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本日も主君が変わりました ~昨日の敵が今日の味方な室町時代~  作者: さかもち
第三部 昨日の味方は、今日の敵です
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52/62

身分の高い方から、寂しくなるわけではありません

「身分の高い方を、先に会わせろ」


東軍の使者は、そう言って書状を差し出した。


俺は、そこに記された名前を見た。


細川家に仕える有力な家臣の親族。


片桐右京亮《かたぎりうきょうのすけ》殿。


会いたい相手は、西軍に身を寄せている妹だという。


「……承知しました」


俺が答えると、使者は満足そうに頷いた。


「では、庄右衛門という老人を外せ」


「いえ」


俺は、静かに首を振った。


「片桐様のご事情を伺うことを、承知したのです」


使者の眉が動いた。


「同じことではないか」


「違います」


「何が違う」


俺は帳面を開いた。


「面会を希望される方として、お名前を加えます。ただし、順番は事情を確かめてから決めます」


使者は、しばらく俺を睨んだ。


そして言った。


「弥三郎。そなたは、片桐家を軽んじるのか」


俺は、深く息を吐いた。


来た。


また、この問いだ。


旗を作れば、どちらの味方かと聞かれる。


旗を直せば、敵を助けるのかと聞かれる。


人を通せば、間者を逃がすのかと聞かれる。


そして今度は、面会の順番を決めるだけで、武家を軽んじるのかと聞かれる。


俺は、静かに答えた。


「軽んじてはおりません」


「ならば、先にしろ」


「ご事情を伺ってからです」


使者は、額に手を当てた。


「……面倒な男だ」


俺は頭を下げた。


「よく言われます」


最近では、その言葉を聞いても腹が立たなくなった。


慣れというものは恐ろしい。


          ◇


応仁二年、1468年。


京の町は、東軍と西軍に分かれたままだった。


戦は終わらない。


焼けた家は元に戻らない。


家族は自由に行き来できない。


俺たちは、両軍の許しを得られた時に限り、離ればなれになった家族が短い時間だけ会えるよう手伝っていた。


先日、東軍の使者から面会希望者三十二人の名簿を預かった。


西軍側にも希望者がおり、合わせて五十九人。


そして昨日、新たに片桐右京亮殿が加わった。


六十人。


店の帳面には、旗の注文と同じくらい多くの名前が並んでいる。


だが、困ったことがあった。


六十人といっても、六十組ではない。


同じ家族の名が、別々に届けられている場合もある。


一人が三人に会いたいという場合もある。


俺は帳面を見ながら、深いため息をついた。


「千吉」


「はい」


「面会の人数と組数は、別々に数えよう」


千吉は頷いた。


「なるほど。両側から申し込んだ家族もいるかもしれませんね」


「そうだ」


「では、会わせたい相手ごとにまとめますか」


「頼む」


千吉は嬉しそうに筆を取った。


俺は、その姿を見て少しだけ安心した。


千吉は、いつの間にか帳面仕事まで上手くなっていた。


昔は、縫い目も字も曲がっていたのに。


……いや。


俺も人のことは言えない。


祖父の帳面を見れば、三代目の俺の字も、まだ十分に曲がっている。


          ◇


その日の午後。


俺は片桐右京亮殿の屋敷を訪ねた。


身分だけを理由に順番を変えないとは言ったものの、本人の事情を確かめずに判断するつもりはなかった。


門をくぐると、手入れの行き届いた庭が見えた。


戦の中にあっても、こういう屋敷は残っているのだ。


少し驚いた。


右京亮殿は、四十ほどの武士だった。


顔には疲れが浮かんでいたが、姿勢は崩れていない。


「そなたが旗屋の弥三郎か」


「はい」


「私の面会を、後回しにしているそうだな」


俺は深く頭を下げた。


「まだ、順番は決めておりません」


右京亮殿は眉をひそめた。


「同じことではないか」


俺は、静かに答えた。


「妹君に会いたいご事情を伺いに参りました」


右京亮殿は、しばらく俺を見つめた。


そして、少しだけ笑った。


「……事情を聞けば、先にしてくれるのか」


「必要に応じて、そういたします」


「では、聞かせよう」


俺は、帳面を開いた。


          ◇


右京亮殿の妹は、千代(ちよ)という名だった。


