↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/62

息子は叔父につきました

「足利直冬(あしかがただふゆ)殿のことで」


使者がそう言った。


俺は首をかしげた。


「誰です?」


孫七も首をかしげる。


「俺も知らん」


六郎殿だけが、少し嫌な顔をした。


「尊氏様の子だ」


俺と孫七は同時に顔を上げた。


「尊氏様の?」


「そうだ」


孫七が言う。


「じゃあ足利方ですね」


六郎殿は答えなかった。


俺は嫌な予感がした。


最近、六郎殿が黙る時は、大体話がややこしい。


「……違うんですか」


「ああ」


「じゃあ誰方です」


六郎殿は言った。


「直義様に近い」


俺は止まった。


「叔父?」


「ああ」


「父親じゃなくて?」


「ああ」


孫七が言う。


「何で?」


六郎殿。


「いろいろある」


「一番困る答えだ」


俺もそう思った。


          ◇


しばらくして俺たちは直義様の屋敷へ呼ばれた。


なぜ旗屋でもない俺が、こんなに足利家の事情へ巻き込まれているのか。


最近そこが一番分からない。


部屋には直義様がいた。


その隣。


若い男。


年は俺より少し上くらい。


顔立ちはどこか尊氏様に似ている。


でも雰囲気は違う。


尊氏様のような柔らかさはない。


どこか、いつも周りを測っているような目。


「弥太郎」


直義様が言った。


「はい」


「こちらが直冬だ」


俺は頭を下げる。


「初めまして」


直冬殿も軽く頷いた。


「お前が弥太郎か」


「俺をご存じで?」


「叔父上から聞いた」


嫌な予感。


「何と」


直義様。


「妙なことを言う旗職人だと」


「まだ武士です」


直冬殿が少し笑った。


「本当にそう言うんだな」


「皆さん、面白がってません?」


直義様は何も言わない。


否定もしない。


それが一番ひどい。


          ◇


直冬殿は、直義様とよく話していた。


政治のこと。


土地のこと。


兵のこと。


各地の武士のこと。


俺から見ても分かる。


直義様は、直冬殿をかなり大事にしている。


孫七が小声で言う。


「本当に叔父と甥か?」


「何でです」


「親子みたいだ」


俺もそう思った。


直義様の話を、直冬殿はよく聞く。


直冬殿の話を、直義様もよく聞く。


尊氏様と直義様とは、また違う近さだった。


俺は聞いた。


「六郎殿」


「何だ」


「直冬殿って、何で尊氏様じゃなくて直義様なんです?」


六郎殿は少し黙った。


「簡単ではない」


「またそれですか」


「本当に簡単ではない」


「じゃあ簡単じゃないなりに」


六郎殿はため息。


「尊氏様と直冬殿は、もともとうまくいっている親子ではない」


「何で」


「事情がある」


「事情多いな、この家」


孫七が言った。


「足利だからな」


「理由になってないでしょう」


でも、少しずつ分かった。


直冬殿にとって、尊氏様は父だ。


でも、父だから近いとは限らない。


直義様は叔父。


でも、叔父だから遠いとも限らない。


血のつながりと、心の距離は、同じじゃない。


          ◇


ある日。


尊氏様が来た。


直冬殿もいた。


俺は思った。


あ。


これはまずい。


何がまずいかは分からない。


でもまずい。


最近、空気だけで分かるようになってきた。


尊氏様が直冬殿を見る。


「直冬」


「はい」


直冬殿の声は固い。


尊氏様。


「元気そうだな」


「おかげさまで」


短い。


ものすごく短い。


尊氏様は少し困った顔をした。


直義様が横にいる。


師直殿はいない。


それだけまだましだ。


尊氏様が言う。


「何か困ったことはないか」


直冬殿。


「ありません」


「そうか」


「はい」


終わった。


会話が。


父と子なのに。


孫七が俺の袖を引く。


「弥太郎」


「何です」


「俺でも分かる」


「何が」


「仲悪い」


「小声で」


尊氏様がこちらを見る。


