第19話:奥様の椅子の、座り心地
「うれしい! ロザリンド様と、いつかゆっくりお話ししたかったんですのよ」
南向きの陽光の間。ミレーヌ様は、女主人の席で、紅茶を注いでくださいましたわ。
この部屋のお茶器を選んだのは私ですし、カップの欠けを底側に向けてお出しする給仕の癖まで、昔のままですけれど——ええ、黙っておりますわ。
「監査のお仕事って、大変ですのねえ。朝から晩まで、埃っぽいお部屋で数字ばかり。お肌に悪くてよ?」
「お気遣い、痛み入りますわ」
「わたくしね、ロザリンド様のこと、ずっとお気の毒だと思っておりましたの。クレメンス様ったら、ひどいでしょう? 八年も働かせて、ぽい、ですもの。……ですから、お仕事が見つかって、本当によかった」
にこにこ。にこにこ。
砂糖菓子のような笑顔の合間に、計量された棘を、一本ずつ。
半年前の私でしたら、黙って飲み込んだでしょうね。ですが、私、転職いたしましたの。
「ミレーヌ様こそ、ご立派ですわ」
「あら、何が?」
「お支度ですわ。本日のドレスは王都のドレウェット工房の今季もの、お値段にして八百クローネ。耳元の真珠が対で六百。指のダイヤは、家のものですから別として——半年で、お衣装代だけで一万二千クローネほどお使いですわね」
にこにこ、が、一瞬だけ、止まりましたわ。
「……まあ。女性の支度のお値段を数えるなんて、無粋ですこと」
「職業病ですの。ご容赦くださいませ。……不思議なのはね、ミレーヌ様。その一万二千クローネが、この家の帳簿の、どこにも書かれていないことですのよ」
「クレメンス様が、贈ってくださいますもの」
「ええ。ですからクレメンス様は、どの帳簿から、お贈りになったのかしら。当家の支出には、ございませんの。あなたのご実家——失礼ながら、男爵家の家計でもございませんわね。となると、第三の帳簿から、ということになりますの」
ミレーヌ様は、カップを置きました。
かちり、と。音が、それまでより、ほんの少しだけ硬うございましたわ。
「……ロザリンド様って、本当に、数字がお好きですのね」
「ええ、大好きですのよ」
「クレメンス様が仰ってたわ。『あれは人を見ないで数字を見る女だ』って。だから捨てられるんですわ。……わたくしは、数字なんて見ませんの。人を見ますのよ。殿方の寂しさとか、見栄とか、弱さとか。そちらのほうが、ずっとよく、お金の在処を教えてくださいますもの」
——あら。
いまのは、棘ではございませんわね。本音ですわ。
それも、ずいぶんと、年季の入った。
「ご明察ですこと」
私は、紅茶を一口、いただきましたわ。
「でしたら、ミレーヌ様。あなたのその技術は、どなたに教わりましたの?」
「…………」
「殿方の弱さからお金の在処を辿る技術。二十歳の男爵令嬢が独学なさるには、少々、体系立ちすぎておりますのよ。北の塩の隠し方や、南の検査札の設計と、同じ匂いがいたしますの。——よい先生をお持ちなのね?」
ミレーヌ様は、たっぷり三秒、私を見つめて。
それから、ふわり、と、いつもの笑顔に戻りましたの。
「うふふ。なんのことかしら。……ねえ、ロザリンド様。一つだけ、ご忠告して差し上げますわ。」
彼女は立ち上がり、すれ違いざま、耳元で。
「この家、もうすぐ沈みますの。沈む船の帳簿なんて調べて、巻き添えになっても知りませんわよ。……あなた、わたくしと違って、逃げ足、遅そうですもの」
「ご忠告、帳簿に載せておきますわ。……ところで、ミレーヌ様」
私も、立ち上がりました。
「奥様の椅子の座り心地、最高と仰いましたわね」
「ええ、最高ですわ」
「左様ですか。……その椅子、クッションの下の桟が一本、緩んでおりますのよ。八年間、ずっと。直す職人の手配は、毎年春ですの。今年は、どなたも手配なさっていないようですけれど」
にっこり、笑って差し上げましたわ。
「お気をつけあそばせ。古い家は、座り心地のよい場所から、軋みますのよ」
——その夜。
就寝前のフィーの報告が、お茶会の答え合わせをしてくれましたの。
「ミレーヌ様の侍女に聞き取りました。ミレーヌ様、月に二度、領都の教会へ『お祈り』に行かれます。でも、侍女は聖堂の外で待たされるそうです。それで、その、帰りにいつも——便箋の束が、一枚だけ減ってるって」
祈りの言葉は、便箋には書きませんのよね。
どなたかへの、月二回の、定期報告。
あの方、この家に「住んで」いるのではございませんわ。
「配置されて」おりますのよ。
猫かぶり対決、お楽しみいただけましたかしら。本音の棘が一本だけ、こちらの手元に残りましたわ。
次話、王都から、招かれざる大物が乗り込んでまいりますの。お茶は、出しませんことよ。
ブックマークと評価、お茶菓子代わりにいただけますと幸いですわ。




