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本日も主君が変わりました ~昨日の敵が今日の味方な室町時代~  作者: さかもち
第三部 昨日の味方は、今日の敵です
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将軍様は、何人いらっしゃるのですか

「親方、大変です」


千吉が店に飛び込んできた。


俺は帳面から顔を上げた。


「今度は何だ」


「将軍様が、二人になったそうです!」


俺は筆を止めた。


そして、静かに尋ねた。


「……増えたのか?」


「はい!」


「将軍様が?」


「はい!」


俺は、しばらく考えた。


細川家の旗。


山名家の旗。


畠山家の旗。


斯波家の旗。


これまでにも、同じ家の中で敵味方が分かれ、何度も注文を間違えそうになった。


だが、将軍様まで二人となると話が違う。


「千吉」


「はい」


「将軍様は、普通、一人ではないのか」


「私も、そう思っていました」


俺は深くため息をついた。


父上。


とうとう、この国は将軍様の人数まで分からなくなりました。


          ◇


文明元年、1469年。


応仁の乱が始まってから、三年目を迎えていた。


前年、将軍・足利義政様の弟である義視様が、西軍へ移った。


もともと義視様は、義政様の後継者として迎えられた方だった。


ところが、その後、義政様に息子の義尚様が生まれた。


話が複雑になったのは、そこからだ。


義視様には、将軍になるという話があった。


義尚様には、将軍の息子という立場があった。


そして、その周囲には、細川勝元殿や山名宗全殿をはじめ、多くの武士たちの思惑があった。


結局、義視様は西軍に迎えられ、将軍家の権威まで東西に分かれることになった。


もっとも、正式な将軍職に就いているのは、依然として義政様である。


千吉の言う「将軍様が二人」というのは、西軍が義視様を将軍として奉じるようになった、という意味だった。


俺は、その説明を聞いてようやく頷いた。


「……つまり、将軍様が正式に二人になったわけではないんだな」


千吉は頷いた。


「はい」


「でも、西軍にも将軍様と呼ばれる方がいる」


「はい」


俺は頭を抱えた。


「……それを、増えたと言うんじゃないのか」


千吉も頭を抱えた。


「そうですよね」


そこへ新九郎殿がやってきた。


「何を二人で悩んでおる」


俺は答えた。


「将軍様の人数です」


新九郎殿は、しばらく黙った。


そして、ひと言。


「……数えるな」


俺は顔を上げた。


「なぜです」


「余計にややこしくなる」


非常に説得力のある答えだった。


          ◇


その日、店に一人の使者が現れた。


西軍からだった。


「旗屋弥三郎殿」


「はい」


「新しい旗を頼みたい」


俺は帳面を開いた。


「お家は、どちらでしょう」


「足利家だ」


俺の筆が止まった。


足利家。


これまでも将軍家の旗を扱ったことはある。


だが、今は事情が違う。


「……恐れながら、どちらの足利家でございましょう」


使者の眉が動いた。


「足利家は足利家だ」


俺は頷いた。


「もちろんです」


「では、なぜ聞く」


「間違えた旗を納めますと、私の首が飛びかねませんので」


使者は黙った。


そして、小さな声で言った。


「……義視様の御方だ」


俺は、静かに頷いた。


「承知しました」


使者は続けた。


「西軍の旗を、もっと立派なものにしたい」


「どのように?」


「将軍を奉じる軍勢にふさわしく」


俺は、しばらく考えた。


「……大きくする、ということでしょうか」


使者は頷いた。


「そうだ」


俺は、また深いため息をついた。


どうやら、世の中がどれほど変わっても、武士の考える立派な旗は大きい旗らしい。


          ◇


使者が帰った後、俺は佐吉に相談した。


「足利家の旗を作ることになりました」


佐吉は、静かに頷いた。


「承知しました」


「ただし、西軍の義視様方です」


佐吉の手が止まった。


「……それは」


「はい」


佐吉は、しばらく考えた。


そして言った。


「東軍にも、足利家の旗を納めておりますね」


俺は頷いた。


「はい」


「では、同じ紋の旗を、両方に?」


「そうなります」


佐吉は、静かに布を置いた。


「……親方」


「何でしょう」


「いよいよ、旗を見ても敵味方が分からなくなりますね」


俺は頷いた。


「本当に」


以前、祖父はこんな札を掛けていた。


『本日の味方』


『明日は不明』


俺は、その札を見上げた。


そして、静かに呟いた。


「……お祖父様」


あなたは、ずいぶん先の時代まで見通していたのですね。


