第26話:神様は、領収書をお切りになりませんの
第2部の、はじまりですわ。今度の監査先は、この国でいちばん「疑ってはいけない」とされている場所ですの。
王室財務局の書庫は、監査庁の三倍はございましたわ。
天井まで届く棚に、革表紙の帳簿がびっしりと。ここが、この国の税のすべてが集まる心臓ですの。そして今日から、その心臓を、私が拝見させていただくことになりましたわ。
陛下の直命による、王室財務局の特別会計検査。王国史上、初めて。
その初日ですの。
「殿下。まず、どこから開きましょうか」
私は、ずらりと並んだ棚を見上げながら、隣の殿下に尋ねましたわ。殿下は腕を組んで、帳簿の山を睨んでおられます。相変わらず、数字を見るお顔は、戦場で敵陣を睨むお顔と同じですのね。
「……見当もつかん。だから君が要る」
「あら、頼りにされておりますこと」
「本気で言っている」
殿下は、大真面目ですわ。この方は、お世辞というものをご存じないのですの。
いきなり機密費口座に踏み込めば、大蔵卿マルバス侯爵に警戒されて、証拠が消えますわ。相手は徴税の元締め。こちらの動きなど、棚の一段を抜いた瞬間に伝わりますの。
ですから、初手は、いちばん目立たない棚から。
「免税認可の綴りを、拝見しますわ」
「免税、だと?」
「ええ。免税というのは、本来なら国庫に入るはずのお金を、入れなくてよいと国が許すこと。……つまり、国庫から見れば『出ていったお金』と、同じですの。ところが免税は、帳簿の上では『はじめから無かったお金』として扱われますわ。だから、いちばん、隠しやすいのですのよ」
入ってこなかったお金は、誰も数えませんの。
誰も数えないお金こそ、監査官が数えるべきお金ですわ。
フィーが、山のような綴りを台車で運んでまいりました。
「ろ、ロザリンド様。免税認可、去年の一年分だけで、こんなに……」
「ご苦労さま。では、金額の大きい順に並べてくださる?」
「はいっ」
フィーの指が、紙の束の上で踊りますの。この子の暗算は、いつ見ても気持ちがよろしいですわ。数字だけは、貴族の令嬢よりよほど流暢に扱いますのよ。
やがて、いちばん上に置かれた一綴り。
私は、その表書きを読み上げましたわ。
「——聖アガタ大聖堂。慈善免税。年、十二万クローネ」
書庫が、しんとしましたわ。
十二万クローネ。平民の年収が、およそ三十クローネですから——四千人分の暮らしが、一年で、税を免れておりますの。
「慈善への寄進は、免税。王国法で、そう定められておりますわね、セドリック様」
棚の陰から、セドリックが顔を出しましたわ。この方も、書類の匂いを嗅ぎつけると、どこからでも湧いてまいりますの。
「王国税法第九条。慈善・救貧を目的とする寄進は、これを課税対象より除く。……由緒正しい、善き条文です。孤児院や救貧院を、税で潰さないための」
「善き条文ほど、悪用のしがいがございますのよね」
私が指先で綴りをめくったとき、背後で、小さな音がしましたわ。
フィーが、台車の取っ手を、握りしめておりましたの。
「フィー?」
「……聖アガタ、って」
この子が、こんな声を出すのを、私は初めて聞きましたわ。数字を読むときの、あの明るい声ではございませんの。
「わたし、そこにいました。孤児院に。……出納係を、していたんです。九つから、十四まで」
私は、綴りをそっと閉じましたわ。
フィーの過去を、私は詳しくは存じませんでしたの。監査庁に来る前は孤児院育ち、とだけ。まさか、それが。
「フィー。落ち着いて、教えてくださる。この帳簿には、聖アガタ孤児院へ、年に十二万クローネの寄進があった、と書いてございますわ。……あなたのいた頃、そんなお金は」
フィーは、首を横に振りましたわ。強く、強く。
「来ていません」
その声は、噛んでおりませんでしたの。
「一度も、来ていません。冬は薪が足りなくて、小さい子から風邪をひいて。パンは、一日、半分。……なのに、わたしが書かされた帳簿には、毎月、大きな寄進が、ずっと」
フィーの指が、宙で、見えない数字をなぞりましたわ。
「入ってこないお金を、入ってきたことにして、書くんです。書かないと、院長先生が、司教様に叱られるから」
——書かされた。
九つの子が。
私の胸の奥で、いつもの、静かな怒りが、ゆっくりと立ち上がりましたわ。私、怒ると、丁寧になりますの。今、たいそう丁寧な気分ですわ。
「殿下」
「ああ」
「聖アガタ大聖堂を、拝見してまいります」
「相手は教会だ。庁の後ろ盾では、足りんぞ。……大聖堂は、王家の菩提寺でもある」
「存じておりますわ。ですから、面白いのですの」
私、扇を開きましたわ。
「神様は、寄進の領収書を、お切りになりませんでしょう。ならば——誰かが、代わりに、切っていたはずですわ。その手を、拝見させていただきますわね?」
第2部、開幕ですわ。今度の相手は、聖なる免税——神様の名前で隠された、俗なお金の話ですの。
そして、フィーの過去に、いよいよ触れてまいりますわ。あの子がなぜ「数字を誤魔化す大人」を、あんなに静かに憎むのか。
次話、ロザリンドとフィーは、フィーの古巣・聖アガタ孤児院へ向かいますわ。帳簿には温もりが、暖炉には薪が——さて、どちらが正しいのでしょうね。
ブックマークと評価、第2部の何よりの軍資金ですの。どうぞよろしくお願いいたしますわ。