かつて山名家に近い武家へ嫁いだという。


戦が始まる前は、年に何度も会っていた。


だが、今は西軍側にいる。


「……妹は、幼い頃から体が弱かった」


右京亮殿が言った。


俺は顔を上げた。


「ご病気なのですか」


「そう聞いている」


「どのようなご容体でしょう」


右京亮殿は、首を振った。


「詳しくは分からぬ」


俺は黙った。


右京亮殿は続けた。


「先月、妹から手紙が届いた。具合が悪く、床に伏せる日が増えたと」


俺は、ゆっくり頷いた。


「……それで、早く会いたいのですね」


右京亮殿は、しばらく黙った。


そして、静かに答えた。


「……ああ」


その声は、それまでと違っていた。


武士として命令する声ではない。


兄として、妹を心配する声だった。


俺は、帳面を閉じた。


「事情は分かりました」


右京亮殿は顔を上げた。


「では、先にしてくれるのか」


俺は答えた。


「西軍側に妹君のご容体とご希望を確かめます。移動が難しければ、別の方法も考えます」


右京亮殿は、少し不満そうだった。


「……まだ決めぬのか」


「はい」


俺は、静かに続けた。


「お会いすることが、妹君のご負担になってはいけませんので」


右京亮殿は、しばらく俺を見つめた。


そして、深く息を吐いた。


「……そうだな」


初めて、俺の言葉に素直に頷いてくれた。


          ◇


店へ戻ると、父が縁側に座っていた。


「弥三郎」


「はい」


「どうだった」


俺は、右京亮殿の話をした。


妹の千代が病に伏せっていること。


詳しい容体は分からないこと。


右京亮殿が、兄として心配していること。


父は黙って聞いていた。


やがて、静かに言った。


「……そうか」


俺は頷いた。


「身分だけで順番を変えるつもりはありませんでしたが、急ぐ事情はあるようです」


父は、少し笑った。


「そうだな」


「庄右衛門さんも、病に伏せています」


「ああ」


「お初さんは、出産が近い」


「うむ」


俺は、深くため息をついた。


「……結局、誰を先にすればよいのか」


父は、しばらく考えた。


そして言った。


「弥三郎。まず、その三人が本当に同じものを必要としているか、考えてみろ」


俺は、顔を上げた。


「……同じもの?」


「面会を望んでいるという点では同じだ。だが、必要なことまで同じとは限らん」


俺は、しばらく黙った。


父は続けた。


「病の者が遠くまで歩けるとは限らん。子を宿した者が危険な道を通れるとも限らん」


「はい」


「会う以外にも、今すぐできることがあるかもしれんぞ」


俺は、息を呑んだ。


なるほど。


面会の順番ばかり考えていた。


だが、全員を同じ場所へ呼ぶ必要はないのかもしれない。


          ◇


翌日。


俺は千吉と佐吉を集めた。


「面会の方法を、いくつかに分けたいと思います」


佐吉が頷いた。


「といいますと?」


俺は、帳面を広げた。


「まず、移動が難しい方には、無理に来ていただかない」


千吉が頷いた。


「庄右衛門さんのような方ですね」


「そうだ」


「では、どうするのですか」


「相手の方が安全に移動できるなら、近くまで来ていただく方法を考える」


佐吉が言った。


「それも難しい場合は?」


俺は頷いた。


「書状や品物を届ける方法を先に考える」


千吉が、少し驚いた。


「面会ではなく、手紙ですか」


「ああ」


俺は続けた。


「会えない間にも、言葉は届けられるかもしれない」


佐吉は、静かに頷いた。


「なるほど」


俺は、帳面に新しい欄を作った。


『直接面会』


『近くまで訪問』


『書状の取り次ぎ』


『品物のお届け』


そして、最後に、


『本人の希望』


と書いた。


千吉が、それを見て言った。


「親方」


「何だ」


「旗屋の帳面ではなくなってきましたね」


俺は、少しだけ笑った。


「……そうだな」


すると、奥から父の声がした。


「なら、別の帳面にしろ」


俺は振り返った。


「父上?」


「旗の売上と人の面会を同じ帳面に書くから、ややこしくなるんだ」


俺は、しばらく考えた。


そして頷いた。


「……確かに」


父は笑った。


「三代目にもなって、そんなことも分からんのか」


俺は、少し腹が立った。


だが、反論できなかった。


その日のうちに、面会相談専用の帳面を一冊用意した。


