途中の関を、一度も、通らずに。
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【監査手帖】十三日・夜 梟亭泊(宿帳)
十四日・夜明け前 南へ出立(朝餉なし)十四日・昼〜 ミュール関 通過記録なし(通行税の綴り)
十四日・夜 ミュールの坂で死亡(検死記録)→ 合いません。ぜったい、合いませんわ。
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帳簿というものは、面白うございますのよ。
嘘をつく人は、自分の帳簿には、上手に嘘を書きますわ。けれど、他人の帳簿までは、書き換えられませんの。
十三話の灯台守の日誌が、そうでしたわね。十五話の、パン屋の仕入帳も。
祖父を坂へ運んだ方は、検死の記録を、書き換えましたのよ。書き換えれば、事故になりますもの。
……ですけれど、この王国には、関の番人と、宿屋の女将が、いらっしゃいますの。
どちらも、その方の帳簿では、ございませんわ。
「女将。もう一つ、伺ってもよろしくて?」
「はい」
「この方は——祖父は、どんな様子でしたかしら」
女将は、少しの間、宿帳を、見つめておられましたわ。それから、ふ、と、笑われましたの。
「覚えてますよ。……厳しい客でね」
「まあ」
「勘定を、二度、数え直したんですよ。うちの数え方が違うって。ええ、こっちが間違ってたんですけどね。……銅貨、四枚」
……お祖父様。
その方は、亡くなる前の晩に、宿屋の女将と、銅貨四枚で、揉めていらしたのですわね。
私、少しだけ、笑ってしまいましたの。
家訓ばかりが立派な、遠い故人ではございませんでしたわ。ちゃんと、うるさい、生きた人でしたのね。
「女将。その四枚、いま、お返しいたしますわ」
「いえ、そんな」
「祖父が間違えましたのなら、孫が、精算いたしますの。……そういう家ですのよ、うちは」
帰りの馬車で、フィーが、膝の上の綴りを、じっと見ておりましたわ。
「ロザリンド様」
「なんですの」
「坂の下に、村があります。宿帳の三日前……九の月の十一日に、そこの車大工に、支払いの記録が」
私、フィーの手元を、覗き込みましたの。
梟亭の宿帳ではございませんわ。祖父の、道中の払い覚え。検死のときに一緒に役所へ回され、そのまま綴じられていた紙ですの。
九の月 十一日。ゲルト工房。車軸、一。三クローネ。
「……三クローネ」
私、指が、止まりましたわ。馬車の車軸は、規格品で、八クローネですのよ。
北の塩を数えに参りましたとき、荷馬車の勘定を、さんざん見ましたもの。四話の話ですわ。
三クローネの車軸というのは。……何の話ですのかしら。
梟亭の宿帳が出てまいりました。十三日の夜に泊まり、十四日の夜明け前に南へ発ち、その日の夜に北の坂で亡くなっている。逆走で、しかも途中の関を通っていない。
嘘をつく人は、自分の帳簿には上手に嘘を書きますけれど、他人の帳簿までは書き換えられませんの。十三話の灯台守と、十五話のパン屋と、同じことですわ。
そして、道中の払い覚えに、三クローネの車軸。規格品は八クローネですのよ。
次回は、少し離れて、別の糸を引きますわ。マルバス様が失脚なさっても、月末の上納は、止まっておりませんの。
皆様のお家にも、二十年前の領収書が、どこかに眠っていらっしゃいませんかしら。……評価とブックマーク、どうぞよろしくお願いいたしますわ。




