戦を終わらせるのに、誰の許可が要るのですか
「親方、戦が終わるそうです!」
千吉が店へ飛び込んできた。
俺は、針を持つ手を止めた。
「……何?」
「細川勝元様と山名宗全様が、和睦されるそうです!」
俺は、しばらく千吉を見つめた。
そして、ゆっくり立ち上がった。
「本当か」
「はい!」
「本当に?」
「はい!」
「今度こそ?」
「……それは、分かりません」
俺は座り直した。
最近、京では戦が終わるという噂が何度も流れる。
細川家と山名家が話し合う。
将軍様が仲裁する。
どこかの大名が国へ帰る。
そのたびに町人たちは喜び、翌日には落胆する。
だが、今回は違うらしい。
東軍の大将・細川勝元殿。
西軍の大将・山名宗全殿。
その二人が、直接和睦へ向けて動き出したというのだ。
俺は帳面を閉じた。
「……千吉」
「はい」
「もし戦が終わったら、どうする」
千吉は、少し考えた。
「……旗の注文が減りますね」
俺は黙った。
佐吉も黙った。
そして、三人で顔を見合わせた。
戦が終わってほしい。
心から、そう願っている。
だが、軍旗の注文がなくなる。
旗屋としては、少々困る。
俺は天井を見上げた。
父上。
戦が終わってほしいと思いながら、注文の減少を心配する私は、不届きな息子でしょうか。
もっとも父なら、きっとこう言うだろう。
――町の旗を作ればいい。
俺は、少しだけ笑った。
そうだった。
もう、戦の旗だけが俺たちの仕事ではない。
◇
文明四年、1472年。
応仁の乱が始まって、六年目を迎えていた。
京の町は、変わり果てていた。
立派だった屋敷は焼け落ち、寺院も焼かれ、以前は賑やかだった通りには空き地が広がっている。
その一方で、軍勢の陣だけは相変わらず残っていた。
東軍。
西軍。
互いに勝ったとは言えず、負けたとも認めない。
そして、戦を始めた中心人物である細川勝元殿と山名宗全殿も、すでに疲れ切っていたという。
考えてみれば、二人は以前から深い縁で結ばれていた。
細川勝元殿は、山名宗全殿の養女を妻として迎えている。
つまり、二人は縁戚だった。
俺は初めてその話を聞いた時、驚いたものだ。
親戚同士で、京を焼くほどの戦をしている。
そして、何年もかけて争った末、今度は和睦しようという。
何とも理解し難い。
だが、武士の世界では、親戚だからこそ争うことも珍しくないらしい。
畠山家がそうだ。
斯波家もそうだ。
将軍家までそうなっている。
俺は、店の看板を見た。
『親戚同士でも、お値引きはいたしません』
祖父の時代から続く、冗談めいた札である。
今となっては、これほど世の中を正確に表した札もないように思えた。
◇
和睦の噂が広まった数日後。
東軍から、一人の使者がやってきた。
「旗屋弥三郎殿」
「はい」
「細川家より、旗の修繕を頼みたい」
俺は帳面を開いた。
「何枚でしょう」
「二枚だ」
「承知しました」
使者は、布に包まれた旗を差し出した。
俺は包みを開いた。
見覚えのある細川家の旗だった。
ただし、随分と傷んでいる。
布は色褪せ、端は裂け、ところどころに古い血の染みが残っていた。
俺は、静かに尋ねた。
「……いつ頃の旗でしょう」
使者は答えた。
「応仁元年から使われていたものだ」
俺は、息を呑んだ。
戦が始まった年。
もう五年以上前になる。
「修繕して、また使われるのですか」
使者は、少し考えた。
「いや」
俺は顔を上げた。
「では?」
男は、静かに答えた。
「和睦の場に、古い旗を持参したいとのことだ」
俺は、しばらく黙った。
戦の始まりから掲げられていた旗を、戦を終わらせる話し合いの場へ持っていく。
何とも奇妙な注文だった。
「……新しい旗では、いけないのでしょうか」
俺が尋ねると、使者は少し笑った。
「古い旗だから意味があるのだろう」
俺は、静かに頷いた。
なるほど。
旗には、時として新しさより大切なものがある。
俺は、その古い布を丁寧に畳んだ。
「承知しました。できる限り、元の姿を残して修繕いたします」
◇
その日の午後。
今度は西軍から使者がやってきた。
「旗屋弥三郎殿」
「はい」