          ◇


数日後、西軍から返事が届いた。


右京亮殿の妹・千代についてである。


俺は書状を開いた。


そこには、こう書かれていた。


『千代殿、病により長距離の移動困難』


俺は、深く息を吐いた。


やはり、難しいか。


だが、続きを読むと、別のことが書かれていた。


『兄君へ書状を届けることを希望』


俺は、顔を上げた。


会いたい。


だが、今は動けない。


それなら、まず手紙を届ける。


俺は、すぐに右京亮殿へ使いを出した。


          ◇


右京亮殿は、俺の話を聞いて長い間黙っていた。


「……妹は、会えぬのか」


「今は、ご移動が難しいそうです」


右京亮殿は、静かに頷いた。


「そうか」


俺は続けた。


「ですが、書状をお届けしたいとのことです」


右京亮殿の顔が変わった。


「……妹が?」


「はい」


俺は、封をされた書状を差し出した。


右京亮殿は、両手で受け取った。


しばらく、何も言わなかった。


そして、静かに封を開いた。


俺は、少し離れて待った。


右京亮殿は、書状を読んだ。


一度。


二度。


そして、三度。


やがて、書状を膝の上に置いた。


俺は、静かに尋ねた。


「……いかがでしょう」


右京亮殿は、少し笑った。


「……妹は、昔から強情でな」


俺は、顔を上げた。


右京亮殿は続けた。


「子どもの頃から、私の言うことなど、ほとんど聞かなかった」


その声は、少し震えていた。


「今も、同じらしい」


俺は、黙って聞いていた。


右京亮殿は、書状を見つめた。


そして、静かに言った。


「『兄上は、戦のことばかり考えておられるのでしょう。私のことは心配なさらず、お体を大切に』と書いてある」


俺は、少し笑った。


「お優しい妹君ですね」


右京亮殿は頷いた。


「……ああ」


そして、小さな声で付け加えた。


「生きていてくれた。それだけで、ありがたい」


俺は、その言葉を胸に刻んだ。


          ◇


右京亮殿は、しばらくして俺を見た。


「弥三郎」


「はい」


「……妹との面会は、今はよい」


俺は、少し驚いた。


「よろしいのですか」


「無理に動かして、病を悪くしてはならぬ」


俺は頷いた。


右京亮殿は続けた。


「その代わり、返事を届けてもらえるか」


俺は、深く頭を下げた。


「承知しました」


右京亮殿は、しばらく俺を見つめた。


そして言った。


「……そなたの言うことを、少し誤解していたようだ」


俺は、顔を上げた。


「誤解、でございますか」


「身分を軽んじているのかと思った」


俺は、静かに首を振った。


「そのようなつもりはございません」


右京亮殿は頷いた。


「今は分かる」


そして、少しだけ笑った。


「そなたは、誰に対しても面倒なのだな」


俺は、思わず笑った。


「……よく言われます」


          ◇


その夜。


俺は、新しい帳面を開いた。


『片桐右京亮殿』


『妹・千代殿』


『直接面会は当面見送り』


『書状取り次ぎ実施』


俺は、筆を置いた。


面会は、実現しなかった。


だが、右京亮殿は少し安心していた。


妹の無事を知ったからだ。


俺は、静かに考えた。


人が会いたいと願う時。


本当に求めているのは、顔を見ることだけなのだろうか。


無事を知りたい。


声を聞きたい。


言葉を交わしたい。


昔のように、同じ場所で笑いたい。


会うことは、そのための一つの方法なのかもしれない。


俺は、深く息を吐いた。


          ◇


翌朝。


俺は庄右衛門の家へ向かった。


病の老人である。


直接面会を希望していたが、今の体調では移動は難しい。


まず、娘のお菊から手紙を届けることはできないだろうか。


そう考えたのだ。


庄右衛門は、布団に横たわっていた。


俺が事情を話すと、静かに頷いた。


「……手紙か」


「はい」


「お菊が書いてくれるなら、嬉しいな」


俺は、少し安心した。


だが、庄右衛門は続けた。


「ただな、旗屋さん」


「はい」


「わしは、字が読めん」


俺は、顔を上げた。


「……そうでしたか」


庄右衛門は、少し笑った。


「若い頃から働いてばかりでな。字を習う機会がなかった」


俺は、しばらく考えた。


「では、私が読み上げましょうか」


庄右衛門は頷いた。


