第20話:大蔵卿のご訪問、お茶は出しませんわ
その方は、先触れも最小限に、四頭立ての馬車で乗り付けてまいりましたの。
マルバス侯爵。
王国大蔵卿。国庫と徴税を三十年束ねる、「王国の金庫番」ですわ。
「これはこれは、噂の女監査官殿」
六十手前。豊かな白髪交じりの髭。指に大ぶりの印章指輪。声は柔らかく、目は——一度も、笑っておりませんでしたわ。
「北に南に、たいへんな働きぶりだそうで。陛下も王弟殿下も、ずいぶんご執心だ」
「恐れ入りますわ。本日は、どのようなご用件で?」
「なに、通りすがりの様子見ですよ。……というのは建前でしてな」
侯爵は、応接間の椅子に、どっかりと腰を下ろしました。誰も勧めておりませんのに。
「単刀直入に申し上げよう。グランツベルク家の監査、即刻、打ち切っていただきたい」
まあ。単刀直入ですこと。
「理由を伺っても?」
「第一に、管轄だ。債務繰延の審査は、本来、我が王室財務局の専管。監査庁の介入は、越権の疑いがある。第二に、外聞だ。離縁された前夫人が、元の婚家を職権で漁る——王宮の品位に関わる醜聞ですな。第三に」
侯爵は、声を一段、落としましたの。
「……これは、老婆心からの忠告だが。公爵家の債務の貸し手筋には、王国の国債の引き受けにも関わる、大切な資金源がおられる。監査庁が踏み荒らせば、国庫の信用にひびが入る。塩や港の小悪党とは、わけが違うのですよ」
セドリック様の眉が、ぴくりと動きました。
越権、醜聞、ときて、三つ目だけ——内容が、具体的すぎますのよ。
「侯爵様。一つ目のご懸念から、お答えいたしますわ。本監査は陛下の裁可を経た監査庁の正式案件。令状の写し、ご覧になります?」
「……ふむ」
「二つ目。私の醜聞でしたら、ご安心を。あれ以上焼かれる評判は、もう手元にございませんの。すっかり身軽ですわ」
「……口の回る」
「三つ目ですけれど」
私は、にっこりいたしました。
「『公爵家の債務の貸し手筋』と仰いましたわね。あら、不思議ですこと。当家の借入は、帳簿に貸し手の記載のない、簿外の借入ですのよ。——侯爵様は、どうして、貸し手がどなたか、ご存じですの?」
部屋が、しん、といたしました。
侯爵の目が、初めて、まっすぐ私を見ましたわ。
値踏みする目ですの。私、あの目を存じておりますのよ。査定する側の、目ですわ。
「……言葉の綾ですよ、監査官殿」
「左様でございましょうとも。帳簿に載らないものは、存在しないも同然ですものね。……私、存在しないものを調べるのが、本業ですけれど」
侯爵は、ゆっくりと立ち上がりました。
「ファルケンラート、といったか。……その名、昔、どこかで聞いたな」
「祖父が、徴税請負人として、王室財務局に出入りしておりましたわ。オーギュスト・ファルケンラートと申しますの」
「——ああ」
その「ああ」の、なんと滑らかだったこと。
滑らかすぎて、かえって、引っかかりましたのよ。まるで、答えを、あらかじめ用意していたかのように。
「気の毒な事故だったな。雨の夜の、馬車の」
……私、祖父の亡くなり方を、まだ申し上げておりませんわ。
「監査官殿。賢いお人のようだから、最後にもう一度だけ」
侯爵は、戸口で振り返りました。
「帳簿には、開いてよい頁と、開いてはならぬ頁がある。これは脅しではない。三十年、王国の金庫を預かった者の、経験則ですよ」
馬車の音が遠ざかってから、セドリック様が、長く息を吐きました。
「……大蔵卿が、直々に。これで確定しましたね。この案件の底は、王宮に通じている」
「ええ。それと、もう一つ、収穫がございましたわ」
私は、手帖を開きました。
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【監査手帖】
・侯爵は「貸し手筋」を知っている。簿外のはずの貸し手を。
・祖父の死を「雨の夜の馬車の事故」と言った。
——詳細は、こちらから一度も、申し上げておりませんのに。
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十二年前の、雨の夜。
お祖父様。あなたの事故の頁を、開いてはならぬと仰る方が、いらっしゃいましてよ。
でしたら——その頁から、開きますわ。
いいえ。順番ですわね。まずは、目の前の決算から。
けれど、付箋は、貼らせていただきますの。
大物の登場ですわ。お茶を出さなかった無礼は、いずれ利息付きで請求されるでしょうけれど。
次話、少し息を整えて、領民の皆様の帳簿を巡りますの。八年間の、答え合わせのお話ですわ。
ブックマークと評価、大蔵卿には内緒でお願いいたしますわね。




