第4話:完璧すぎる帳簿は、香水をつけすぎた淑女ですわ
北部ベルマン子爵領、塩の町ヴァイスハーフェン。
馬車を降りた途端、潮と薪の匂いがいたしましたわ。海水を大釜で煮詰める、製塩の町の匂いですの。
「ようこそお越しくださいました、監査官の皆様!」
出迎えたベルマン子爵は、丸いお腹を揺らして、満面の笑みでしたわ。
「帳簿は全て王都に提出済みですが、写しも倉庫の記録も、何なりとご覧ください。我が領は、隠し事など一つもございませんからな! はっはっは」
「まあ、心強いですわ」
隠し事のない方は、「隠し事がない」と三度はおっしゃいませんのよ。馬車からここまで、四度目ですわ。
領主館の応接室には、見事な晩餐の用意。セドリック様が手順書どおり「接待は辞退します」と告げると、子爵の笑みが、ほんの一瞬、固まりましたの。
「では、お仕事の話を。……フィー、お願い」
「は、はいっ。えっと、提出帳簿によりますと、当領の塩の年間生産は四千二百樽。塩税は産出十樽につき一樽相当の金納で、過去五年の納付額は毎年、金貨二千百クローネ……ぴったりです」
「ぴったり、ねえ」
海が相手の商売で、五年間、生産量の増減が二分以内。
今年は嵐の多い年でしたのに。
「子爵様。製塩所を見せていただけます?」
「け、見学ですかな? 構いませんが、女性の足場には——」
「監査ですわ。見学ではなく」
製塩所は、町の浜に沿って並んでおりました。大釜が十六基。立ち働く職人たち。塩の白い山。
私は、帳簿と現場を、一つずつ照合してまいりました。釜の数、合っております。職人の人数、おおよそ合っております。倉庫の樽の数——
「……フィー。倉庫の樽、いくつあって?」
「ええと……三百八十……二です」
「帳簿の今月分在庫は?」
「三百八十二樽です。……合ってます。すごい、ぴったり」
「ええ。ぴったりですわね」
ぴったりすぎますのよ。
樽というものは、割れますの。傷みますの。数え間違えますの。在庫が帳簿と一樽の狂いもなく合う倉庫を、私、八年間で一度も見たことがございませんわ。
……この監査、相手は素人ではございませんわね。
帳簿も、倉庫も、「検められる場所」は、すべて化粧済み。
でしたら、化粧の及ばない場所を探すまでですわ。
「セドリック様。荷馬車の出入りの記録は、どちらに?」
「門番小屋に通行記録が。ですが、それも提出済みの帳簿と一致していました。出荷は年四千二百樽分、過不足なし」
「では、その隣の小屋は?」
「あれは……車大工の作業場でしょう。荷馬車の修理場です」
「修理の台帳を、拝見しますわ」
セドリック様が、眼鏡を押し上げました。
「……修理台帳? あんなもの、税と何の関係が」
「大ありですのよ」
車大工の親方は、突然の貴族の来訪に目を白黒させながら、油染みた台帳を出してくださいました。
車軸の交換記録。車輪の修理。荷台の補強。日付と、馬車の持ち主と、修理代。
化粧っ気のない、訂正だらけの、生活の皺だらけの——ええ、これですわ。これが本物の帳簿の顔ですの。
「フィー。この台帳から、塩の輸送に使う大型荷馬車の車軸交換、年に何件?」
フィーの唇が、すうっと動いて、止まりました。
「……二百四十件、です」
「車軸一本で運べる回数は、積み荷の重さで決まりますわ。親方、塩樽を満載した場合、車軸はどのくらい保ちます?」
「へえ、塩はことのほか重うございますからね。往復五十が精々で」
私は、手帖を開きました。
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【監査手帖】
帳簿上の出荷:四千二百樽/年
必要な輸送:延べ約六百往復
車軸交換二百四十件×五十往復=延べ一万二千往復分
——荷馬車は、帳簿の二十倍働いている。
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「セドリック様。この領の塩は、帳簿の外で、おそらく桁が一つ違う量、出荷されておりますわ」
セドリック様は、台帳と私の手帖を三度見比べて、低く唸りました。
「……車軸、ですか。条文のどこにも、車軸なんて出てこない」
「ええ。ですから、誰も化粧してくださいませんでしたの」
完璧すぎる帳簿は、香水をつけすぎた淑女と同じですわ。
隠したい匂いがあるときほど、人は、塗り重ねますのよ。
——その夜のことですわ。
宿の窓から、門番小屋の方角に、ちらちらと動く灯りが見えましたの。
こんな刻限に、門番小屋の通行記録を抱えて歩くなんて、ずいぶん勤勉な執事もいたものですわね?
帳簿は化粧できても、車軸は化粧できませんのよ。
次話、夜の門番小屋。燃やしたい方と、写しておいた方の、静かな勝負ですわ。
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