「ありがたい」


俺も頷いた。


だが、老人は静かに続けた。


「……でも、できれば」


俺は、顔を上げた。


「何でしょう」


庄右衛門は、少しだけ目を伏せた。


「娘の声で、聞きたいんだ」


俺は、何も言えなかった。


その言葉には、強い願いがあった。


手紙では足りない。


他人が読み上げても足りない。


娘の声が聞きたい。


ただ、それだけ。


俺は、静かに頭を下げた。


「……分かりました」


そして、ゆっくり続けた。


「お菊さんがこちらへ来られる方法を、もう一度考えてみます」


庄右衛門は、少しだけ笑った。


「……頼むよ」


          ◇


店へ戻ると、父が待っていた。


「弥三郎」


「はい」


「……難しい顔をしているな」


俺は、庄右衛門の話をした。


字が読めないこと。


手紙を読み上げてもらうことはできること。


だが、娘の声で聞きたいと願っていること。


父は、最後まで黙って聞いていた。


そして、静かに頷いた。


「……そうか」


俺は、少し笑った。


「父上は、いつもそれですね」


父も笑った。


だが、すぐに真顔になった。


「弥三郎」


「はい」


「お前は、庄右衛門の願いを叶えたいのか」


俺は頷いた。


「はい」


「なら、もう少し考えてみろ」


俺は、顔を上げた。


父は続けた。


「会うために、庄右衛門を動かす必要はない。娘を動かせばよい」


「……はい」


「だが、娘が来られぬなら、別の方法もあるかもしれん」


俺は、しばらく考えた。


そして、首を傾げた。


「……声を届ける方法、ですか」


父は、少し笑った。


「そうだ」


俺は、さらに考えた。


手紙。


伝言。


誰かが代わりに話す。


だが、本人の声ではない。


俺は、静かに首を振った。


「……難しいですね」


父は頷いた。


「そうだな」


そして、少しだけ笑った。


「だから、面白いんだろう」


俺は、思わず笑った。


「父上は、楽しそうですね」


父は、静かに答えた。


「考えることだけは、まだできるからな」


その言葉に、俺は少し胸が痛んだ。


父は、以前よりずっと弱っている。


もう長い距離を歩くこともできない。


それでも、俺の相談にはいつも耳を傾けてくれる。


俺は、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


父は、少し照れくさそうに笑った。


          ◇


数日後。


俺は、東軍と西軍の担当者に新しい案を示した。


庄右衛門は動かさない。


娘のお菊だけが、許可された道を通って父の家を訪ねる。


面会が終われば、決められた時刻に戻る。


そのための通行を、双方に認めてもらえないか。


東軍の担当者は、少し考えた。


「……一人だけなら、可能かもしれぬ」


俺は頷いた。


西軍の担当者も、しばらく考えた。


「ただし、帰りの通行も確実に認めることが条件だ」


俺は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


少しずつ、道が開けてきた。


          ◇


面会の日。


お菊は、一人でやってきた。


三十代半ばほどの女性だった。


手には、小さな包みを持っている。


中には、父の好物だという干し柿が入っていた。


「旗屋様」


お菊は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


俺は、静かに頷いた。


「まだ、これからです」


東軍と西軍の兵が、通行を確認した。


お菊は、ゆっくり道を進んだ。


俺も、許されたところまで付き添った。


やがて、庄右衛門の家が見えてきた。


お菊は、足を止めた。


そして、小さな声で言った。


「……父ちゃん」


俺は、何も言えなかった。


お菊は、家の中へ入った。


しばらくして、老人の声が聞こえた。


「……お菊か?」


その声は、弱々しかった。


だが、次の瞬間。


「父ちゃん!」


お菊の声が響いた。


俺は、そっと戸口から離れた。


中から、二人の泣き声が聞こえた。


そして、しばらくして笑い声が聞こえた。


俺は、静かに目を閉じた。


          ◇


面会が終わる頃。


俺は、庄右衛門の家を訪ねた。


お菊は、父の手を握っていた。


庄右衛門は、穏やかな顔をしている。


「旗屋さん」


