第43話:監査庁の、来月の給金がございませんの
三日後の、朝ですの。
監査庁の執務室に入りますと、セドリック様が、書状を手に、立ち尽くしておられましたわ。あの方が、書類を前にして動けないのを、私、初めて拝見いたしましたの。
「……ロザリンド様」
「どうなさいましたの」
「来期の、庁費予算です」
セドリック様は、その紙を、私に、差し出されましたわ。
王室財務局・予算査定通知。
監査庁への配分——前期比、八割減。
「八割……ですの」
「机は十四。監査官と書記が、二十二名。……この額では、給金が、三か月ももちません。写しを取る紙も、馬車の借り賃も、地方へ出る旅費も、出ません」
フィーが、隅の机で、算盤を、置きましたわ。小さな手が、止まっておりますの。
「あの、えっと……計算では、来月の分は、なんとか。でも、再来月から、わたしたち……」
言い終わらないうちに、フィーは、俯きましたわ。
この子は、孤児院の出納係でしたの。お金が尽きるということが、どういうことか、私たちの誰よりも、知っておりますわ。
「理由は、書かれておりますの?」
「ええ。……『監査庁は発足三年目にして、業務量の実績が定まらず、過大な計上と認められる』」
セドリック様が、書状を、読み上げられましたわ。
「規定により、この査定に、瑕疵はありません。……予算の査定権は、王室財務局にあります。つまり」
「大蔵卿ですのね」
私、頷きましたの。
なるほど。
この方は、私を、殴りには、いらっしゃらない。
兵糧を、断ちにいらっしゃいましたわ。
監査庁は、王国の制度ですの。制度は、お金で、動きますわ。紙も、灯も、給金も。……そして、そのお金は、財務局から、参りますの。
監査される側が、監査する側の、財布を握っている。
これが、王国という国の、仕組みですわ。
殿下の執務室へ、伺いましたの。
「知っている」
殿下は、窓辺で、腕を組んでおられましたわ。
「今朝、兄上に掛け合った。……予算の査定は、財務局の専権だ。王命でも、覆すには、議会の再議がいる。半年かかる」
「半年」
「その頃には、監査庁の机は、空だ」
殿下の声は、静かでしたわ。けれど、拳の骨が、白うございましたの。
「戦なら、俺は、あの男を斬れる。……だが、これは、書類だ。俺には、読めん」
「殿下」
「読めなくて、結構ですのよ。読むのは、私の仕事ですもの」
その日の午後、二通目が、届きましたの。
こちらは、さらに、丁寧な書状でしたわ。
王室財務局より、監査庁宛。特別監査令状の、適用範囲についての、照会。
「……令状の射程を、狭めてきましたか」
セドリック様が、眉を、寄せられましたの。
「読み上げますよ。『特別監査令状に記された機密費とは、令状発給日を含む当年度の機密費を指すものと解される。過年度分については、既に会計年度が締められ、決算が王前において裁可済みであるため、再度の検査は、陛下の裁可を否定する行為に当たる』」
「……つまり」
「見てよいのは、今年度分だけ、ということです。過去五年分は、『陛下が既にお認めになった決算』ですから、疑うことは、陛下を疑うことになる、と」
私、思わず、感嘆いたしましたわ。
お見事ですの。
この方は、私を、止めるのに、脅しも、金も、お使いになりませんでしたわ。
法を、お使いになりましたの。しかも、正しく。
「セドリック様。この解釈、覆せますかしら」
セドリック様は、しばらく、黙って、条文を睨んでおられましたわ。
そして、悔しそうに、口を、開かれましたの。
「……規定により、この解釈は、成立します。少なくとも、財務局の綴りに対しては」
「財務局の、綴りに対しては」
私、その言い方に、引っかかりましたわ。
「セドリック様。いま、変な区切り方を、なさいましたわね」
「……いえ。つまらぬ、思いつきです」
「つまらないもの、大好きですのよ。三十四話でも、つまらない一行から、始まりましたわ」
セドリック様は、一度、口を結んで。
それから、監査官の顔に、戻られましたわ。
「機密費の非公開特権は、あくまで、財務局が保管する綴りに掛かるものです。……では、伺いますが。機密費の決裁書は、財務局の中だけで、完結しますか?」
私は、白い帳簿の頁を、思い出しましたわ。
支出、一件。金額、空白。用途、空白。
けれど、隅に、必ず、押されておりましたの。
小さな、印が。
「……王印璽の、副署」
「ええ」
セドリック様の、目が、光りましたわ。
「機密費は、大蔵卿の一存では出せません。王印璽の副署が要ります。そして、王印璽を扱うのは——財務局では、ありません」
私、扇を、閉じましたの。
この王宮には、もう一つ、帳簿をつけている部屋が、ございましたわ。
灯台守のジョゼフ翁が、日誌をつけていたように。パン屋が、仕入帳をつけていたように。
嘘は、必ず、他人の帳簿に、写しを残しますの。
「セドリック様。明日の朝、王室書記局へ、参りますわ」
大蔵卿の反撃は、剣ではなく、予算と、法解釈でしたの。監査庁の予算を八割削って兵糧攻めにし、令状の射程を「当年度分のみ」に狭める。しかも、どちらも合法。……この方が、これまででいちばん厄介な理由が、これですわ。制度で殴ってくるのですもの。
けれど、ロザリンドの武器は、一貫しておりますの。「嘘は、他人の帳簿に写しを残す」。灯台日誌、パン屋の仕入帳、領民の帳面——そして今度は、王印璽の副署控え。
次話、王室書記局の扉が、開きますわ。開けるのは、剣でも王命でもなく、セドリック様の「規定により」ですの。
ブックマークと評価、どうぞよろしくお願いいたしますわ。