「山名家の旗を修繕してほしい」
俺は、思わず顔を上げた。
「……何枚でしょう」
「二枚だ」
「古い旗ですか」
使者は驚いた。
「なぜ分かる」
俺は、深くため息をついた。
「……何となくでございます」
渡された旗を広げる。
こちらも古かった。
応仁元年から使われてきたという。
俺は、静かに布を見つめた。
東軍の旗。
西軍の旗。
どちらも同じ年に作られ、同じ戦をくぐり抜けてきた。
そして今、同じ店へ運ばれてきた。
和睦のために。
俺は、少しだけ笑った。
「……佐吉さん」
「はい」
「どうやら、久しぶりに大きな仕事が来ました」
佐吉は、二つの旗を見比べた。
そして、静かに言った。
「親方」
「何でしょう」
「同じ日に仕上げるのですか」
俺は、しばらく考えた。
「……そうですね」
佐吉は頷いた。
「承知しました」
千吉が横から尋ねた。
「親方。もし両軍が和睦したら、この旗はどうなるのでしょう」
俺は首を振った。
「分からん」
千吉は、少し考えた。
「では、使わなくなるかもしれませんね」
俺は頷いた。
「そうだな」
すると佐吉が、針を動かしながら言った。
「それなら、壊れないように直しましょう」
俺は顔を上げた。
「……なぜです」
佐吉は、少しだけ笑った。
「戦が終わった後にも、残せるようにです」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
◇
数日後。
修繕した旗を届けるため、俺は東軍の陣を訪ねた。
細川家の屋敷では、普段とは違う慌ただしさがあった。
武士たちが書状を持って行き交い、奥では何人もの家臣が集まっている。
俺は、顔なじみの庄兵衛殿へ旗を渡した。
「お約束の品でございます」
庄兵衛殿は、旗を広げた。
そして、静かに頷いた。
「……見事だ」
俺は頭を下げた。
「ありがとうございます」
その時、奥から声がした。
「その旗を直した者か」
俺は振り返った。
一人の武士が立っていた。
細身で、鋭い目をした男だった。
年の頃は四十を少し過ぎたほど。
周囲の家臣たちが、一斉に頭を下げた。
俺も慌てて頭を下げた。
「……細川様?」
男は、静かに頷いた。
細川勝元殿。
東軍を率いる、あの人物だった。
俺は、思わず背筋を伸ばした。
これまで何度も旗を納めてきたが、勝元殿ご本人と向き合うのは初めてだった。
勝元殿は、修繕した旗を手に取った。
「……古い旗だな」
俺は頷いた。
「はい」
「ずいぶん傷んでいたであろう」
「はい。ただ、元の姿をできる限り残しました」
勝元殿は、静かに布を見つめた。
そして言った。
「この旗を初めて掲げた頃は、戦がこれほど長引くとは思わなかった」
俺は、何も言えなかった。
勝元殿は続けた。
「すぐに決着がつくと思っていたのだ」
その声には、疲れが滲んでいた。
俺は、思い切って尋ねた。
「……戦は、終わるのでしょうか」
周囲の家臣たちが、わずかに顔を上げた。
勝元殿は、俺を見た。
そして、少しだけ笑った。
「そなたは、終わってほしいのか」
俺は即座に答えた。
「はい」
「旗の注文が減るぞ」
俺は、思わず顔を上げた。
勝元殿は、少し笑っていた。
俺は、正直に答えた。
「……その点は、困ります」
周囲の家臣たちが、息を呑んだ。
だが、勝元殿は声を出して笑った。
「ははは! 正直な男だ」
俺は頭を下げた。
「申し訳ございません」
勝元殿は、首を振った。
「よい」
そして、静かに言った。
「戦が終われば、旗屋も別の仕事を探せばよい」
俺は頷いた。
「そのつもりです」
「そうか」
勝元殿は、もう一度旗を見た。
そして、小さな声で言った。
「……私も、別の仕事をしたかったものだ」
俺は、顔を上げた。
その言葉が、妙に胸に残った。
◇
それから間もなく、西軍の山名宗全殿も和睦に前向きだという話が伝わってきた。
宗全殿は、すでに高齢だった。
長い戦に疲れ、体も弱っているという。
俺は、西軍の三浦頼景殿を訪ねた。
「宗全様は、和睦を望んでおられるのですか」
頼景殿は、少し考えた。
「……そう聞いている」
「では、戦が終わるのでしょうか」
