表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/19

第5話:燃やしても、写しはありますの

「火事だ! 門番小屋が燃えてるぞ!」


 夜半の宿に、半鐘の音が響きました。

 駆けつけたときには、門番小屋は手の付けられない火柱で、塩職人たちがバケツの列を作っておりましたわ。


「なんと、なんということだ!」


 ベルマン子爵が、寝間着の上に外套を羽織って、芝居がかった声をあげておりました。


「通行記録が、すべて灰に……! ああ、監査官殿、申し訳ない、これでは監査の続けようが……」


「あら。ご心配なく」


 私は、外套の下から、麻紐で綴じた紙の束を取り出しました。


「写しなら、ここに」


「…………は?」


「昨日の昼のうちに、通行記録五年分、フィーと二人で書き写しておりましたの。原本と照合済み、頁ごとに私とモロー主任監査官の署名入り。法的な証拠能力について、セドリック様?」


「監査規程第十一条三項。監査官二名以上の署名のある謄本は、原本滅失の際、これに代わる」


 セドリック様、条文の暗唱が、こんなに頼もしく聞こえる日が来るとは思いませんでしたわ。


 子爵の顔が、炎に照らされて、赤くなったり白くなったりしておりました。


「な、なぜ、写しなど」


「習慣ですの。八年間、毎月」


 それに——倉庫の樽まで化粧する几帳面な方が、監査の二日目の夜に小屋を燃やされるかもしれないと思うのは、監査官として当然の用心ですわ。


 ……ただ、正直に申し上げますとね。

 写しを取りながら、半分は「考えすぎであってほしい」と思っておりましたのよ。

 火を放つというのは、帳簿の嘘とは、罪の重さが違いますもの。


 翌朝、子爵は反撃に出てまいりました。

 帳簿ではなく——私の、評判に。


「お聞きになりましたかな、モロー卿」


 朝の領主館で、子爵はセドリック様にだけ聞こえるように、声を潜めて(私にも聞こえておりましたけれど)。


「あの女監査官、グランツベルク公爵家を離縁された方だそうで。なんでも、金庫の鍵を握って夫を脅し、財産の四割をむしり取ったとか。……そのような者の『写し』とやら、信用なさるので? 数字をいじる女の手癖は、ご存じでしょう」


 まあ。王都の醜聞が、もうこんな北の端まで。

 どなたかが、ずいぶん念入りに配達してくださったようですわね。


 セドリック様は、眼鏡を押し上げて、しばらく黙っておりました。

 それから、こうおっしゃいましたの。


「子爵。私はあの方の人柄を保証しません。着任二日目ですから、何も知りません」


「で、でしょうな! であれば——」


「ですが、写しの数字は私が一字ずつ照合しました。疑うなら、私の署名を疑っていただく。モロー伯爵家三男、王立法学院首席の署名です。……続けますか?」


 子爵は、続けませんでしたわ。


 その日の夕刻、王都から早馬が参りました。殿下からですわ。

 文面は、二行。


 『醜聞が王都で再燃している。出所はベルマン家の縁戚筋。

 ——もみ消すか?』


 私は、返信を一行だけ、書きましたの。


 『不要ですわ。監査結果で黙らせます』


 ペンを置いたとき、フィーが、おずおずと申しました。


「ロザリンド様。……悔しく、ないんですか。あんな、嘘の悪口」


「悔しいわよ」


「え」


「悔しいに決まっておりますでしょう。八年働いて出ていった家の話を、会ったこともない方々が、酒の肴になさっているのよ」


 フィーが、泣きそうな顔をいたしましたので、私は手帖を開いて見せましたの。


 __________

 【監査手帖】

 醜聞:支出。ただし一時のもの。

 監査結果:資産。永久に残る。

 ——投資先を間違えてはいけませんわ。

 __________


「言葉の貸し借りは、言葉では返ってきませんの。私の通貨は、最初から決まっておりますわ」


「……数字、ですか」


「ええ。さ、今夜も写しますわよ。次は製塩釜の薪の仕入れ台帳。火を焚いた量は、煮詰めた海水の量。つまり——」


「塩の、本当の生産量!」


「正解。フィーには、月給に上乗せして、夜なべ手当を申請して差し上げますわね」


「ほんとですか!」


 現金な子ですこと。ええ、現金なのは、とてもよいことですのよ。


燃やされる前に写す。言われる前に検める。監査は準備が九割ですの。

次話、薪の台帳から「本当の塩の量」が割れますわ。そして子爵の口から、聞き捨てならない言葉が。

ブックマークと評価で、監査チームに燃料の補給をお願いいたしますわ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