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兄弟げんかに国を巻き込むな

「弥太郎」


「はい」


「今日は何色だ」


孫七が聞いた。


俺は目の前の旗を見る。


白。


赤。


黒。


家紋。


印。


紐。


それから、最近新しく作った――


付け替え式の布。


「……分かりません」


「旗屋なのに?」


「まだ武士です」


「そこはもういいだろ」


よくない。


俺は一応、武士だ。


ただ、最近、自信はない。


なぜなら今、俺の目の前には三種類の旗が並んでいる。


尊氏様方。


直義様方。


そして師直殿方。


全部。


足利。


俺は頭を抱えた。


「何で同じ家の旗を三種類も作ってるんです?」


六郎殿が答える。


「必要だからだ」


「必要にならないでくださいよ」


孫七が一本持ち上げる。


「これ誰の?」


「師直殿」


「これは?」


「直義様」


「これは?」


「尊氏様」


「全部仲間じゃないのか?」


俺は孫七を見る。


「そのはずだったんです」


「だった?」


「俺も知りたいです」


六郎殿がため息をついた。


「観応の擾乱が始まる」


俺と孫七は同時に振り向いた。


「何です、それ」


「後の世でそう呼ばれるらしい」


「今は?」


六郎殿。


「足利家の揉め事だ」


孫七。


「随分小さくなったな」


「当人たちにはそのくらいだ」


俺は旗を見る。


三種類。


いや、最近は直冬殿の分まで増えている。


四種類だ。


「これ、家族会議で何とかならないんですか」


六郎殿は黙った。


その沈黙が答えだった。


          ◇


ことの始まりは、一つではなかった。


直義様と師直殿。


考えが合わない。


これは前から。


直冬殿の扱い。


これも前から。


尊氏様の恩賞。


土地。


権限。


命令。


誰が何を決めるか。


全部、少しずつ前からあった。


だから厄介だった。


「昨日急に喧嘩したわけじゃないんですね」


俺が言うと、六郎殿は頷いた。


「大きな争いは、大体そうだ」


「じゃあ止める機会はあった?」


「あったかもしれん」


「誰か止めなかったんです?」


六郎殿は俺を見る。


「皆、自分は正しいと思っている」


また、その話だ。


正成殿の言葉。


正しいと思う者同士が戦う時が一番厄介。


最近、何度思い出したか分からない。


          ◇


その日、俺は直義様の屋敷へ旗を届けた。


以前と違う。


空気が硬い。


役人たちは小声。


武士は廊下を急ぐ。


誰も笑っていない。


直義様は書状を読んでいた。


机の上には大量の文書。


前なら、


「また仕事してるな」


と思った。


今は違う。


一枚一枚が、誰かを味方にするための手紙に見える。


「直義様」


「弥太郎か」


「旗を」


「そこへ置け」


俺は置く。


帰ろうとした。


でも、気になった。


「直義様」


「何だ」


「本当にやるんですか」


直義様の手が止まる。


「何を」


「師直殿と」


俺は言葉を選ぶ。


「……戦うんですか」


直義様は答えなかった。


しばらくして、


「戦いたいと思っているわけではない」


「なら」


「だが」


直義様は顔を上げた。


「譲れぬこともある」


俺は聞いた。


「何です」


「国の形だ」


難しい。


俺には大きすぎる。


直義様は続けた。


「命令が守られず、力のある者が好きに動けば」


「はい」


「いつか国は壊れる」


「でも師直殿は、戦場で勝つために必要だと言ってました」


直義様は少しだけ目を細めた。


「分かっている」


「分かってる?」


「ああ」


「じゃあ」


「分かることと、認めることは違う」


また。


難しい。


でも、少し分かった。


相手の言っていることが理解できる。


だからといって、受け入れられるわけではない。


人間は面倒だ。


俺も含めて。


          ◇


次に師直殿のところへ行った。


なぜ俺は一日に敵対している二人のところへ旗を届けているんだ。


