第39話:それでは、決算を申し上げますわ 〜囁き屋の追徴〜
監査庁の、査問台。
ミレーヌが、証言台に立ちましたわ。もう逃げも、囁きも、いたしませんの。光の下で記録される覚悟を、決めた顔で。
装いが、地味でしたわ。飾りが、一つも。
八年、この方のお召し物を拝見してまいりましたけれど、初めてですのよ。……人に見られるお仕事の方が、見られない装いで、いらっしゃいましたわ。
もう、囁く相手が、いらっしゃらないのですわね。
「それでは——決算を、申し上げますわ」
私は、いつもの様式で、始めましたの。
「被告、ミレーヌ。私文書偽造、常習。過去八年、確認できるだけで、貴族家七軒にわたり、契約書・保証書・離縁状の、署名および日付の偽造。……これらは、声ではなく、手の罪。数字と、筆跡が、証明いたしますわ」
偽造書類が、一枚ずつ、読み上げられましたの。ミレーヌは、一つずつ、認めましたわ。もう争いませんの。
そして。
最後の一枚を、私は、自分の手で、掲げましたわ。
私の離縁状ですの。
「グランツベルク公爵家・離縁状。日付、改竄。……この離縁状は、私、ロザリンド・ファルケンラートの、ものですわ」
査問台が静まりましたの。
監査官が、自分の離縁状を、証拠として読み上げる。……そんな査問は、王国史上、初めてでしょうね。
書式どおりに読み上げましたわ。差出人、宛先、日付、事由。
声が、途中で一度、止まりましたけれど。……止まりましたのは、事由の欄ですのよ。八年ぶんが、一行で書いてございますの。
書式というのは、便利なものですわね。何でも、短く書けますわ。
「八年前、私は、この家に、嫁ぎましたわ。何も知らずに。恋を、したつもりで。……いいえ。恋ですら、なかったかもしれませんわ。ただ、決められた縁談に、素直に、従っただけ。それでも、私は、八年間、あの家の帳簿を、誠実に、つけましたの。領地を、実質、切り盛りいたしましたわ」
私、この八年を、ずっと、無駄だと思っておりましたの。
「数字ばかりで、可愛げがない」——そう言われて、捨てられた、八年を。
愛されなかった、失敗の八年だと。
「けれど、今日、この配置名簿で、わかりましたわ」
私は、名簿のあの一行を、示しましたの。
「私の結婚は、失敗ではございませんでしたの。……最初から、成功する予定の、なかった結婚ですわ。誰かが、私を、あの家に、八年、飼い殺すために、仕組んだ、任務。私が愛されなかったのは、私に、可愛げがなかったからでは、ございませんの。……はじめから、愛される予定が、盤の上に、書かれていなかっただけ、ですわ」
なんて皮肉でしょう。
仕組まれた結婚だと知って、私、初めて、救われましたの。
救われた、と申し上げますと、負け惜しみに聞こえますでしょうね。
ですけれど、監査官の仕事は、差異を出すことですのよ。あるべき数字と、実際の数字の、差を。
私、八年、その差を、自分の側の不足として記帳しておりましたの。……相手方の科目に付け替えるだけで、こんなに軽くなりますのね。帳簿というのは、そういうものですわ。
私の八年は、無駄では、ございませんでしたわ。
あの家の帳簿は、私が、誠実につけましたの。領民の暮らしは、私が、守りましたわ。二十一話で領民の帳簿に、私の名が、残っておりましたでしょう。あれは、任務でも、盤でもない、私自身の仕事ですの。
誰かが、私を駒として盤に置いたとしても。
盤の上で、私が、何を書いたかは。
私の字ですわ。
「ミレーヌ」
私は、宿敵に向き直りましたの。
「あなたは、私の八年を、奪ったつもりでしょう。……でも、奪えませんでしたわ。私の書いた数字は、私のものですもの。あなたには、囁けても、書けませんの。だから、あなたは、偽造するしか、なかったのですわ」
偽造というのは、羨ましさの、いちばん行儀の悪い形ですのよ。
書ける方は、真似を、なさいませんもの。
ミレーヌは、しばらく私を見て。
それから、深く頭を、下げましたの。初めて、砂糖菓子ではない声で。
「……見事な、決算ですわ。監査官殿」
「記録には、あなたのお名前が残りますわ。……偽造なさった名ではなく、ご自分の名で」
ミレーヌは、その一言に、少しだけ、目を伏せられましたの。
その日、ミレーヌは、私文書偽造・詐欺の罪で、拘束されましたわ。
そして明日——査問の続きで、大蔵卿マルバス侯爵の、関与を証言する。人事費の出どころを。誰に命じられたかを。すべて記録に残す。
証言が記録されれば、誰も、彼女を、勝手には、下げられませんの。
数字は、消せませんもの。
私は、そう、信じておりましたわ。
拘束房を出るミレーヌに、「明日、お待ちしておりますわ」と、声をかけましたの。
この方、頷かれませんでしたわ。
……八年、この方は、返事だけは必ずなさる方でしたのよ。何を申し上げても、まず、はい、と。
ミレーヌは、振り向いて、少しだけ、微笑みましたわ。
「明日、ね」
その笑みが、なぜか、寂しそうに、見えましたのは。
……私の気のせいだと、思いたかったのですわ。
少し、特別な査問でしたわ。ロザリンドが、監査官として、自分の離縁状を——自分の八年を、読み上げましたの。「仕組まれた結婚だと知って、初めて救われた」。可愛げがなかったから捨てられたのではない、はじめから愛される予定が盤に書かれていなかっただけ——この転回が、ロザリンドの、いちばん深い傷を、癒しますわ。「盤の上で私が何を書いたかは、私の字」。作品のテーマが、ロザリンド自身に、返ってきた回ですの。
ミレーヌ拘束。明日、大蔵卿の関与を証言する——はずですわ。……けれど、あの、寂しそうな笑み。「明日、ね」。
次話、証言の前に。台帳は、口を割る駒を、どうするのか。
ブックマークと評価、どうぞよろしくお願いいたしますわ。




