第48話:国庫を人質に取るのは、脱税ではなく反逆ですわ
王前会計検査まで、七日。
その朝、王都の、すべての役所で、同じことが、起こりましたわ。
支払いが、止まりましたの。
軍務省の、駐屯地への糧秣代。建設省の、石工への手間賃。駅逓の、馬の飼葉代。宮内省の、下働きの給金。……大きいものから、小さいものまで、一切合切、財務局から、出なくなりましたわ。
理由は、こうですの。
『王室財務局は、現在、監査庁による特別会計検査を受けている。検査中の帳簿に、新たな記帳を行うことは、証拠の変更に当たる恐れがあるため、支出手続を、一時、停止する』
……お見事ですわ。
私の監査を、理由になさいましたのね。
「ロザリンド様。王都の商人が、監査庁の前に、集まっています」
セドリック様が、窓の外を、見ておられましたの。
声が、届いてまいりますわ。
——石工の手間賃を、返してくれ。
——うちは、王宮に納めた小麦の代金で、来月を回すんだ。
——監査官様が、余計なことをするから。
私、窓辺に、立ちましたわ。
石工の親方が、おりましたの。パン屋の女将も、おりましたわ。……十四話で、私が、三十四クローネ七十を、返して差し上げた、あのセルヴァンのパン屋と、同じ顔の人たちですわ。
私が、守ろうとしている人たちが。
いま、私を、罵っておりますの。
「……上手ですこと」
私、そう、呟きましたわ。
その日の午後、マルバス様が、監査庁に、いらっしゃいましたわ。
二十話の再来ですのね。あのときは、私が、お茶を出しませんでしたわ。今日は、こちらから、お出しいたしましたの。
「おや。今日は、いただけますか」
「ええ。……その代わり、利息を、つけさせていただきますわね」
マルバス様は、笑って、茶碗を、置かれましたわ。
「監査官殿。私は、脅しに参ったのではございません。ご相談に参ったのですよ」
「相談」
「支払いを、再開したいのです。ですが、検査中の帳簿には、手をつけられません。……検査が、終われば、明日にでも、再開できますな」
「王前会計検査を、取り下げていただけませんか。さすれば、明日の朝、王都の支払いは、すべて、動き出します。石工も、パン屋も、駐屯地の兵も、救われますよ」
「……もし、取り下げませんと」
「困るのは、私では、ございませんな」
マルバス様のお声は、静かでしたわ。
「来月、官吏の給金が、出ません。再来月、兵の糧秣が、尽きます。国境の守りが、薄くなりますな。……監査官殿。あなたは、正義をなさるおつもりで、王国を、止めておいでですよ」
私、しばらく、黙っておりましたの。
この方が、これまでの誰よりも、恐ろしい理由が、わかりましたわ。
ベルマン子爵は、樽で嘘を吐きましたの。ドラクロワ伯爵は、証拠庫を焼きましたわ。オルロ猊下は、神の名を使われましたの。ミレーヌは、人を配置いたしましたわ。
この方は。
王国を、盾になさいますの。
「マルバス様」
私、扇を、置きましたわ。
「一つ、教えてくださいませ。……あなた様は、なぜ、大蔵卿におなりになりましたの」
マルバス様の、指が、止まりましたわ。四十二話と、同じ、一瞬ですの。
「……なぜ、そのようなことを」
「あなた様は、数字が、お上手ですわ。とても。五年分の余剰を、一度も帳尻を崩さずに、動かしきる手際は、正直、感服いたしましたの。それだけの腕がおありなら、正しくお使いになれば、この国を、豊かにできましたでしょうに」
マルバス様は、答えませんでしたわ。
やがて、立ち上がられましたわ。
「……七日、差し上げます。よくお考えなさい」
その夜。
監査庁の会計簿の前で、セドリック様が、青い顔を、なさっておりましたわ。
「ロザリンド様。庁費の残りが、尽きます。来月の給金は、出ません。……このままでは、検査の当日まで、庁が、もちません」
フィーが、俯いておりましたわ。
そのときですの。
扉が、開きましたわ。
「もつ」
殿下でしたの。
「今日、兄上に、上奏した」
殿下は、机に、一通の書状を、置かれましたわ。
「監査庁の来月の給金は、俺の、王弟としての、年金から出す。足りん分は、王弟領の、来年の収穫を、先に売った」
「……殿下」
「それから、もう一通」
殿下は、二通目を、置かれましたの。
辞表でしたわ。
「王前会計検査で、監査庁が負ければ、俺は、総裁を辞す。兄上に、そう申し上げた。……そのうえで、検査を開いていただいた」
私、その紙を、見ておりましたわ。
言葉が、出てまいりませんでしたの。
「殿下。……なぜ、そこまで」
「帳簿は、読めん」
殿下のお答えは、いつもどおり、短うございましたわ。
「だが、あの男が、王国の支払いを止めた日に、何を人質に取ったかは、わかる。……国だ。あれは、国を人質にした。あれは、脱税ではない。反逆だ」
私、その言葉を、心の中で、繰り返しましたの。
脱税ではなく、反逆。
……ええ。
その通りですわ。
「殿下。私、一つ、申し上げてもよろしくて」
「言え」
「私、あなた様に、この職を、辞していただきたく、ございませんの」
自分の声が、思ったより、細うございましたわ。
「監査庁が、なくなるからでは、ございませんのよ。……いえ。それも、ございますけれど」
私、そこで、言葉に、詰まりましたの。
二十九話で、私、この方を案じたとき、「政治的な勘定ですわ」と、自分に言い聞かせましたわね。四十一話で、「私の字で選ぶ」と、申し上げましたわね。
けれど、今日は。
勘定が、合いませんの。
この方を失うことの損失を、私、どうしても、数字に、できませんでしたわ。
私、八年、公爵家の帳簿をつけて、王国の国庫まで、数えてまいりましたのに。
この一つだけ、計算が、できませんの。
「……理由は、後日、書面にて、ご提出いたしますわ」
殿下は、しばらく、こちらを見て。
それから、小さく、笑われましたの。
「急がんでいい」
七日後。
玉座の間で、私は、決算を、申し上げますわ。
大蔵卿の、最後の武器。証拠でも法解釈でもなく——王国そのものを、人質に取りましたの。支払いを止め、監査を理由にして、民の怒りをロザリンドに向けさせる。「あなたは正義をなさるおつもりで、王国を止めておいでですよ」。……いちばん、効きますわね。
そして、殿下。年金を投げ出し、辞表を出して、検査を開かせましたの。「あれは脱税ではない。反逆だ」。帳簿は読めないけれど、この方は、いつも、いちばん大事なところだけは、読み違えませんわ。
ロザリンドの勘定が、一つだけ、合わなくなりましたわね。第2部は「自覚」の部ですの。……ご覧の通り、自覚は、いたしましたわ。認めるかどうかは、また別のお話ですけれど。
次話、いよいよ、玉座の間。それでは、決算を、申し上げますわ。
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