いや。


ひょっとすると、この国は昔から何も変わっていないのかもしれない。


          ◇


それから二年ほど、戦は続いた。


文明二年、1470年。


文明三年、1471年。


京では、以前ほど大きな戦が起こらない時期もあった。


だが、それは平和になったという意味ではない。


東軍も西軍も陣を維持し、互いに相手の動きを警戒している。


一度焼けた町は、簡単には戻らなかった。


そして、何よりも困ったことに、戦は京の外へ広がっていった。


越前。


近江。


美濃。


各地の武士たちが、それぞれの事情で争っている。


俺の店にも、遠方から旗の注文が来るようになった。


その中に、朝倉家の名があった。


俺は、帳面を見た。


「……朝倉家?」


千吉が頷いた。


「越前の武士だそうです」


「どちらの軍だ」


「西軍です」


俺は頷いた。


「分かった」


そうして、西軍の注文として書きつけた。


この時は、まだ何も知らなかった。


やがて、その名前が俺たち旗屋を大いに困らせることになるとは。


          ◇


文明三年、1471年。


ある朝、千吉が妙な顔で店に入ってきた。


「親方」


「何だ」


「朝倉家が、東軍になったそうです」


俺は帳面から顔を上げた。


「……何?」


「西軍だった朝倉家が、東軍に移ったそうです」


俺は黙った。


そして、ゆっくり帳面を開いた。


そこには、以前の注文が残っていた。


『朝倉家 西軍用旗』


俺は、しばらくその文字を見つめた。


そして尋ねた。


「……納品した旗は?」


千吉は頷いた。


「もう納めています」


「代金は?」


「いただきました」


俺は、静かに帳面を閉じた。


「なら、よし」


千吉は、少し驚いた顔をした。


「……よいのですか」


「代金をいただいているなら、よい」


千吉は、何とも言えない顔をした。


すると、新九郎殿が口を挟んだ。


「弥三郎。朝倉家が東軍へ移った理由を知っておるか」


俺は首を振った。


「いいえ」


新九郎殿は、少し笑った。


「越前の守護職を認められることになったらしいぞ」


俺は、目を丸くした。


「……守護職?」


「そうだ」


「東軍に移れば、守護になれるのですか」


「そういう約束が、まとまったという話だ」


俺は、しばらく考えた。


そして、静かに言った。


「……それは、旗より大きな注文ですね」


新九郎殿は腹を抱えて笑った。


「ははは! 違いない!」


だが、俺は笑えなかった。


守護とは、一国を治める立場に関わるものだ。


その地位が、戦の最中の寝返りによって動く。


それまでの主君や味方は、いったいどうなる。


越前の人々は、どうなる。


俺は、帳面を見つめた。


旗の注文主が変わるだけなら、まだよい。


だが、その旗の下で動く武士たちの立場まで変わってしまう。


これは、どうにも大きな変化だった。


          ◇


数日後。


朝倉家の使者が、本当に店へやってきた。


俺は、思わず身構えた。


「旗屋弥三郎殿」


「はい」


「以前、旗を仕立ててもらった朝倉家の者だ」


俺は頷いた。


「その節は、ありがとうございました」


使者は、少しだけ笑った。


「また注文したい」


俺は帳面を開いた。


「承知しました」


そして、静かに尋ねた。


「……今回は、東軍用でございますか」


使者は頷いた。


「そうだ」


俺は筆を取った。


『朝倉家 東軍用旗』


そして、その下に小さく書いた。


『以前、西軍用旗を納品済み』


使者が、それを見た。


「……何を書いている」


俺は答えた。


「注文の履歴です」


使者は、眉をひそめた。


「以前のことは、書かなくてもよい」


俺は、静かに顔を上げた。


「なぜでしょう」


使者は、少しだけ声を落とした。


「今は東軍なのだ」


俺は頷いた。


「承知しております」


「ならば、西軍だったことなど、もうよいではないか」


俺は、しばらく考えた。


そして答えた。


「……恐れ入りますが、以前お納めした旗が消えるわけではございませんので」


使者は黙った。


俺は続けた。


「今後のご注文は東軍として承ります。ただ、過去の注文も、帳面には残します」


使者は、長い間俺を見つめていた。


そして、深いため息をついた。


「……面倒な旗屋だな」


俺は頭を下げた。


「よく言われます」


          ◇


その日の夕方。


俺は、朝倉家の新しい旗の仕立てを見ていた。


佐吉が、布を丁寧に裁っている。


千吉が、家紋の位置を確かめていた。


「親方」


千吉が言った。


「今回の旗は、前回と同じ大きさでよいそうです」


俺は頷いた。


「そうか」


「紋も同じです」