老人が、俺を呼んだ。


「はい」


「……ありがとう」


俺は、深く頭を下げた。


「いえ」


庄右衛門は、少し笑った。


「娘の声を、聞けたよ」


俺は、胸の奥が熱くなった。


「……よかったです」


お菊も、涙を拭った。


そして、静かに言った。


「父ちゃん。また来るからね」


庄右衛門は頷いた。


「……ああ」


その声は、とても小さかった。


だが、確かに届いていた。


          ◇


店へ戻った夜。


俺は、新しい帳面を開いた。


『庄右衛門』


『娘・お菊』


『娘が訪問する形で面会実施』


『双方の許可を得て通行』


『無事終了』


俺は、筆を置いた。


そして、少しだけ笑った。


最初は、誰を先に会わせるかばかり考えていた。


だが、必要なのは順番だけではなかった。


会いたい人に、どうすれば会えるか。


それぞれの事情に合わせて考えることだった。


俺は、静かに呟いた。


「……少し、分かってきた気がします」


すると、背後から父の声がした。


「弥三郎」


俺は振り返った。


「はい」


父は、少し笑った。


「何が分かった」


俺は答えた。


「公平というのは、皆を同じ順番に並べることではないのかもしれません」


父は頷いた。


「そうだな」


俺は続けた。


「それぞれに必要な方法を考えることなのだと思います」


父は、静かに笑った。


「……よい答えだ」


俺は、少し照れくさくなった。


          ◇


翌朝。


俺は店先に、新しい札を掛けた。


『面会の方法、ご相談ください』


その下に、小さく一行。


『順番だけでなく、事情も伺います』


新九郎殿が、それを読んだ。


そして、しばらく考えた。


「弥三郎」


「何でしょう」


「……これ、もう完全に相談所だな」


俺は笑った。


「そうですね」


「旗は、いつ作るんだ」


俺は、少しだけ胸を張った。


「ちゃんと作っています」


新九郎殿は、腹を抱えて笑った。


「ははは! 弥太郎殿の孫らしい!」


父も、店の奥で笑っていた。


その笑い声を聞きながら、俺は少し安心した。


京の町は、今日も戦の中にある。


だが、店にはまだ笑い声がある。


そして、人々の願いを叶える方法も、少しずつ見つかってきた。


そう思っていた。


          ◇


その日の夕方。


一人の少年が、店へ駆け込んできた。


「旗屋さん!」


俺は振り返った。


「どうした!」


少年は、息を切らしていた。


「庄右衛門じいさんが……!」


俺は、胸が冷たくなった。


「……どうした」


少年は、涙を浮かべた。


「さっき、亡くなったんです!」


俺は、何も言えなかった。


庄右衛門。


娘のお菊に会いたいと願っていた老人。


つい先日、その願いが叶ったばかりだった。


俺は、ゆっくり目を閉じた。


少年は続けた。


「お菊さんに、知らせてほしいって……」


俺は、静かに頷いた。


「……分かった」


そして、帳面を開いた。


庄右衛門の名前。


『面会実施』


『無事終了』


その文字を、長い間見つめた。


無事終了。


確かに、面会は無事に終わった。


だが、その人の暮らしは、もう終わってしまった。


俺は、静かに筆を取った。


そして、最後に一行を書き加えた。


『庄右衛門、死去』


筆が止まった。


俺は、深く息を吐いた。


その時、父が静かに言った。


「弥三郎」


俺は振り返った。


「はい」


父は、少しだけ目を伏せた。


そして、静かに続けた。


「……会わせられて、よかったな」


俺は、何も答えられなかった。


父は、ゆっくり頷いた。


「最後に娘の声を聞けた。それだけでも、庄右衛門は嬉しかっただろう」


俺は、静かに頷いた。


だが、胸の奥には、別の思いがあった。


もし、面会を後回しにしていたら。


もし、身分の高い者を先にしていたら。


庄右衛門は、娘に会えなかったかもしれない。


俺は、ゆっくり帳面を閉じた。


人の命に、順番をつけることはできない。


だが。


会える時間には、限りがある。


俺は、そのことを初めて心から理解した気がした。


京の空には、今日も煙が上がっていた。


そして、旗屋の帳面には、また一人、帰ってこない人の名が残された。

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