2.港町
アルヴァニカの城外の南の港町。
昼下がりのカフェテラスのパラソルの下で、彼女は椅子に腰掛けていた。
サマリ・リセント。
それが彼女の名だ。
鳥のさえずりとさわやかな潮風、そんな陽気な日和にサマリはテーブルに突っ伏して書類を抱えたまま眠っていた。
彼女の周りには他の客たちが楽しげに会話を交わし、アイスティーを飲みながら静かな午後を楽しんでいた。
しかし、サマリは疲れ果てているようで眠りに落ちたままだった。その表情には何か重い責任や悩みが滲み出ているようにも見えた。
彼女の手には、未処理の書類が乱雑に広がっておりその中には重要な決定や責務を果たすための資料が詰まっていることだろう。
しかし、今は彼女の心も体も休息を求めているようだった。
眠るサマリの向かい側のテーブルに、相席する者が現れる。引かれる椅子の音とほんのりと漂う冷気のような香りに、サマリは寝ぼけながら目を覚ました。
「誰よ、この席はサマリ様が…使ってるでしょうが…」
目をこすりながら確かめると、北方地域に住むビスマス・エンシェントの姿が映る。
「な…あ、え?わぁっ!?」
サマリはビックリのあまり椅子ごと倒れてしまう。
「ちょっと!?なんであんたがここにいるのよ!?はぁ!?おばけ!?夢!?」
「失礼だな、私だって羽を伸ばしたいときだってあるさ。それよりも、派手にコケたけど大丈夫かい?」
サマリは顔を赤くして「平気よ」と返す。
サマリは座り直して、一呼吸置くようにため息をこぼす。
「今は話せるかな?」
「この書類の山を見たらわかるでしょ?」
ビスマスはニヤリと笑いながら話し始めた。
「まあ、書類は山ほどあっても、たまにはリラックスするのも大事さ。それにしても、この街は本当にいいね。潮風が心地よくて、料理も美味しいし、何よりカフェの雰囲気が最高だ。」
サマリは苦言を呈するように答える。
「確かに港町の雰囲気はいいけど、私はこの書類の山に埋もれているのよ。観光気分で楽しんでる暇なんてないわ。」
ビスマスは肩をすくめて笑った。
「そりゃあ大変だ。けど、少しは息抜きしないと体がもたないよ。どうだい、この書類を片付けるのを手伝ってあげた後に、美味しいディナーでもどうだい?」
サマリは一瞬ムッとしたように見えたが、次の瞬間にはため息をついて腕を組み直した。
「ここに来てまで書類整理をしてもらうのは気の毒だけど…まあ、仕方ないわね。話くらいは聞いてあげるわ。」
ビスマスは笑みを浮かべ、テーブルに身を乗り出した。
「それで十分さ。君の話を聞けるだけでも、今日は来た甲斐があるというものだ。」
サマリは少し照れくさそうに顔をそむけたが、心の中では少しほっとしていた。
「じゃあ、何から話すの?」
ビスマスは一瞬考え込んでから、にこやかに微笑んだ。
「まあ、まずは軽い話から始めようか。この街の料理、特にシーフードは絶品だって聞いたんだ。もう試してみた?」
サマリは少し笑いながら答えた。
「まだ試してないのよ。この書類のせいで、まともに食事もできてないんだから。でも、確かにこの街の評判は聞いてるわ。特に港の新鮮な魚介類が人気みたい。」
ビスマスは頷きながら言った。
「それなら、次の休みには一緒に試してみないか?おすすめのレストランがあるんだ。名前は『シルバーシーガル』って言うんだが、地元の人たちも絶賛してるんだ。」
サマリは少し驚いた表情で答えた。
「『シルバーシーガル』?聞いたことがあるわ。確か、あそこは予約が取りにくいって聞いたけど、どうやって手に入れたの?」
ビスマスは肩をすくめて笑った。
「実は、ここのオーナーが昔の友人なんだ。無理を言ってなんとか予約を取ってもらったんだよ。私が来ることを知って、ぜひ招待したいと言ってた。」