「そうだろうな」


「色も、ほとんど同じです」


俺は、思わず顔を上げた。


「……何?」


千吉は、前回の控えを見せた。


そこには、細かな寸法が書かれていた。


俺は、今回の注文書と見比べた。


確かに。


ほとんど同じだった。


俺は、しばらく黙った。


そして、静かに尋ねた。


「……どこが変わったんだ」


千吉は、少し考えた。


「味方、でしょうか」


俺は天井を仰いだ。


同じ家。


同じ紋。


同じ大きさ。


同じ色。


だが、西軍から東軍へ移ったので、新しい旗が必要だという。


俺は、深く息を吐いた。


「……千吉」


「はい」


「前の旗を、そのまま使ってはいけないのか」


千吉は、少し考えた。


そして答えた。


「……親方」


「何だ」


「それを言ったら、注文がなくなります」


俺は黙った。


佐吉が笑った。


千吉も笑った。


俺も、つられて笑ってしまった。


だが、その笑いは長く続かなかった。


          ◇


数日後。


店へ、見知らぬ武士がやってきた。


西軍の者だった。


男は、朝倉家の旗を見つけると、顔色を変えた。


「……その旗は何だ」


俺は頭を下げた。


「朝倉家からのご注文です」


男は、しばらく旗を見つめた。


そして、低い声で言った。


「朝倉は、我らを裏切った」


俺は黙った。


男は続けた。


「それなのに、そなたは朝倉の旗を作るのか」


俺は、静かに答えた。


「ご注文をいただいておりますので」


男の顔が険しくなった。


「西軍の敵となった家だぞ」


俺は頷いた。


「承知しております」


「ならば、なぜ作る」


俺は、少し考えた。


そして答えた。


「以前、西軍だった時にも、ご注文をいただいております」


男は黙った。


俺は続けた。


「その時も、旗を作りました」


男は、しばらく俺を睨んだ。


そして言った。


「……そなたには、忠義がないのか」


俺は、返事に困った。


忠義。


武士にとっては、大切なものだろう。


だが、俺は旗屋だ。


俺が忠義を尽くす相手は、誰なのだろう。


細川家か。


山名家か。


足利将軍家か。


それとも、代金を払ってくださるお客様か。


俺は、静かに答えた。


「……私には、守るべき店がございます」


男は、眉をひそめた。


俺は続けた。


「祖父が始め、父が守り、今は私が預かっております」


男は黙った。


「その店で、約束した品を作り、代金をいただき、働く者を守る。それが、私の務めです」


男は、長い間俺を見つめていた。


そして、静かに言った。


「……くだらぬ」


俺は、少しだけ胸が痛んだ。


だが、何も言い返さなかった。


男は続けた。


「天下がどうなるかという時に、店の心配か」


俺は、静かに頭を下げた。


「はい」


そして、顔を上げた。


「天下がどうなっても、明日の飯は必要ですので」


男は、何も言わなかった。


やがて、踵を返して出ていった。


俺は、その背中を見送った。


          ◇


その夜。


俺は、父の帳面を開いた。


古い頁に、こんな一行があった。


『勝った方が正しいとは限らぬ』


俺は、しばらくその文字を見つめた。


父上。


あなたは、どの戦を見て、この言葉を書いたのでしょう。


義満様の時代でしょうか。


義教様の頃でしょうか。


それとも、もっと昔。


祖父から聞いた話を書き残したのでしょうか。


俺には分からない。


だが、今なら少しだけ意味が分かる。


武士たちは、昨日までの味方を今日の敵と呼ぶ。


昨日までの敵を、今日の味方と呼ぶ。


勝てば正義。


負ければ逆賊。


そのように言われることもある。


だが、旗を作る者にとっては、昨日の注文も今日の注文も、確かに存在した仕事なのだ。


俺は、帳面を開いた。


『朝倉家』


『旧・西軍』


『現・東軍』


『新規注文 受注』


そして、最後に一行。


『同じ家紋、同じ寸法』


俺は、少しだけ笑った。


「……父上」


あなたがいらっしゃったら、何と仰ったでしょう。


きっと、こうでしょうね。


――代金は、先にもらったか。


俺は、静かに頷いた。


「……もちろんです」


          ◇


翌朝。


朝倉家の旗が仕上がった。


佐吉が丁寧に畳み、千吉が注文書を確認する。


俺は、最後に家紋を確かめた。


間違いない。


以前、西軍へ納めたものと、ほとんど同じ旗だった。


俺は、静かに言った。


「……納品しましょう」


千吉が頷いた。


「はい」


その時、新九郎殿が店へやってきた。


「弥三郎!」


「何でしょう」


新九郎殿は、いつになく真剣な顔をしていた。


「越前の話を聞いたか」


俺は頷いた。


