第32話:裁いた相手も、同じ帳簿の駒でしたの
オルロ司教の私室から押収された品は、監査庁の卓に、山と積まれましたわ。
黄金の燭台。宝石をあしらった聖印。異国の絨毯。清貧の義務を負う聖職者の私室とは、とても思えぬ、贅の限りですの。それらは、目録に付して、孤児院再建の財源へ。
私が目を留めたのは、それらではございませんでしたわ。
豪奢な品々の陰に、隠すように仕舞われていた、一冊の、地味な帳面ですの。
開いて、私は、指を、止めましたわ。
——灰色の、通い帳。
北の塩でも、南の港でも、元・我が家でも、私が見てきた、あの灰色ですわ。同じ紙。同じ綴じ。同じ、寒々しい灰色の表紙。
「セドリック様。フィー」
二人が、覗き込みましたわ。
帳面には、司教が、誰かに支払った金額が、几帳面に、記されておりましたの。毎月末に。あの、月末ですわ。全案件に共通する、灰色の帳元の、集金日。
そして、最後の頁に。
受取の、署名の代わりに、一つの印。
「G」。
灰色の封筒に押されていた、あの印と、同じ。
「司教も……」
フィーが、呆然と、呟きましたわ。
「司教も、灰色の、帳元に、お金を、払っていたんですか? 司教が、いちばん、悪いんじゃ」
「いいえ、フィー」
私は、ゆっくりと、帳面を、閉じましたわ。
「オルロ司教は、いちばん悪い人では、なかったのですわ。……この人もまた、『上』に、上納していた側ですの。免税で集めた金の、いくらかを、毎月末、『G』へ。私たちは、灰色台帳の、駒を一つ、裁いただけ。……大きな帳簿の、一つの頁を、めくっただけですのよ」
北の塩のベルマン子爵。
南の港のドラクロワ伯爵。
元夫、クレメンス。
そして今度は、聖なる司教。
身分も、罪の手口も、まるで違いますのに。
四人とも、同じ「G」に、上納しておりましたの。
私は、これまで、四人の悪人を、裁いてきたつもりでしたわ。
けれど、違いましたの。
私は、四つの、駒を、裁いただけ。
盤の上には、まだ、駒が並んでおりますわ。数え切れぬほど。そして、盤を動かしている手は——まだ、顔を、見せてはおりませんの。
監査官の性で、私、ぴったり合う数字を見ると、疑いますでしょう。
この、あまりに整った構図。あまりに広い、灰色。……疑えば疑うほど、背筋が、寒くなりますのよ。
「敵が、大きすぎますわね」
セドリックが、珍しく、静かな声で申しましたの。いつもの早口では、ございませんでしたわ。
「一件、また一件と裁くたびに、敵の輪郭が、大きくなっていく。……これは、貴族一人を裁くのとは、違う。国の、骨に絡んだ、蔓です」
「ええ」
私は、灰色の帳面を、証拠棚に、そっと、収めましたわ。北の塩のときの帳面と、南の港のときの帳面と、並べて。灰色が、三冊、並びましたの。寒々しい、書架ですこと。
「けれど、蔓には、必ず、根がございますわ。根には、それを植えた、手が。……四つの駒が、みな『G』へ上納していたのなら。その『G』が、どこで、どうやって免税を『認可』させていたか。認可の決裁ラインを、遡ればよろしいのですわ」
免税を、証明もなく認可した、財務局の手。
その認可印の、最後に判を押した者を、遡っていけば。
いつか、盤を動かす手に、届きますの。
「認可の、最終印」
私は、呟きましたわ。
「それを持っていた人物を、辿りますわ。……財務局の、古い認可記録を、開かなくては」
その夜、殿下の執務室で、私は、その旨を、申し上げましたの。
殿下は、しばらく考えて、ふと、おっしゃいましたわ。
「財務局の古い認可記録か。……ならば、一人、訪ねるべき人物がいる。今の財務局の者に聞いても、口を噤むだけだ。だが、あの方なら」
「あの方?」
「先代の、監査庁総裁だ。ヴァルター・グリム殿。監査という制度そのものを、この国に作った、伝説の御方でな。……今は引退して、王都のはずれで、静かに暮らしておられる」
殿下は、少し、懐かしそうな顔を、なさいましたわ。
「俺が監査庁を興すとき、いろいろと、教わった。認可記録の読み方なら、この国で、あの方の右に出る者はいない。……それに」
殿下は、私を、見ましたの。
「グリム殿は、君の祖父上——オーギュスト殿の、古い盟友だ。会えば、灰色の、古い話を、聞けるかもしれん」
祖父の、盟友。
灰色を、三十年前から知る、人。
私、その名を、胸の内で、そっと、繰り返しましたわ。
ヴァルター・グリム。
なぜでしょう。
その名を聞いた瞬間、監査官の性が——ほんの少しだけ、ざわめきましたの。
勝ったのに、後味が苦い。裁いた司教すら、同じ灰色台帳の駒でしたわ。四つの案件、四つの身分、四つの手口——けれど、上納先は、みな同じ「G」。ロザリンドは、悪人を裁いていたのではなく、大きな帳簿の頁を、めくっていただけでしたの。
そして次話、いよいよ、あの御方が登場しますわ。先代監査庁総裁、ヴァルター・グリム。祖父の盟友にして、監査制度の父。灰色を、三十年前から知る人。
……ロザリンドの監査官の性が、なぜ、その名にざわめいたのか。それは、いずれ、わかりますわ。
ブックマークと評価、どうぞよろしくお願いいたしますわ。第2部、いよいよ核心へ。