サマリは少し困惑しながらも、感謝の気持ちを表すように微笑んだ。
「そうだったのね。ありがとう、ビスマス。でも、本当にそんな贅沢していいのかしら?」
ビスマスはにっこりと笑って答えた。
「たまには贅沢してもいいんじゃないか?君はいつも頑張ってるんだから、少しくらい息抜きが必要だよ。君がこの街の発展にどれだけ貢献しているか、知っている人はみんな感心してる。」
サマリはその言葉に一瞬表情を和らげたが、すぐに微妙に顔を曇らせた。
「そんな大したことしてないわ。自分でもわかってるの。まだ許されてないって…なんてね。」
その冷めた言葉に、一瞬空気が凍りついたように感じたが、ビスマスはすぐに笑いを漏らした。
「そういう君も魅力的だよ、サマリ。そんな風に自分を追い詰めないで、少しは楽に生きる方法を考えてみたらどうだい?」
サマリはビスマスの笑顔に少し救われたように感じたが、まだ心の奥に残る重い思いを抱えながらも、微笑み返した。
「そうね…少しは考えてみるわ。」
ふとサマリは疑問を抱き、ビスマスに問いかけた。
「ところで、どうして私の居場所がわかったの?」
ビスマスは微笑みながら答えた。
「ここでは君の顔が広いからね。人に聞けばすぐにわかるよ。どこに行っても、君の話をする人がいるからね。」
サマリは顔を赤らめて不貞腐れた態度を取った。
「なによそれ…そんなに目立ってるつもりはないんだけど。」
ビスマスは微笑むように答えた。
「君が目立たないわけがないさ。それに、君がいる場所なら、みんな自然と話題にするよ。」
サマリは少し恥ずかしそうに顔をそむけたが、内心では少し嬉しかった。
「そう…まあ、ありがとう。でも次からはもう少し控えめにしてくれない?」
ビスマスは優しく頷く。
「わかったよ。でも、それが君の魅力だから抑えすぎる必要はないと思うよ。」
サマリは少しムッとした表情でビスマスを見つめ
「ほんと、あなたって人たらしよね。」
と少し間をおいて、彼女は笑みをこぼした。
その時、カフェの店員がビスマスに声をかけてコーヒーを持ってきた。
その時、カフェの店員がビスマスに声をかけてきた。
「お待たせしました、コーヒーです。」
「ありがとう。」
ビスマスは続けて店員に訊ねた。
「砂糖をお願いできるかな?」
店員は頷きながら、砂糖を持ってきた。
「どうぞ、ごゆっくり。」
サマリはその様子を見て、興味深そうに問いかけた。
「へー、砂糖を入れるのね?」
「駄目だったかい?」
ビスマスはコーヒーに砂糖を入れながら続けた。
「普段から紅茶にも砂糖を入れるし、甘いものが好きなんだ。」
サマリは少しイジワルそうな表情で彼を見つめた。
「コーヒーはどんな味がするのかしら?」
ビスマスは少し困ったように笑い、コーヒーを見つめた。
「さあ、飲んでみないとわからないね。」
サマリはニヤリと笑って言った。
「そうね、飲んだらわかるわ。」
ビスマスはカップを手に取り、ゆっくりと一口飲んだ。
「うん、悪くないね。少し苦いけど、砂糖がちょうど良く効いてる。」
サマリは満足そうに頷いた。
「そうでしょ?コーヒーってそんなものよ。」
彼女は書類をまとめて目を通し始めた。一つ一つ確認しながら、問題点がないかチェックし、サインをしていく。
一方、ビスマスはカフェのメニューを手に取って眺めていた。しばらくしてからサマリに問いかける。
「何か食べるかい?」
サマリは顔を上げずに答えた。
「いいえ、今は結構よ。」
サマリはビスマスがコーヒーを飲む姿を見て、内心で思った。
(やっぱり甘いものが欲しいんじゃないの?)