「朝倉家のことでしょう」


「そうだ」


新九郎殿は、少し声を落とした。


「守護の地位をめぐって、越前ではさらに争いが続くそうだ」


俺は、顔を上げた。


「……東軍に移ったのに?」


新九郎殿は頷いた。


「そうだ」


「守護に認められたのでしょう?」


「それで皆が納得するなら、戦は起こらん」


俺は、何も言えなかった。


確かに、その通りだった。


将軍家の後継者が決まらない。


畠山家の当主が決まらない。


斯波家の家督も争われている。


そして、今度は越前の守護まで。


誰かが決めても、別の誰かが納得しない。


だから戦う。


俺は、深くため息をついた。


「……新九郎殿」


「何だ」


「この国では、誰が決めれば皆が納得するのですか」


新九郎殿は、しばらく考えた。


そして答えた。


「……知らん」


俺は、思わず笑った。


「ご存じないのですか」


「知っていたら、戦は終わっておる」


俺は笑いながら頷いた。


まったく、その通りだった。


          ◇


その日の午後。


店へ、一人の若い武士が訪ねてきた。


見慣れない顔だった。


「旗屋弥三郎殿」


俺は頭を下げた。


「はい」


男は、静かに言った。


「細川勝元様の御方より参った」


俺は、少し身構えた。


「ご注文でしょうか」


「いや」


男は首を振った。


「少し、話を聞きたい」


俺は、帳面を閉じた。


「何でしょう」


男は、朝倉家の旗を見た。


そして言った。


「そなたは、朝倉家が東軍へ移る前から、あの家に旗を納めていたそうだな」


俺は頷いた。


「はい」


「その時、何か変わったことはなかったか」


俺は、少し考えた。


「……変わったこと、ですか」


男は頷いた。


「朝倉家が東軍へ移る前後のことだ」


俺は、しばらく考えた。


そして答えた。


「以前の旗と、今回の旗はほとんど同じでございました」


男は、眉をひそめた。


「……それだけか」


「はい」


男は、少しだけため息をついた。


俺も、少し困った。


いったい何を聞きたいのだろう。


すると、男は静かに言った。


「弥三郎殿」


「はい」


「そなたは、今後も東西双方の注文を受けるつもりか」


俺は、少し考えた。


そして答えた。


「……安全に納品でき、約束を守れる限りは」


男は、しばらく俺を見つめた。


そして、静かに頷いた。


「……そうか」


それだけ言うと、男は立ち上がった。


俺は、少し驚いた。


「もう、お帰りで?」


男は頷いた。


「話は聞けた」


俺は頭を下げた。


「ありがとうございました」


男は、店を出る前に振り返った。


そして、静かに言った。


「弥三郎殿」


「はい」


「細川様は、いずれ山名宗全を倒すおつもりだ」


俺は、息を呑んだ。


男は続けた。


「だが、宗全もまた、細川様を倒そうとしている」


俺は、静かに頷いた。


それは、今さら驚くことではない。


戦をしているのだから、当然だろう。


だが、男は最後にこう言った。


「……問題は、その後だ」


俺は、顔を上げた。


「……その後?」


男は、少しだけ笑った。


「もし、細川様も宗全もいなくなった時、この戦を誰が終わらせるのか」


俺は、何も言えなかった。


男は、そのまま去っていった。


          ◇


俺は、しばらく店先に立っていた。


細川勝元殿。


山名宗全殿。


この二人の対立が、戦を大きくした。


そう聞いている。


だが、今では畠山家も斯波家も、それぞれの事情で争っている。


将軍家まで分かれている。


そして、越前では朝倉家が東軍へ移った。


もし、細川殿と山名殿がいなくなったら。


その時、戦は終わるのだろうか。


俺は、しばらく考えた。


そして、静かに首を振った。


分からない。


だが、一つだけ分かることがあった。


戦を始めた者と、戦を終わらせられる者は、必ずしも同じではない。


俺は、店の奥へ戻った。


作業台には、新しい旗が並んでいる。


昨日の味方。


今日の敵。


そして、明日の味方。


俺は、祖父の札を見上げた。


『本日の味方』


『明日は不明』


その文字が、今まで以上に重く見えた。


京の町では、戦が始まってから、すでに五年の歳月が流れようとしていた。


それでも、誰も終わらせ方を知らない。


俺は、帳面を閉じた。


そして、静かに呟いた。


「……父上」


返事はない。


「どうやら、今度の戦は、ずいぶん長引きそうです」


風が吹いた。


店先の旗が、小さく揺れた。


俺は、その音を聞きながら、もう一度、父の帳面を開いた。


明日の注文を確かめるために。

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