第25話:第一部・完 「G」の印は三十年前から
王都へ戻る馬車の中で、私は、三つの案件の書類を、膝の上に広げておりましたの。
北の塩。南の港。そして、元・我が家。
別々に始まった三つの監査は、終わってみれば、同じ一冊の帳簿の、別々の頁でしたわ。
「整理しますわよ。フィー、お願い」
「はいっ。えっと——貴族に不正をさせて、上前を撥ねる仕組みが、王国のあちこちにあります。集金は月末。記録は灰色の帳面。指示は灰色の封筒。働き手は、ミレーヌ様みたいな『配置される人』と、公証人ヴァイスみたいな『紙を整える人』。それで、お金の最後の行き先が、王室財務局の機密費口座……」
「即ち、徴税の元締めの中に、脱税の元締めが棲んでいる」
セドリック様が、引き継ぎましたわ。
「最悪の構図です。徴税記録を握る側なら、どの貴族が脆いか、どの領地が監査されにくいか、全部見える。……保証人の印章の件で、八年前から動いていたのは確実。いや」
「もっと前から、ですわ」
私は、書類の間から、一枚の古い写しを取り出しましたの。
筆跡照合の報せと同じ早馬で、監査庁に残る同僚が、王都の公証人組合の古い記録庫から探し出してくれたものですわ。
「東方交易組合の印章登録、最初の届け出は——三十一年前ですの」
馬車の中が、静まりましたわ。
「三十一年前!? 八年どころじゃない……」
「ええ。この『組合』は、私の結婚のために作られたのではございませんの。三十年以上、王国のどこかで、ずっと使われてきた道具ですわ。私の縁談は、長い長い元帳の、途中の一行にすぎませんのよ」
三十一年前と申せば、マルバス侯爵が財務局に入られた頃と、ぴたりと重なりますわ。
……重なりすぎて、かえって、引っかかりますの。
監査官の性ですわね。ぴったり合う数字を見ると、まず疑いますのよ。
王都の監査庁では、殿下が——いえ、庁の皆様総出で、お出迎えくださいましたわ。
発足三年目の小さな役所は、三件の大査問を経て、もう「成果ゼロの窓際部署」ではございませんの。机が八つから十四に増えて、廊下まで書類の山ですわ。よい眺めですこと。
その晩、殿下の執務室で、最後の報告をいたしましたの。
「——以上ですわ。機密費口座の捜査には、財務局そのものへの監査令状が要りますの。相手は大蔵卿。庁の権限では、届きませんわ」
「ああ。だから、兄上に話を通した」
殿下は、一通の書状を、机に置かれましたの。
王の印璽ですわ。
「『王室財務局に対する特別会計検査』。陛下の直命だ。王国史上、初めてになる。……受けるか、監査官殿。相手は王宮で、敵の数は不明、こちらの武器は帳簿だけだ」
「あら」
私、扇を開きましたわ。
「いつもと、同じですわね」
「ふ。……そう言うと思った」
帰り際、ふと、殿下が窓の外を見ながらおっしゃいましたの。
「ロザリンド。一つ、気になっていることがある。財務局の古株に、君の祖父を知る者がいた。オーギュスト殿は、亡くなる前の冬、財務局に何度も日参していたそうだ。『古い口座のことで、確かめたいことがある』と言って」
——お祖父様が?
亡くなる前の、冬に?
「その古株は、こうも言っていた。『オーギュスト殿は、最後に来た日、ひどく顔色が悪かった。帰り際、妙なことを呟いていた』と」
「……何と、呟いておりましたの」
「『灰色は、三十年前から灰色だった』——だ、そうだ」
馬車の事故の、ひと月前ですわ。
私は、鞄から、銀のインク壺を取り出しましたの。
祖父の形見。私が唯一、あの家から持ち出したもの。八年間、毎晩の帳簿付けを共にした、相棒ですわ。
インク壺の底に、祖父の字で、小さく彫られた家訓がございますの。
『数字は嘘を吐かない』——
今夜は、その彫りが、いつもと違って見えましたのよ。
まるで、続きがあるかのように。
お祖父様。
あなたは、十二年前、何の帳簿を開いてしまわれましたの?
——第一部・完——
第1部「監査官就任編」、全二十五話、これにて締めとなりますわ。最後までお付き合いくださり、心より御礼申し上げますの。
離縁から始まった監査官の道は、次の第2部で、いよいよ王宮の中枢——大蔵卿の金庫と、三十年前の「灰色」へ踏み込んでまいりますわ。
祖父の死の謎、インク壺の秘密、そして「あれの手際をよく知っている」と書いた帳元の正体。お楽しみに。
ブックマークと評価、第2部への何よりの軍資金ですの。どうぞよろしくお願いいたしますわ。