頼景殿は、深いため息をついた。
「弥三郎。そう簡単ではない」
俺は首を傾げた。
「なぜです」
「宗全様が和睦を望んでも、西軍のすべての者が望むわけではない」
俺は、しばらく考えた。
「……なるほど」
頼景殿は続けた。
「この戦には、それぞれの事情がある。畠山家には畠山家の争いがあり、斯波家には斯波家の争いがある」
俺は頷いた。
「はい」
「勝元様と宗全様が手を握れば、すべて終わるというものではない」
俺は黙った。
確かに、その通りだった。
戦を始めた理由は、もう一つではない。
それぞれの家に、それぞれの敵がいる。
そして、それぞれが勝ちたいと思っている。
俺は、静かに尋ねた。
「……では、誰が戦を終わらせるのですか」
頼景殿は、しばらく考えた。
そして、苦笑した。
「……それが分かれば、苦労はせぬ」
俺は、深くため息をついた。
最近、武士の方々からその言葉を聞くことが多い。
◇
和睦の話が進むにつれ、京の町には期待が広がった。
焼け残った寺では、僧たちが祈りを捧げた。
町人たちは、戦が終わればどこへ戻ろうかと話し始めた。
俺の店にも、久しぶりに軍旗以外の注文が入った。
祭りの旗。
店の暖簾。
新しく商売を始める者の印。
俺は、それらの注文を見ながら少し嬉しくなった。
「千吉」
「はい」
「戦が終わったら、町の旗をもっと作ろう」
千吉は笑った。
「はい!」
佐吉も頷いた。
「ようやく、そういう仕事が増えそうですね」
俺は、静かに頷いた。
父上。
あなたが最後に聞いてくださった、この店の将来。
少しずつ、形になってきたようです。
そう思っていた。
◇
だが、その期待は長く続かなかった。
ある朝。
西軍から、一人の武士が駆け込んできた。
「旗屋弥三郎殿!」
俺は顔を上げた。
「はい」
男は、厳しい顔をしていた。
「山名家の旗について、聞きたいことがある」
俺は帳面を開いた。
「修繕した旗でしょうか」
「そうだ」
「何か不具合がございましたか」
男は首を振った。
「いや」
俺は、少し安心した。
だが、男は続けた。
「……和睦の話が、難しくなった」
俺は、息を呑んだ。
「なぜです」
男は、静かに答えた。
「畠山義就様が、強く反対しておられる」
俺は、何も言えなかった。
畠山義就殿。
応仁の乱が始まる前から、畠山政長殿と争っていた人物だ。
あの御霊合戦。
そこから京の争いは一気に広がっていった。
そして今も、畠山家の争いは終わっていない。
俺は、静かに尋ねた。
「……なぜ反対されるのでしょう」
男は、少し考えた。
「和睦すれば、政長との争いが不利になると考えておられるのだろう」
俺は、深く息を吐いた。
なるほど。
細川殿と山名殿にとっては、戦を終わらせる時が来た。
だが、畠山義就殿にとっては、まだ終わっていない。
そして、その相手である畠山政長殿も、簡単に引くはずはない。
俺は、静かに呟いた。
「……また、畠山家ですか」
男は、少し驚いた顔をした。
俺は、思わず頭を下げた。
「失礼いたしました」
だが、心の中では叫んでいた。
畠山家の皆様。
どうか、そろそろ決着をつけていただけませんか。
できれば、刀を使わない方法で。
◇
その日の夕方。
店に、畠山義就方の使者が現れた。
「旗屋弥三郎殿」
「はい」
「新しい旗を頼みたい」
俺は、少し嫌な予感がした。
「何枚でしょう」
「三十枚だ」
俺は、筆を止めた。
「……三十枚?」
「そうだ」
「用途は?」
使者は、当然のように答えた。
「戦だ」
俺は、しばらく黙った。
和睦の話が進んでいる。
戦を終わらせようとしている。
そんな時に、三十枚の軍旗。
俺は、深く息を吐いた。
「……恐れながら、和睦の話があると伺っております」
使者は、俺を見た。
「それがどうした」
「戦が終わるのであれば、軍旗は……」
「終わらぬ」
俺は、顔を上げた。
使者は、はっきり言った。
「畠山家の戦は、まだ終わらぬ」
その言葉に、店の空気が重くなった。
俺は、帳面を見つめた。
細川家。
山名家。
畠山家。
斯波家。
それぞれの名が並んでいる。
これまで、何度も同じ紋の旗を作ってきた。