聞こえてないですよね。


多分。


尊氏様は直冬殿に言った。


「直義に迷惑をかけるなよ」


直冬殿の目が少し変わった。


「迷惑をかけているつもりはありません」


「そういう意味では」


直義様が間に入る。


「兄上」


尊氏様が止まる。


直義様は静かに言った。


「直冬はよく働いております」


「そうか」


「はい」


また。


会話が止まる。


俺は思った。


尊氏様は悪気がない。


多分。


でも、直冬殿には、何か引っかかる。


言葉の一つ一つが。


          ◇


その夜。


俺は直冬殿と二人になった。


俺は旗の整理。


直冬殿は庭を見ている。


気まずい。


何か話した方がいいのか。


でも、こういう時は大体、話さない方がいい。


そう思っていたら、向こうから言った。


「弥太郎」


「はい」


「父上は、どう見える」


また難しい質問。


この家、本当に質問が重い。


「尊氏様ですか」


「ああ」


俺は少し考える。


「人に好かれる人だと思います」


直冬殿は何も言わない。


「それと」


「それと?」


「人にあげすぎる」


直冬殿が笑った。


初めて少し自然に。


「叔父上も同じことを言う」


「でしょうね」


俺も笑う。


少し空気が柔らかくなる。


でも、直冬殿はまた庭を見る。


「皆、父上を好く」


「はい」


「父上も皆に優しい」


「はい」


「だから」


一拍。


「俺だけが嫌われているように感じる時がある」


俺は何も言えなかった。


そんなこと、簡単に否定できない。


「違いますよ」


なんて言う資格もない。


俺は尊氏様ではない。


直冬殿でもない。


ただ、俺は言った。


「尊氏様も、何を言えばいいか分からないんじゃないですか」


直冬殿が俺を見る。


「何でそう思う」


「今日の顔」


「顔?」


「困ってました」


直冬殿は黙った。


俺は続ける。


「嫌ってる顔とは、ちょっと違った気がします」


直冬殿はしばらく何も言わなかった。


「お前は人の顔をよく見るんだな」


「旗ばっかり見てると思われがちですけど」


「実際、旗ばかり見てるだろ」


「そこは否定できません」


直冬殿が少し笑った。


その時、俺は思った。


この人も、本当は、父親と普通に話したかっただけなのかもしれない。


          ◇


数日後。


問題が起きた。


いや。


この時代、問題が起きなかった日の方が珍しい。


使者が来る。


「直義様!」


俺はもう慣れた。


直義様が聞く。


「何だ」


「直冬殿の処遇について、師直殿側から異議が」


空気が変わる。


直冬殿の顔。


直義様の顔。


嫌な感じ。


「何が問題だ」


「権限が強すぎると」


直義様。


「必要だから任せている」


使者。


「しかし」


直義様。


「私が決めた」


そこへ。


まるで呼ばれたように高師直殿が来た。


本当に嫌なタイミングだ。


「直義様」


「師直」


師直殿は直冬殿を見る。


「直冬殿に任せすぎでは」


直義様の顔が硬くなる。


「何を根拠に」


「現場の不満です」


「誰が」


「名前を出せば、その者を処罰されるのでは」


直義様。


「不当なことはせぬ」


師直殿。


「そう思っているのは、あなたです」


沈黙。


俺は思った。


まずい。


前より、完全にまずい。


直冬殿が言う。


「私が退けばよいのですか」


直義様が即座に否定。


「その必要はない」


師直殿。


「そこまで言っていない」


直冬殿。


「では何です」


尊氏様がいない。


まただ。


この大事な時に。


俺は心の中で叫ぶ。


誰か呼んできてください。


孫七が俺の横で小声。


「弥太郎」


「何です」


「逃げる?」


「無理でしょう」


「じゃあ死んだふり」


「もっと無理です」


          ◇


その後、直冬殿は、さらに直義様へ近づいた。


当然だと思った。


自分を認めてくれる。


仕事を任せてくれる。


必要としてくれる。


人は、そういう人の側に行く。


