第38話:囁きは、囁いた本人に返りますの
ミレーヌを、査問台へ引きずり出すには。
彼女を、逃げられぬ罪で、縛らねばなりませんわ。
囁きは、罪には、なりませんの。声は、消えますもの。「言った」「言わない」の水掛け論で、囁き屋は、いつも、するりと逃げますわ。
けれど。
囁き屋は、囁くだけでは、仕事になりませんの。
「配置されたミレーヌは、各家で、必ず、書類を、いじっています」
セドリックが、証拠の束を、卓に積み上げましたわ。
「ドラクロワ家では、港湾契約の、保証人の署名を偽造。グランツベルク家では——ロザリンド様。あなたの、離縁状の、日付を、書き換えています。離縁の手続きが、正規の順序を踏んでいないよう、偽装するために」
私の、離縁状。
あの、妙に手慣れた文面の、離縁状ですわ。あの日、突きつけられた、あの。
「つまり、ミレーヌは、囁いただけでは、ございませんの。私文書偽造。詐欺。……声ではなく、手の、罪ですわ。手は、跡を、残しますの」
私は、偽造された書類を、一枚ずつ、並べましたわ。ミレーヌが、八年間で、あちこちの家に残した、偽の署名。偽の保証。偽の日付。
声は消える。けれど、偽造した紙は、消えませんの。
彼女が囁いた分だけ、彼女の手が、紙に、罪を、書き残しておりましたわ。
「これだけの偽造を、束ねれば」
「私文書偽造の、常習犯として、召喚できます。……規定により、囁き屋は、査問台に、立たされる」
囁き屋を、査問台へ。
声の届かない、数字だけの場所へ。
それは、ミレーヌにとって、いちばん、恐ろしいことのはずですわ。囁き屋は、影の中でしか、生きられませんもの。光の下に引きずり出されること自体が、彼女には、致命傷ですの。
召喚状は、配置名簿が示した居所へ、送られましたわ。
そして、査問の、前夜。
ミレーヌが、監査庁を、訪ねてまいりましたの。護衛付きで。逃げも隠れも、せずに。
意外でしたわ。
あの、逃げ足の速い人が、自分から、光の下へ、歩いてきましたの。
「奥様。……いいえ。監査官殿」
ミレーヌの顔から、砂糖菓子の仮面が、少しだけ、剥がれておりましたわ。初めて見る、素顔に近い顔で。
「わたくし、逃げるのに、疲れましたの」
「あら」
「配置される人の、末路を、ご存じ? 使い終わった駒は、盤から、下げられますのよ。……静かに。誰にも、気づかれないように。わたくし、次が、自分の番だと、わかっておりますの。だから」
ミレーヌは、私を、まっすぐに、見ましたわ。
「取引を、いたしませんこと、監査官殿。わたくし、大蔵卿のことを、洗いざらい、お話しいたしますわ。人事費の出どころも。誰に囁けと命じられたかも。……その代わり、わたくしの身を、監査庁で、庇ってくださいませ。盤から、下げられる前に」
寝返り。
囁き屋が、盤を動かす手を、売りに来ましたの。
私、しばらく、彼女を、見ておりましたわ。
この人は、私の八年間を、奪った人ですわ。私の結婚を、離縁を、任務として、お膳立てした人。憎むべき、宿敵ですの。
けれど、今、目の前にいるのは。
盤から下げられるのを、怯えている、一人の、駒でしたわ。
「……お話は、査問台で、伺いますわ」
私は、静かに、申しましたの。
「そこでなら、あなたの証言は、記録に残りますわ。記録に残れば、誰も、あなたを、勝手には下げられませんの。数字は、消せませんもの。……それが、私にできる、いちばん確かな、庇護ですわ」
ミレーヌは、ほんの少し、笑いましたわ。今度は、砂糖菓子ではなく、本物の、疲れた笑みで。
「……あなた、変わった監査官ですこと。宿敵に、庇護を、約束なさるなんて」
「監査官は、罪を裁きますの。人を、憎むのは、仕事の外ですわ。……それに」
私は、扇を、閉じましたの。
「あなたを勝手に下げさせないことが、いちばん、大蔵卿に、効きますのよ。あなたの声を、記録に変えれば——囁きは、囁いた本人ではなく、囁かせた本人に、返りますの」
ロザリンドの反撃ですわ。声で戦う囁き屋を、偽造した「紙の罪」で縛り、査問台という光の下へ。「囁きは、囁かせた本人に返る」——大蔵卿へ返す、返し技ですの。
そして、ミレーヌが、自分から寝返りを申し出ましたわ。逃げるのに疲れた、盤から下げられる前に、と。宿敵でありながら、盤の上では同じ「駒」だった彼女に、ロザリンドは庇護を約束します。憎むのは仕事の外、と。
……けれど、この約束が、果たされるかどうかは。次話で、わかりますわ。証言の前夜に、何が起きるのか。
次話、いよいよ査問。「それでは、決算を申し上げますわ 〜囁き屋の追徴〜」。
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