第31話:それでは、決算を申し上げますわ 〜聖アガタの追徴〜
合同審理、二日目。
昨日より、傍聴の貴族が、増えておりましたわ。名簿に名を連ねた者たちですの。皆、自分の名が読み上げられ、脱税者として断罪されるのを、恐れておりますわ。中には、逃げ支度を整えた者も。
オルロ司教は、その怯えを、盾にしておられましたの。名簿を人質に、私が動けぬと踏んでおられるのですわ。
私は、証言台の前に立ち、静かに、一礼いたしましたの。
「それでは——決算を、申し上げますわ」
法廷が、しんと、静まりましたの。
この一言が、様式ですわ。これから、数字が、裁きを下しますの。
「聖アガタ大聖堂・慈善免税。過去五年。帳簿上の寄進、総額六十万クローネ。うち、孤児院・救貧院への実支出は、五年で、わずか三千クローネ」
私は、フィーの持ってきた「本当の帳簿」を、掲げましたわ。
「差額、五十九万七千クローネ。これが、慈善の名を借りて、免税として国庫から逃れ、あるいは、司教の私財として消えた額ですわ」
五十九万七千クローネ。
平民の年収、およそ三十クローネ。……ざっと、二万年分ですの。孤児院の子供、四十二人が、生涯、腹いっぱいパンを食べても、使い切れぬ額ですわ。
その額が、冷えた暖炉の、灰の下に、埋もれておりましたの。
「ですが、猊下は、こうおっしゃいました。この免税を不正と裁けば、寄進した貴族の半分が、脱税者になる、と。名簿を、人質になさいましたわね」
貴族たちが、身を、固くしましたわ。
「ご安心なさいませ、皆様」
私は、傍聴席へ、微笑みかけましたの。
「名簿は、公表いたしませんわ」
法廷が、どよめきましたの。司教の眉が、動きましたわ。
「寄進なさった貴族の多くは、免税の仕組みが不正だとご存じなく、猊下の言葉を信じて寄進なさった。……その方々を、一度に晒し者にするのは、監査ではございませんの。それは、狩りですわ。私は、狩人ではございませんの。監査官ですわ」
私は、扇を、閉じましたの。
「ですから、寄進なさった貴族の皆様には、後日、個別に、追徴のご案内を差し上げますわ。逃れた税を、静かに、一人ずつ、耳を揃えてお納めいただきます。晒し者にはいたしませんけれど——一クローネも、見逃しませんの。ご安心なさって」
名簿を人質に取った、その人質を。
私は、名簿を開かずに、一人ずつ、丁寧に、解放してみせましたの。狩りではなく、決算として。
これで、司教の、最後の盾は、消えましたわ。
「さて。猊下」
私は、司教に、向き直りましたの。
「あなたの罪状を、二つ、申し上げますわ」
「……ほう」
「ひとつ。免税詐取。慈善への充当証明もなく、財務局の認可を金に換え、五十九万七千クローネの税を、国庫から逃れさせた。これは、王国法の罪ですわ。教会法廷には、裁けませんの。ゆえに、王国監査が、これを追徴いたします」
「ふたつ」
私は、あの、拙い字の帳面を、そっと、卓に置きましたわ。
「聖職者の、清貧の義務違反。孤児のパンを削り、救貧の名で私腹を肥やした。これは——王国法ではなく、教会法の罪ですわ。俗世の私には、裁けませんの。ですから」
私は、壇上の、陪席司祭たちを、見上げましたわ。
「これは、あなた方が、お裁きくださいませ。教会が、教会の罪を。神の家の帳簿は、神の家の手で、綺麗になさるべきですわ。……私は、そのために、証拠を、すべてお渡しいたします」
陪席司祭たちの顔が、青ざめましたの。オルロ司教の罪は、もはや、教会が庇いきれる大きさではございませんでしたわ。庇えば、教会そのものが、共犯になりますもの。
王国法と、教会法。
二つの刃で、同時に。
どちらの逃げ道も、私は、先に、塞いでおきましたの。
「オルロ・ヴァレンス」
陪席の、最年長の司祭が、震える声で、宣告なさいましたわ。
「聖職を、剥奪する。私財は、没収の上——聖アガタ孤児院の、再建に、充てる」
オルロ司教は、崩れ落ちる、ということはございませんでしたの。
ただ、長いこと、冷えた暖炉のあった方角を、見つめておられましたわ。そして、ぽつりと。
「……私は、ただ、教会を、富ませたかっただけだ」
「いいえ、猊下」
私は、静かに、申しましたわ。
「あなたが富ませたのは、教会では、ございませんの。ご自分の、金庫ですわ。……その違いを、三十年、間違え続けたのが、あなたの、罪ですのよ」
その晩。
聖アガタ孤児院の暖炉に、初めて、薪がくべられましたわ。没収された司教の私財から、真っ先に運ばれた、薪ですの。
四十二人の子供が、暖炉を囲んでおりましたわ。
フィーが、その中に、しゃがみ込んで。小さな子に、そっと、何か、囁いておりましたの。
私、遠くから、それを、見ておりましたわ。
監査は、数字の仕事ですけれど。
時々、数字の向こうに、暖炉の火が、見えることが、ございますのよ。
「数字は、嘘を吐きませんの」
私は、ひとりごちましたわ。
「けれど、たまには——こんなに、温かいものも、照らしますのね」
聖アガタの、決算ですわ。追徴総額、五十九万七千クローネ。名簿を人質に取った司教の盾を、名簿を開かずに解いてみせるのが、今回のロザリンドの手際でしたの。狩りではなく、決算として。
そして、冷えていた暖炉に、初めての薪。フィーの古巣が、救われましたわ。「数字の向こうに、暖炉の火が見える」——このお話の、いちばん温かい一行を、書けた気がいたしますの。
……ですが、監査は、まだ終わっておりませんのよ。司教の私室から、押収したものの中に。灰色の、あの印が。
次話、裁いた相手すら、同じ帳簿の駒だった——という、冷たいお話ですわ。
ブックマークと評価、どうぞよろしくお願いいたしますわ。