父だから。


兄だから。


主君だから。


それだけで人はついていくわけじゃない。


俺は最近少しずつそう思うようになっていた。


ある夜。


孫七が言う。


「弥太郎」


「何です」


「もし親父と叔父が喧嘩したら、どっちにつく?」


「何ですか急に」


「直冬殿見てて思った」


俺は考える。


「普通は父親じゃないですか」


孫七。


「でも叔父の方が自分を大事にしてくれたら?」


「……」


「父親が他人みたいだったら?」


俺は答えられなかった。


孫七が笑う。


「難しいだろ」


「珍しく深いこと言いますね」


「失礼だな」


六郎殿が後ろから言う。


「それが家だ」


俺たちは振り返る。


「家?」


「ああ」


「血だけじゃない」


「はい」


「恩もある」


「はい」


「立場もある」


「はい」


「恨みもある」


孫七。


「面倒ですね」


六郎殿。


「だから揉める」


俺は思った。


本当にそうだ。


          ◇


数日後。


尊氏様と直冬殿が、また顔を合わせた。


今度は尊氏様から声を掛けた。


「直冬」


「はい」


「少し話せるか」


直冬殿は一瞬迷った。


「何でしょう」


俺は離れた場所にいた。


聞くつもりはない。


でも、気になる。


尊氏様。


「お前に任せたいことがある」


直冬殿の顔が少し変わる。


「私に?」


「ああ」


ほんの一瞬、直冬殿が嬉しそうに見えた。


俺は思った。


よかった。


少しは。


でも、尊氏様は続けた。


「直義の助けにもなる」


直冬殿の表情が戻る。


ほんの少し。


「……叔父上のためですか」


尊氏様が止まる。


「ああ。もちろん、お前にも期待している」


遅かった。


多分、言う順番が。


俺は遠くから頭を抱えた。


孫七。


「何してる」


「今の、逆でしょう」


「何が」


「先に『お前に期待してる』って言えばよかったのに」


「そんな細かいことか?」


「細かくないですよ!」


本当に尊氏様は、人に好かれる。


人の心も掴む。


なのに、なぜか直冬殿相手だと、言葉が一つずつずれる。


人間って不思議だ。


          ◇


その日の夜。


俺は一人で旗を畳んでいた。


直冬殿が来る。


「弥太郎」


「はい」


「父上は、俺を見ていると思うか」


また重い質問。


俺は少し考えた。


「見てると思います」


直冬殿。


「本当に?」


「ただ」


「ただ?」


「見方が下手なんじゃないですか」


直冬殿が俺を見る。


俺は続ける。


「尊氏様って、皆にはうまく優しくできるのに」


「うん」


「直冬殿には、何か下手です」


直冬殿が笑った。


少し苦い笑い。


「ひどい言い方だな」


「すみません」


「いや」


少し間。


「多分、合ってる」


俺も少し笑う。


でも、その笑顔は長く続かなかった。


遠くから、馬の音。


使者。


また、来る。


最近、使者の足音だけで話が終わるのが分かる。


「直義様!」


声。


俺と直冬殿が振り返る。


使者が走ってくる。


「急報です!」


直義様が出てくる。


「何だ」


使者は答える。


「直冬殿を巡って、師直殿側との対立がさらに」


直義様の顔が変わる。


直冬殿も。


俺は思った。


ああ。


また一つ、亀裂が広がった。


人間関係の亀裂は、旗みたいに塗り直せない。


白にして。


赤にして。


また白に戻す。


そんな簡単にはいかない。


俺は、そのことを少しずつ知り始めていた。


そして、まだ知らなかった。


この親子と叔父の関係が、もうすぐ国中の敵味方を巻き込むほど大きな争いへつながることを。


兄弟。


親子。


家臣。


主君。


全部が絡む。


後の世の人は、この大混乱を、


観応の擾乱(かんのうのじょうらん)と呼ぶらしい。


でも、俺たちにとってはもっと単純だった。


「また足利家が揉めてる」


ただ、それだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。