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本日も主君が変わりました ~昨日の敵が今日の味方な室町時代~  作者: さかもち
第三部 昨日の味方は、今日の敵です
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亡くなった方へのご連絡は、至急でお願いします

「庄右衛門じいさんが、亡くなったんです!」


少年の声を聞いた時、俺はすぐに立ち上がった。


つい先日、娘のお菊と再会したばかりの老人だった。


戦によって一年以上も会えずにいた親子。


ようやく娘の声を聞き、穏やかな顔で笑っていた。


その庄右衛門が、亡くなった。


「……いつだ」


俺が尋ねると、少年は涙を拭った。


「今日の昼過ぎです」


「誰か、そばにいたのか」


「近所のおばさんが」


俺は頷いた。


「そうか」


少年は、俺を見た。


「お菊さんに、知らせてあげてください」


俺は、静かに頭を下げた。


「分かった。必ず知らせる」


そう答えた後で、俺は少し後悔した。


必ず。


最近、その言葉を使うのが怖くなっていた。


東軍と西軍の間には、自由に越えられない境目がある。


昨日通れた道が、今日も通れるとは限らない。


だが、今さら少年に不安を与えるわけにもいかない。


俺は帳面を開いた。


『庄右衛門 死去』


その下に、新しく書いた。


『娘・お菊への知らせ 至急』


そして、筆を置いた。


「千吉」


「はい」


「東軍の担当者に、使いを出してくれ」


「分かりました」


「それから、西軍にも書状を送る」


千吉は頷いた。


そして、少し考えて言った。


「親方。今回は、旗を作らないんですね」


俺は首を振った。


「……そうだな」


千吉は、静かに続けた。


「それでも、急ぎの仕事ですね」


俺は、深く頷いた。


本当に、急ぎの仕事だった。


          ◇


応仁二年、1468年。


京の戦は、終わる気配を見せなかった。


東軍と西軍の間には、幾重にも警戒の目があった。


知らせを届けるだけでも、理由を問われる。


誰からの書状か。


誰に届けるのか。


何が書かれているのか。


戦の前なら、近所の子どもに頼めたような用事でも、今では何人もの許しが必要だった。


俺は、庄右衛門の死を知らせる書状を書いた。


『庄右衛門殿、本日死去』


そこまで書いて、筆が止まった。


お菊は、つい先日、父と会った。


干し柿を持って、焼け残った家を訪ねた。


父の手を握り、また来ると約束した。


その娘に、父が亡くなったと知らせなければならない。


俺は、しばらく考えた。


そして、書き直した。


『庄右衛門殿、本日昼過ぎにご逝去。お菊殿へ速やかにお知らせ願いたく存じます』


最後に、静かに筆を置いた。


どう書いても、悲しい知らせであることに変わりはなかった。


          ◇


書状を届けるため、西軍の担当者へ使いを出した。


しかし、返事が来たのは翌朝だった。


『本日の通行は認められず』


俺は、書状を見つめた。


通行が認められない。


つまり、お菊に直接知らせることはできない。


俺は、すぐに別の方法を考えた。


「千吉」


「はい」


「人が通れないなら、書状だけでも届けられないだろうか」


千吉は、少し考えた。


「両軍が許してくれれば、使いの方に預けられるかもしれません」


俺は頷いた。


「その方法で相談しよう」


ところが、また返事が来た。


『書状の内容を確認する必要あり』


俺は、深くため息をついた。


「……亡くなったと知らせるだけなのに」


千吉も、困った顔をした。


「親方。戦の知らせが紛れていると思われるのでしょうか」


「そうかもしれん」


俺は、書状を見つめた。


一人の老人が亡くなった。


その知らせを娘へ届けたい。


それだけのことが、これほど難しい。


俺は、静かに呟いた。


「……戦というものは、本当に面倒だな」


父が、奥から答えた。


「面倒で済めば、まだいい」


俺は、顔を上げた。


父は、少しだけ目を伏せた。


「知らせが届かぬまま、人が亡くなることもあるからな」


俺は、何も言えなかった。


          ◇


その日の午後。


俺は、直接西軍の陣へ向かった。