そして、これからも作ることになるのだろうか。
俺は、静かに尋ねた。
「……いつまで、戦われるのでしょう」
使者は、少しだけ笑った。
「勝つまでだ」
俺は、何も言えなかった。
そして、心の中で思った。
それが一番困るのです。
◇
その夜。
俺は、一人で帳面を開いた。
細川家の古い旗。
山名家の古い旗。
どちらも修繕を終えた。
和睦の場へ持っていくために。
だが、その和睦は進まない。
俺は、静かに筆を取った。
『細川家 旗修繕』
『山名家 旗修繕』
『和睦交渉 難航』
そして、最後に一行。
『畠山義就方 軍旗三十枚受注』
俺は、筆を置いた。
戦を終わらせるための旗を直した直後に、戦を続けるための旗を作る。
何とも奇妙な仕事だった。
俺は、祖父の札を見上げた。
『本日の味方』
『明日は不明』
その下には、父の札がある。
『二代目 弥一郎』
俺は、静かに呟いた。
「……父上」
返事はない。
「どうやら、戦を終わらせるのは、始めるより難しいようです」
風が吹いた。
店先の旗が、かすかに揺れた。
◇
それから数か月。
和睦の話は、まとまらなかった。
細川勝元殿も山名宗全殿も、戦を終わらせる道を探していた。
だが、それぞれの陣営には譲れない事情を抱えた武士たちがいた。
戦を終わらせたい者。
まだ勝ちたい者。
領地を取り戻したい者。
家督を守りたい者。
そして、今さら引くに引けない者。
それらが絡み合い、誰も簡単には動けなくなっていた。
俺は、ある日、新九郎殿に尋ねた。
「……なぜ、二人の大将が和睦を望んでも、戦は終わらないのですか」
新九郎殿は、しばらく考えた。
そして、静かに答えた。
「戦を始めた時は、皆が同じ敵を見ていた」
俺は頷いた。
「はい」
「だが、長く戦えば、それぞれに別の敵ができる」
俺は、顔を上げた。
新九郎殿は続けた。
「だから、最初の敵と仲直りしても、ほかの敵が残る」
俺は、何も言えなかった。
その言葉は、妙に分かりやすかった。
そして、恐ろしかった。
◇
文明五年、1473年。
年が明けた。
京には、冷たい風が吹いていた。
俺の店では、相変わらず旗を作っていた。
だが、注文の様子は少し変わっていた。
大きな軍旗より、小さな旗。
新しく作る旗より、古い旗の修繕。
そして、何よりも納期を急ぐ注文が減っていた。
長い戦で、軍勢も疲れているのだろう。
俺は、帳面を開いた。
「……千吉」
「はい」
「今年こそ、戦が終わるといいな」
千吉は、静かに頷いた。
「そうですね」
佐吉も、針を動かしながら言った。
「弥一郎様も、きっとそう願っておられたでしょう」
俺は、少しだけ笑った。
「……はい」
その時だった。
店の外から、慌ただしい足音が聞こえた。
「旗屋弥三郎殿!」
俺は顔を上げた。
一人の武士が、息を切らして立っていた。
西軍の者だった。
「何事でしょう」
俺が尋ねると、男は、静かに言った。
「……山名宗全様が、亡くなられた」
俺は、息を呑んだ。
「……宗全様が?」
男は頷いた。
「本日、亡くなられた」
俺は、何も言えなかった。
山名宗全殿。
西軍の大将。
応仁の乱を始めた中心人物の一人。
その宗全殿が、亡くなった。
俺は、ゆっくり帳面を閉じた。
長く続いた戦。
和睦を望みながら、終わらせることができなかった大将。
その人が、ついに世を去った。
俺は、静かに呟いた。
「……では、戦は?」
男は、しばらく黙った。
そして、低い声で答えた。
「……続く」
俺は、何も言えなかった。
宗全殿が亡くなっても、戦は続く。
だが、その時の俺は、まだ知らなかった。
わずか二か月後、東軍の大将・細川勝元殿まで、この世を去ることになるとは。
そして、戦を始めた二人がいなくなった後も、京には軍旗が立ち続けることを。
俺は、店の奥に掛けられた古い旗を見つめた。
勝元殿の旗。
宗全殿の旗。
その二つが、今も同じ店の中にある。
俺は、静かに息を吐いた。
「……父上」
そして、誰もいない奥の部屋へ向かって言った。
「戦を始めた方が亡くなっても、戦は終わらないのですね」
京の空には、今日も煙が上がっていた。




