第5話:燃やしても、写しはありますの
「火事だ! 門番小屋が燃えてるぞ!」
夜半の宿に、半鐘の音が響きました。
駆けつけたときには、門番小屋は手の付けられない火柱で、塩職人たちがバケツの列を作っておりましたわ。
「なんと、なんということだ!」
ベルマン子爵が、寝間着の上に外套を羽織って、芝居がかった声をあげておりました。
「通行記録が、すべて灰に……! ああ、監査官殿、申し訳ない、これでは監査の続けようが……」
「あら。ご心配なく」
私は、外套の下から、麻紐で綴じた紙の束を取り出しました。
「写しなら、ここに」
「…………は?」
「昨日の昼のうちに、通行記録五年分、フィーと二人で書き写しておりましたの。原本と照合済み、頁ごとに私とモロー主任監査官の署名入り。法的な証拠能力について、セドリック様?」
「監査規程第十一条三項。監査官二名以上の署名のある謄本は、原本滅失の際、これに代わる」
セドリック様、条文の暗唱が、こんなに頼もしく聞こえる日が来るとは思いませんでしたわ。
子爵の顔が、炎に照らされて、赤くなったり白くなったりしておりました。
「な、なぜ、写しなど」
「習慣ですの。八年間、毎月」
それに——倉庫の樽まで化粧する几帳面な方が、監査の二日目の夜に小屋を燃やされるかもしれないと思うのは、監査官として当然の用心ですわ。
……ただ、正直に申し上げますとね。
写しを取りながら、半分は「考えすぎであってほしい」と思っておりましたのよ。
火を放つというのは、帳簿の嘘とは、罪の重さが違いますもの。
翌朝、子爵は反撃に出てまいりました。
帳簿ではなく——私の、評判に。
「お聞きになりましたかな、モロー卿」
朝の領主館で、子爵はセドリック様にだけ聞こえるように、声を潜めて(私にも聞こえておりましたけれど)。
「あの女監査官、グランツベルク公爵家を離縁された方だそうで。なんでも、金庫の鍵を握って夫を脅し、財産の四割をむしり取ったとか。……そのような者の『写し』とやら、信用なさるので? 数字をいじる女の手癖は、ご存じでしょう」
まあ。王都の醜聞が、もうこんな北の端まで。
どなたかが、ずいぶん念入りに配達してくださったようですわね。
セドリック様は、眼鏡を押し上げて、しばらく黙っておりました。
それから、こうおっしゃいましたの。
「子爵。私はあの方の人柄を保証しません。着任二日目ですから、何も知りません」
「で、でしょうな! であれば——」
「ですが、写しの数字は私が一字ずつ照合しました。疑うなら、私の署名を疑っていただく。モロー伯爵家三男、王立法学院首席の署名です。……続けますか?」
子爵は、続けませんでしたわ。
その日の夕刻、王都から早馬が参りました。殿下からですわ。
文面は、二行。
『醜聞が王都で再燃している。出所はベルマン家の縁戚筋。
——もみ消すか?』
私は、返信を一行だけ、書きましたの。
『不要ですわ。監査結果で黙らせます』
ペンを置いたとき、フィーが、おずおずと申しました。
「ロザリンド様。……悔しく、ないんですか。あんな、嘘の悪口」
「悔しいわよ」
「え」
「悔しいに決まっておりますでしょう。八年働いて出ていった家の話を、会ったこともない方々が、酒の肴になさっているのよ」
フィーが、泣きそうな顔をいたしましたので、私は手帖を開いて見せましたの。
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【監査手帖】
醜聞:支出。ただし一時のもの。
監査結果:資産。永久に残る。
——投資先を間違えてはいけませんわ。
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「言葉の貸し借りは、言葉では返ってきませんの。私の通貨は、最初から決まっておりますわ」
「……数字、ですか」
「ええ。さ、今夜も写しますわよ。次は製塩釜の薪の仕入れ台帳。火を焚いた量は、煮詰めた海水の量。つまり——」
「塩の、本当の生産量!」
「正解。フィーには、月給に上乗せして、夜なべ手当を申請して差し上げますわね」
「ほんとですか!」
現金な子ですこと。ええ、現金なのは、とてもよいことですのよ。
燃やされる前に写す。言われる前に検める。監査は準備が九割ですの。
次話、薪の台帳から「本当の塩の量」が割れますわ。そして子爵の口から、聞き捨てならない言葉が。
ブックマークと評価で、監査チームに燃料の補給をお願いいたしますわ。