三浦頼景殿に会うためだった。


頼景殿は俺を見るなり、深くため息をついた。


「弥三郎。また来たのか」


「はい」


「今度は何だ」


俺は、頭を下げた。


「人が亡くなりました」


頼景殿の表情が変わった。


「……誰だ」


「庄右衛門という老人です」


頼景殿は、少し考えた。


「以前、娘を会わせた者か」


「はい」


「……そうか」


俺は頷いた。


「娘のお菊殿へ、知らせを届けたいのです」


頼景殿は、しばらく黙った。


そして、静かに言った。


「書状を預かろう」


俺は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


だが、頼景殿は続けた。


「ただし、すぐに届くとは限らぬ」


「承知しております」


「今は、陣の出入りを厳しくしている」


俺は頷いた。


「では、届けられる見込みを教えていただけますか」


頼景殿は、少し考えた。


「……明日には、担当の者へ渡せるだろう」


俺は、ようやく息を吐いた。


「お願いいたします」


頼景殿は、書状を受け取った。


そして、少しだけ笑った。


「弥三郎」


「はい」


「そなたは、最近、旗を持ってこぬな」


俺は、少し考えた。


「……旗より、急ぎのものが増えましたので」


頼景殿は、静かに頷いた。


「そうか」


その声は、いつもより優しかった。


          ◇


店へ戻ると、父が縁側に座っていた。


「弥三郎」


「はい」


「……どうだった」


俺は、今日の出来事を話した。


庄右衛門の死を知らせる書状。


通行が認められなかったこと。


頼景殿が預かってくれたこと。


父は、最後まで黙って聞いていた。


そして、静かに頷いた。


「……そうか」


俺は、少しだけ笑った。


「父上は、いつもそれですね」


父も笑った。


だが、その笑みは長く続かなかった。


「弥三郎」


「はい」


「庄右衛門は、最後に娘に会えたんだな」


俺は頷いた。


「はい」


父は、少し目を細めた。


「……よかったな」


俺も頷いた。


「はい」


父は、しばらく庭を眺めていた。


そして、静かに言った。


「人はな、いつまでも待てるわけじゃない」


俺は、顔を上げた。


父は続けた。


「戦が終わってから。落ち着いてから。仕事が片付いてから。そう言っているうちに、会えなくなることもある」


その言葉に、胸が痛んだ。


父は、以前よりずっと弱っている。


最近では、長く座っていることも難しくなっていた。


俺は、静かに言った。


「……父上」


「何だ」


「何か、しておきたいことはありませんか」


父は、少し驚いた顔をした。


そして、笑った。


「あるぞ」


俺は、顔を上げた。


「何でしょう」


「もう一度、店の帳面を全部見たい」


俺は、思わず笑った。


「……帳面ですか」


「ああ」


「もっと、こう……」


俺は言葉を探した。


「特別なことは?」


父は、少し考えた。


そして答えた。


「特別なことなんて、もう十分してきたよ」


俺は、何も言えなかった。


父は、静かに続けた。


「今は、この店が続いていることを確かめたい」


俺は、深く頷いた。


          ◇


数日後。


お菊から返事が届いた。


俺は、書状を受け取った。


そこには、短い言葉が書かれていた。


『父の最期を知らせていただき、ありがとうございました』


その下に、もう一行。


『最後に会わせていただけたこと、心より感謝しております』


俺は、長い間その文字を見つめていた。


そして、静かに息を吐いた。


お菊は、父の最期に立ち会えなかった。


だが、最後に会うことはできた。


声を聞けた。


手を握れた。


それだけでも、救われるものがあるのだろう。


俺は、書状を丁寧に畳んだ。


そして、帳面に書き加えた。


『お菊殿へ知らせ、到着』


筆を置いた。


ようやく、一つの仕事が終わった。


          ◇


その日の夕方。


俺は、父の希望通り、帳面を並べた。


祖父・弥太郎の帳面。


父・弥一郎の帳面。


そして、俺の帳面。


三代分だった。


父は、ゆっくり頁をめくった。


「……懐かしいな」


俺は、隣に座った。


「どの辺りですか」