職業倫理的にどうなんだろう。


まだ旗屋じゃないけど。


「師直殿」


「何だ」


「旗です」


「置け」


直義様と同じだ。


妙なところで似ている。


俺は置く。


そしてまた、聞いてしまう。


俺の悪い癖だ。


「師直殿」


「何だ」


「本当にやるんですか」


師直殿が俺を見る。


「何を」


「直義様と」


「戦うか、ということか」


「はい」


師直殿は少し考えた。


「向こうが来るなら」


「でも」


「弥太郎」


声が少し低い。


怖い。


「お前は、俺が好きで直義様と揉めていると思うか」


「……少し」


「正直だな」


「すみません」


師直殿は笑わなかった。


「俺にも譲れんものがある」


直義様と同じことを言う。


「何です」


「戦場の者だ」


「兵?」


「ああ」


「現場を知らぬ者に、死ぬ命令を出されてたまるか」


俺は黙る。


また、分かる。


分かってしまう。


俺は頭を抱えた。


「何だ」


師直殿が聞く。


「いや」


「言え」


「どっちも正しいから嫌なんです」


師直殿が少しだけ笑った。


「前にも言っていたな」


「最近、もっと嫌になってきました」


「なぜだ」


「正しい人同士が戦ったら、どっちかが死ぬじゃないですか」


師直殿の顔から笑いが消えた。


一瞬。


本当に一瞬だけ。


それから、いつもの顔に戻った。


「そうだな」


          ◇


尊氏様は、困っていた。


ものすごく困っていた。


俺が見ても分かる。


「直義も必要だ」


尊氏様が言う。


「師直も必要だ」


俺。


「はい」


「どちらも俺には必要だ」


「はい」


「なのに」


尊氏様は頭を抱えた。


「何であいつら仲良くできんのだ」


俺は思った。


いや、それは本人たちに言ってください。


でも、尊氏様も言っているらしい。


言って駄目だったらしい。


孫七が横から言う。


「尊氏様」


俺は嫌な予感。


「何だ」


「二人とも一回酒飲ませたらどうです?」


俺は目を閉じた。


こいつ本気で言ってる。


尊氏様は少し考えた。


「……ありかもしれんな」


「ないです!」


俺は思わず大声を出した。


全員が俺を見る。


「すみません」


でも、尊氏様は少し笑った。


「弥太郎はどうすればいいと思う」


まただ。


本当に。


どうして偉い人は、難しいことを俺に聞くんだ。


俺は考えた。


「両方とも」


「うん」


「自分が譲ったら国が悪くなると思ってるんですよね」


尊氏様の顔が真面目になる。


「そうだろうな」


「なら」


俺は言う。


「尊氏様が決めるしかないんじゃないですか」


空気が止まった。


言ってから気づく。


重い。


尊氏様も黙った。


孫七も。


六郎殿も。


俺は逃げたい。


「すみません」


尊氏様は首を振った。


「いや」


そして小さく言った。


「そうなんだろうな」


その声は、いつもの尊氏様より小さかった。


人に好かれる人。


皆に与えたい人。


誰も捨てたくない人。


その人が、どちらかを選ばなければならない。


初めて、尊氏様が少しかわいそうに見えた。


          ◇


でも、時代は待ってくれない。


決断する前に、状況が動く。


使者。


書状。


軍勢。


離反。


寝返り。


俺たちの店にも。


いやまだ店じゃない。


仕事場にも、注文が増える。


「直義方、三十!」


「師直方、五十!」


「尊氏方、二十!」


俺は叫ぶ。


「一回整理してください!」


使者が怒鳴る。


「急ぎだ!」


「全部急ぎなんですよ!」


孫七が横で笑う。


「儲かるな」


「商売じゃない!」


「でも銭もらってるだろ」


「それは」


否定できない。


          ◇


ついに、尊氏様は師直殿側へ立った。


その知らせを聞いた時、俺は、


「やっぱり」


とも。


「何で」


とも思った。


直義様は、追われる。


そして、直義様も、味方を集める。


その中には、直冬殿。


さらに、もっと意外な相手。


