第21話:領民の帳簿には、私が残っておりましたの
監査には、領民の聞き取りという工程がございますの。
税の取り立てが正しく行われていたか、納めた側の記録と突き合わせますのよ。
領都の市場で、粉屋の店先で、橋のたもとで。
私は、八年ぶりに、領民の皆様と向き合いましたわ。
「……奥様? 奥様でねえか!」
最初に気づいたのは、水車小屋のハンスでしたの。
「いやあ、奥様、ようやく戻って——あ、いや、その、今は監査官様で」
「ええ、監査ですの。お宅の納税の控えを拝見したいのですけれど」
「控え? ありますあります。奥様に教わった通り、ぜんぶ取ってありますよ」
ハンスが持ってきた木箱には、八年分の納税控えが、年ごとに紐で括られておりましたわ。
木箱には、蓋がございませんでしたの。粉の袋を載せる台に、なさっておりましたのね。
それでも紐は八本、年ごとに分けてございましたわ。……教えましたのは、括り方ではございませんのよ。捨てるな、と申し上げただけですの。括り方は、この方がご自分でお考えになりましたわ。
「六年前の凶作の年、奥様が『控えだけは捨てるな、いつかお前を守る』って。村中に言って回ったでしょう。だからうちの村、みーんな取ってあります」
……申しましたわね、そういえば。
あの年、税の二重取りをする代官がおりましたの。控えさえあれば、突き返せますから。
あの代官を、私、罷免いたしませんでしたのよ。証拠が足りませんでしたもの。
代わりに、村中に控えを取らせましたわ。……取り立てる側を止められないときは、取り立てられる側に、紙を持たせますの。紙を持っている村からは、二度は取れませんわ。
聞き取りは、三日間続きましたわ。
そして、どこへ参りましても、同じことが起きましたの。
パン焼き場の寡婦は、「奥様の帳簿教室」の帳面を、まだ使っておりました。冬の間、領の女たちに、私が読み書きと計算を教えていた、あの納屋の教室ですわ。
橋番の老人は、「奥様が架け替えの予算を通してくれた橋だ」と、欄干を叩いてみせました。
教会の若い司祭様は、孤児院の出納帳を見せてくださいましたの。「先代の司祭から、『この帳面の形式は公爵夫人がお作りになった。変えるな』と」
開いて、少し、可笑しゅうございましたわ。
私の作りました形式は、右の欄が広すぎますのよ。当時、備考にいろいろ書きたかったものですから。……八年経っても、どなたも直しておられませんの。使いにくいまま、写し続けておられますわ。
直してくださって、よろしいのですけれど。
「……ロザリンド様」
三日目の帰り道、フィーが、ぽつりと申しました。
「この領地、ロザリンド様だらけ、です」
「あら、何ですの、それ」
「だって、ほんとにそうなんです。水車小屋にも、パン焼き場にも、橋にも、孤児院にも……帳簿の形で、ぜんぶ、残ってます。八年間って、消えてなかったんです。あの……わたし、上手く言えないんですけど」
フィーは、立ち止まって、ぐす、と鼻を鳴らしましたの。
「公爵様は、ロザリンド様を帳簿から消したけど。領地の帳簿は、誰にも消せてません」
消せない、というのはね、フィー。
私が偉かったからでは、ございませんのよ。帳簿というものが、そういう作りをしておりますの。一度書いた行は、消さずに、次の行で訂正いたしますでしょう。ですから、前の行が残りますわ。
……八年ぶんの行が、この領地に、残っておりますのね。誰が書いたかは、もう、どうでもよろしいのですけれど。
……まったく。
この子は、本当に。
私が八年かけても合わせられなかった勘定を、一言で、合わせてしまいますのよ。
「フィー。あなた、お給金を上げて差し上げますわ」
「え、なんでですか!?」
「査定ですの。黙ってお受けなさいな」
夕暮れの丘から、領都が一望できましたわ。
水車が回って、パン焼き場の煙が上がって、橋を荷馬車が渡っておりますの。
離縁された夜、私、自分の八年間を「無給の損失」と記帳いたしましたのよ。
訂正いたしますわ。
あれは損失ではなく——投資、でしたの。配当が、こんなにも、そこら中で回っておりますんですもの。
__________
【監査手帖】(私用の頁ですわ)
訂正記帳:八年間の評価額。
誤)無給労働、回収済み。
正)長期投資、配当継続中。償還、不要。
__________
——そして、聞き取りの最終日。
納屋の教室で帳簿を教えた寡婦の一人、マルタが、人払いを求めてまいりましたの。
「奥様。……これ、言っていいものか、ずっと迷ってたんだけども」
「ええ」
「うちの人、屋敷の納屋番をしてるでしょ。先月の晩、見たんだって。新しい女主人様……ミレーヌ様が、夜中に一人で、古文書庫に入っていくのを。蝋燭も持たないで、勝手知ったるふうに、すいすいと」
「古文書庫に? あの方が?」
「それでね、出てきたとき、手ぶらだったって。何かを置いてきたみたいだった、って言うんだよ」
古文書庫。
先々代からの権利証書や、古い契約書の眠る部屋ですわ。私でさえ、八年で数えるほどしか入りませんでしたの。
何かを、持ち出したのではなく。
——置いて、きた?
湿っぽい回とお伝えしましたのに、最後はまた、きな臭くなってしまいましたわ。
次話、古文書庫を開けますの。それと——殿下が、十年間しまっていらした「書類」も、開きますのよ。
ブックマークと評価、配当のおすそ分けにいただけますと嬉しいですわ。