父は、古い頁を指した。


「これは、義満様の頃だ」


俺は頷いた。


「父上が若い頃ですね」


「ああ」


父は、少し笑った。


「この頃は、まだ京も賑やかだった」


俺は、古い文字を見た。


旗の注文。


代金。


納期。


そして、時々書かれた、妙な一言。


『昨日の敵、今日の客』


『代金は先払い』


『将軍様のご機嫌、保証せず』


俺は、思わず笑った。


「……父上も、昔から変なことを書いていますね」


父も笑った。


「父上の真似だ」


俺は、祖父の帳面を開いた。


そこには、もっと妙なことが書かれていた。


『味方が増えると、注文も増える』


『味方が減ると、支払いが減る』


『戦が終わると、旗が余る』


俺は、腹を抱えて笑った。


「……お祖父様は、商売人として大丈夫だったんでしょうか」


父も笑った。


「どうにかなっていたな」


そして、少しだけ真顔になった。


「弥三郎」


「はい」


「この帳面を、捨てるなよ」


俺は、顔を上げた。


「もちろんです」


父は頷いた。


「ここには、旗だけじゃなく、人の暮らしが残っている」


俺は、静かに頷いた。


その言葉の意味が、今ならよく分かる。


          ◇


翌朝。


俺は店先に新しい札を掛けた。


『大切なお知らせ、お預かりします』


その下に、小さく一行。


『ただし、配達には時間がかかる場合があります』


新九郎殿が、それを読んだ。


そして、しばらく黙った。


「弥三郎」


「何でしょう」


「……本当に、旗屋なのか」


俺は、少し笑った。


「はい」


「最近、旗を作る話を聞かんぞ」


「作っています」


新九郎殿は、首を傾げた。


「本当に?」


俺は、少しだけ胸を張った。


「もちろんです」


すると、父が奥から言った。


「弥三郎。昨日の注文、納期は大丈夫か」


俺は、顔を上げた。


「……昨日の注文?」


父は頷いた。


「細川家の旗、二十枚」


俺は、固まった。


佐吉が、静かに言った。


「親方。今日が納期です」


俺は、慌てて帳面を開いた。


確かに、書いてある。


『細川家 軍旗二十枚』


『納期 本日』


俺は、天井を仰いだ。


……まずい。


最近、人の面会や知らせのことばかり考えていた。


本業を忘れていた。


新九郎殿が、腹を抱えて笑った。


「ははは! とうとう旗屋が旗を忘れた!」


俺は、深くため息をついた。


父も笑っていた。


久しぶりに、店の中が笑い声で満たされた。


          ◇


だが、その笑い声は、長く続かなかった。


午後。


佐吉が、俺を呼んだ。


「親方」


「何でしょう」


佐吉の顔は、いつもより真剣だった。


「……弥一郎様のことで」


俺は、胸が冷たくなった。


「父上が?」


佐吉は、静かに頷いた。


「先ほど、急にお倒れになりました」


俺は、何も言えなかった。


慌てて奥の部屋へ向かった。


父は、布団に横たわっていた。


顔色が悪い。


呼吸も、いつもより浅い。


「父上!」


俺は、駆け寄った。


父は、ゆっくり目を開いた。


「……弥三郎か」


俺は、父の手を握った。


「はい。大丈夫ですか」


父は、少しだけ笑った。


「……大丈夫だ」


だが、その声は弱かった。


俺は、必死に言った。


「すぐに医者を呼びます」


父は、静かに頷いた。


そして、ゆっくり口を開いた。


「……弥三郎」


「はい」


「帳面は、見たか」


俺は、息を呑んだ。


「……見ました」


父は、少しだけ笑った。


「そうか」


そして、静かに続けた。


「……店を、頼むぞ」


俺は、何も言えなかった。


父の手は、驚くほど冷たかった。


俺は、その手を強く握った。


「父上。まだ、そんなことを言わないでください」


父は、かすかに笑った。


「……そうだな」


そして、ゆっくり目を閉じた。


俺は、父の手を握ったまま動けなかった。


庄右衛門のことが、頭に浮かんだ。


最後に娘に会えた老人。


そして、父の言葉。


――人は、いつまでも待てるわけじゃない。


俺は、ようやく理解した。


その言葉は、他人の話ではなかったのだ。

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