孫七が走ってきた。


「弥太郎!」


「何です」


「大変だ!」


「最近そればっかりですよ」


「直義様が」


「はい」


「南朝と手を組むらしい!」


俺は止まった。


「……何と?」


「南朝」


「南朝って」


「南朝だ」


「幕府の敵ですよね」


「そうだ」


「直義様、幕府の人ですよね」


「そうだ」


「尊氏様の弟ですよね」


「そうだ」


俺は頭を抱えた。


「何がどうなってるんですか!」


孫七。


「俺に聞くな!」


「持ってきたのあなたでしょう!」


六郎殿が来る。


「騒ぐな」


俺は聞く。


「六郎殿!」


「何だ」


「直義様が南朝と組むって本当ですか」


「本当だ」


「何で!」


六郎殿は答える。


「尊氏様と戦うためだ」


簡単。


ものすごく簡単な答え。


でも意味が分からない。


「敵の敵は味方ってことですか」


「そういう面もある」


「それでいいんですか」


「よくないから揉めてる」


俺は天を仰いだ。


          ◇


その夜。


俺は紙を広げた。


孫七が覗き込む。


「何だそれ」


「相関図です」


「何の」


「敵味方」


俺は名前を書く。


尊氏様。


直義様。


師直殿。


直冬殿。


南朝。


北朝。


線を引く。


味方。


敵。


途中まで引いて、止まる。


「孫七」


「何だ」


「直義様と南朝は味方」


「そう」


「尊氏様と北朝」


「そう」


「直冬殿は直義様」


「そう」


「師直殿は尊氏様」


「そう」


俺は線を書く。


絡まる。


孫七が言う。


「汚いな」


「黙ってください」


さらに線。


さらに線。


俺は紙を見る。


何だこれ。


蜘蛛の巣。


孫七が言う。


「分かったか」


「分からなくなりました」


「作る前より?」


「作る前より」


六郎殿が後ろから言った。


「無駄だぞ」


俺たちは振り返る。


「何でです」


六郎殿は紙を指す。


「明日には変わる」


俺は紙を丸めた。


「早く言ってくださいよ!」


          ◇


翌朝。


また使者。


もう驚かない。


「弥太郎!」


「はい」


「急ぎで旗を!」


「誰方です!」


使者が言う。


「直義様の!」


「はい!」


俺は旗を取る。


すると使者。


「いや!」


俺は止まる。


「何です」


「尊氏様の方かもしれん!」


「かもしれん?」


「殿が今、評定中だ!」


俺は旗を置いた。


「決まってから来てください」


「間に合わん!」


「じゃあ両方作ります」


使者。


「頼む!」


俺は言った。


「割増になります」


使者が叫ぶ。


「高い!」


「情勢が不安定ですので!」


言ってから。


俺は止まった。


孫七が笑う。


「弥太郎」


「何です」


「完全に旗屋じゃないか」


「……」


否定できなかった。


          ◇


その日。


俺は、三種類の旗を同時に作った。


尊氏様。


直義様。


師直殿。


そして、直冬殿の分も。


四種類。


全部、少し前までは同じ側だった人たち。


俺は筆を動かしながら思う。


兄弟。


親子。


主君。


家臣。


血。


恩。


立場。


全部が絡まって。


誰が敵で、誰が味方なのかもう分からない。


だけど、一つだけ分かる。


これ、絶対にすぐ終わらない。


孫七が横で言う。


「弥太郎」


「何です」


「今日の味方、誰?」


俺は答えた。


「知りません」


「旗屋なのに」


「まだ武士です」


「もう諦めろ」


「嫌です」


俺たちは笑った。


笑うしかなかった。


後の世の人はこの争いを


観応の擾乱(かんのうのじょうらん)と呼ぶ。


でも、俺たちにとっては、そんな立派な名前じゃない。


ただ。


「足利家が、本気で揉め始めた」


それだけだった。


そして、その揉め事に国中が巻き込まれ始めていた。

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