第45話:私の結婚は、国庫で買われましたの
翌朝、私たちは、また、あの樅の扉を、叩きましたわ。
「書記官長。塗り潰しを、解いていただきたいのですわ」
「お断りいたします」
ヴィンター書記官長のお声は、昨日と、寸分違いませんでしたの。
「使途欄は、非公開特権の、まさに核心でございます」
「規定により、その通りです」
セドリック様が、前に、出られましたわ。
「ですから、私が申し上げるのは、七十一件だけです。……書記官長。機密費とは、何ですか」
「王室財務局が、機密費として支出した、金でございます」
「では、財務局の機密費簿に、一件も載っていない支出は、機密費ですか」
ヴィンター書記官長の、筆が、止まりましたわ。
「非公開特権は、機密費に与えられた特権です。機密費とは、機密費として計上された支出のこと。……計上されていない支出は、法的には、機密費ではありません。名もなき、出所不明の、王印璽つきの金です。特権の対象では、ありません」
セドリック様は、そこで、一度、言葉を、切られましたの。
「閣下は、隠すために、帳簿から外しました。……ですが、帳簿から外れた瞬間、その七十一件は、隠す資格を、失っています」
紙の匂いの中で、老書記官は、長いこと、黙っておられましたわ。
それから、墨壺を、脇へ、押しやって。
「……七十一件のみ、でございますよ」
私たちは、その七十一件を、一枚ずつ、確かめてまいりましたわ。
どれも、まっとうな顔をしておりませんでしたの。
貴族家への「融通」。商会への「立替」。ある伯爵家の債務の「肩代わり」。……そして、いくつかには、覚えのある符牒が、隅に、押されておりましたわ。
「G」。
五話で焼かれた帳簿にも、十八話の簿外借入にも、三十二話の司教の債務にも、あった印ですの。
「灰色台帳の、貸付ですわね」
「灰色台帳が、貴族に貸していたお金。その元手は……王国の、機密費でしたのね」
王の金で、貴族を、借金漬けにする。
借金漬けにした貴族から、脱税の分け前を、取る。
国庫が、脱税網の、元手だったのですわ。
……あまりの構図に、私、一度、扇を、閉じましたの。
七十一件を、確かめ終えたところで、フィーが、ふと、顔を上げましたの。
「あの……書記局には、もっと、古い控えも、ありますよね。同じことが、前からあったなら……」
書記官長は、黙って、奥の棚を、示されましたわ。当局の控えは、三十七年分。……令状の射程は、財務局の綴りにしか、掛かりませんもの。
そうして、日が暮れる頃に、その一枚は、出てまいりましたの。
九年前の、機密費決裁。
番号、百八十二。
用途欄に、こう、ございましたわ。
『ファルケンラート家縁組・支度金 三万クローネ』
私、しばらく、その一行を、見ておりましたの。
三万クローネ。
……私の、持参金と、同じ額ですわ。
一話で、私、あの家に、突き返させていただきましたわね。「持参金三万クローネ、耳を揃えて」と。あれは、ファルケンラート家が、娘に持たせたお金だと、私、信じておりましたの。
違いましたわ。
あれは、国庫から、出ておりましたの。
私の結婚は——国の、お財布で、買われましたのね。
けれど、震えたのは、その下の行ですわ。
機密費の決裁書には、目的の欄が、ございますの。密偵なら「情報収集」、根回しなら「外交」と、一言だけ、書かれておりますわ。
その欄には。
『オーギュスト・ファルケンラートの遺した書類の、相続監視』
__________
【監査手帖】
・支度金三万=国庫から支出(九年前)
・目的欄「オーギュストの遺した書類の、相続監視」
・私は、嫁がされたのではない。見張られていたのですわ
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私、その紙を、両手で、持っておりましたわ。
三十九話で、私、申し上げましたのね。「はじめから、愛される予定が、盤の上に、書かれていなかっただけ」と。
あのときは、それでも、わかりませんでしたの。
なぜ、私だったのか。
わかりましたわ。
祖父は、何かを、遺しましたのね。
書類を。灰色台帳の、都合の悪い、書類を。
そして、祖父が、雨の夜に亡くなったあと、彼らは、それを、探しましたわ。見つからなかったのですわね。だから、決めましたの。
——遺した書類は、いずれ、孫娘の手に渡る。ならば、孫娘ごと、囲ってしまえばよい。
公爵家に、嫁がせて。
外の帳簿から、切り離して。
「数字ばかりで可愛げがない」と言われ続ける場所に、八年、置いておけば。
あの家の帳簿を、私が、必死につけていた八年。
あれは、飼い殺しの、八年でしたの。
……いいえ。
私、顔を、上げましたわ。
違いますわね。
飼い殺そうとした、八年ですの。
彼らは、失敗いたしましたわ。私、あの家の帳簿を、誠実につけましたもの。領民の帳面に、私の名は、残りましたもの。そして今、私は、こうして、彼らの帳簿を、開いておりますの。
九年前、この決裁書に判を押した誰かは、いま、たいそう、後悔しておりますでしょうね。
「ロザリンド様」
フィーが、隣から、そっと、決裁書の、下の隅を、指しましたわ。
「あの……ここ」
決裁者の欄には、見慣れた署名が、ございましたの。
マルバス。
けれど、その左に、もう一つ、欄が、ございましたわ。
起案者の、欄ですの。
白紙でしたわ。
名前は、ございませんの。ただ、そこに、小さく。
「G」。
私、その一文字を、見つめましたわ。
決裁したのは、大蔵卿。
けれど、これを、書けと、言った人が。
……この上に、まだ、いらっしゃいますのね。
第1話の、あの妙に手慣れた離縁状を、覚えていらっしゃいますかしら。……わたくしの結婚は、初めから、仕組まれておりましたの。その「誰が・何のために」が、今日、ようやく出そろいましたわ。
祖父オーギュストが遺した、灰色台帳にとって都合の悪い書類。それが孫娘に渡ることを恐れて、彼らは、孫娘ごと公爵家に囲った。支度金三万クローネは、国庫から。……ロザリンドの八年は「愛されなかった八年」ではなく「敵が彼女を恐れ続けた八年」でしたの。屈辱が、証明に、反転いたしましたわ。
そして、決裁者はマルバス侯爵。けれど、起案者の欄は、白紙のまま、「G」の一文字。
大蔵卿は、この王国でいちばん大きな財布の、持ち主ですわ。……その方に、書けと言える人が、いる。
次話、国庫が、どうやって灰色台帳の元手にされていたのか。手口の全容ですの。
ブックマークと評価、どうぞよろしくお願いいたしますわ。