ビスマスはメニューの甘味の項目をわざと聞こえるように口に出して悩む様子を見せた。
「レモンパイも美味しそうだし、アップルパイも捨てがたいなあ…」
サマリはその様子にクスリと笑ったが、何も言わずに書類に集中していた。
ビスマスは店員を呼んで注文をした。
「すみません、レモンパイとアップルパイをそれぞれ一つずつお願いします。」
店員は笑顔で応じた。
「かしこまりました。」
沈黙の時間が続いた。周りの客の声と波の音がカフェの雰囲気を包み込んでいる中、ビスマスは海を見つめながら静かな時間が過ぎていくのを感じていた。
その静けさを打ち破るように、店員がパイを持ってきた。
「お待たせしました。レモンパイとアップルパイです」
「ありがとう」
店員が去った後、ビスマスはサマリに向き直り、軽く笑いながら尋ねた。
「どちらを食べる?」
サマリは呆れたように溜め息をついた。
「私は言ったでしょう? いらないって。」
「でも、私だけ食べるのも何だか悪い気がしてね。両方とも食べられる?」
サマリは少し考えた後、ため息をつきながら答えた。
「まぁ…そうね。」
ビスマスはフォークを手に取り、器用に2つのパイを半分にして、片方ずつを入れ替えた。
その様子を見て、サマリは驚きと疑問を隠せない表情でビスマスに問いかけた。
「あなた、そんなことするの?」
サマリはビスマスの行動に驚きながらも、興味深い様子で見つめた。
「裕福な人がそんなことをするとは思わなかったわ。」
「そう見えないかもしれないけど、私も結構気を使ってる。料理を半分にすると、味も楽しめるし、二つの違ったパイを味わえるっていうのも悪くないと思わないかい?」
そう言って、ビスマスは静かにゆっくりとパイを口にし始めた。ビスマスの表情は満足げでありながらも、どこか優雅さを感じさせるものだった。
一方、サマリはビスマスの様子を見つつ書類に集中していた。少しの間を置いて、彼女もパイに手を伸ばした。
パイを口にするサマリの表情が和らぐ中、彼女は一口欠けたパイに気付いた。彼女は少し驚いた表情を浮かべながら、ビスマスを見つめた。
「あなた、私のパイを食べたの?」
ビスマスは不思議そうに返事をした。
「半分に分けた時に欠けたのかもしれないね?」
サマリは自分の椅子の傍にパイの皮の欠片を目にし、不思議そうに考え込んだ。
「そういえば、確かにこの欠片…でも、もしかしたら私が気づかないうちに…」
彼女は少し戸惑った表情を浮かべながら、ビスマスに向かって微笑んだ。
「あ、勘違いかも…ごめん」
「ふふ、気にしないで。それよりも、このパイ、本当に美味しいね。」
「まあ、確かに美味しいわね。」
そう言って彼女は再び書類に目を戻し、処理を続けた。
しばらくしてから、サマリは何か気が散るのを感じて書類を片付け始めた。その様子を見ていたビスマスが声をかけた。
「今日のお仕事はそこまでなのかい?」
「まぁ、あんたがここにいるせいで集中できないってこともあるわけで。」
ビスマスは微笑みながら肩をすくめた。
「それはすまなかったね。でも、君の仕事熱心さには感心するよ。」
サマリは書類を片付け終わり、席を立ちながら言った。
「いいわ。私が奢ってあげるから、せいぜい観光を楽しんで。」
ビスマスは少し驚いた様子でサマリを見つめた。
「本当に?ありがとう、サマリ。」
「別に大したことじゃないわ。それじゃ、またね。」
ビスマスは微笑みを浮かべて彼女を見送りながら答えた。
「また会おう、サマリ。」
サマリは軽く手を振ってその場を後にし、ビスマスも静かにコーヒーとパイを楽しむためにテラスに残った。




