会いたい人から順番に、とは参りません
「公平に決めてほしい」
東軍の使者は、そう言って書状を置いた。
俺は、そこに並ぶ名前を数えた。
三十二人。
全員が、西軍の陣に家族や親しい者を残しているという。
「……三十二人ですか」
「そうだ」
「全員、面会をご希望で?」
「そう聞いている」
俺は書状を裏返した。
裏には何も書かれていなかった。
「それで、面会の順番を私が決めるのですか」
「そなたなら、公平に決められるだろう」
俺は、使者を見た。
「なぜでしょう」
「東軍にも西軍にも肩入れせぬと評判だからだ」
俺は深く息を吐いた。
なるほど。
最近、俺の店には妙な評判が立っているらしい。
旗の出来がよい。
仕事が早い。
値段が明確。
そこまではありがたい。
だが、最近では、
『敵味方を問わず相談に乗る』
『人を安全に通す』
『離れた家族を会わせる』
という話まで広がっている。
俺は旗屋である。
そのことを、そろそろ誰かに思い出していただきたい。
「恐れながら」
俺は使者に尋ねた。
「人の順番を決めるのは、旗を作るより難しい仕事でございます」
男は頷いた。
「そうだろうな」
「でしたら、もう少し詳しい事情を……」
「任せた」
男は立ち上がった。
俺は慌てた。
「お待ちください!」
「何だ」
「まだ、お引き受けすると申し上げておりません!」
男は不思議そうな顔をした。
「だが、断らぬのであろう」
俺は、何も言えなかった。
使者は満足そうに頷き、帰っていった。
その背中を見送りながら、俺は思った。
お祖父様。
父上。
どうやらこの店は、代を重ねるごとに断り方が下手になっているようです。
◇
応仁二年、1468年。
京の戦は、終わる気配を見せなかった。
東軍と西軍は、互いに陣を固めている。
将軍・足利義政様は東軍側におられる。
一方、西軍にも多くの有力大名が集まり、戦は幕府の内部だけでは収まらなくなっていた。
さらに、前年に西国から大軍を率いて上洛した大内政弘殿の存在も、西軍を支える大きな力となっていた。
戦が長引くにつれ、京の町には二つの変化が起きた。
一つは、家が減ったこと。
もう一つは、事情が増えたことだ。
誰かの家が焼ける。
誰かが陣へ入る。
誰かが故郷へ帰れなくなる。
そして、誰かが家族と離れ離れになる。
俺の帳面には、武家の紋よりも人の名前が増え始めていた。
「親方」
千吉が、書状を覗き込んだ。
「三十二人もいるんですか」
「ああ」
「全員、会わせるんですか」
「会わせたいとは思っている」
「でも、一度には無理ですよね」
俺は頷いた。
前回、源太郎の妻・志乃と息子の太一を、西軍にいる藤次郎と会わせた時でさえ、許可を得るのに何日もかかった。
今回は三十二人だ。
しかも、東軍側からの希望者だけである。
西軍側にも同じような人がいれば、その数はさらに増える。
俺は筆を取った。
そして、帳面に書いた。
『面会希望者三十二名』
その下に、
『優先順位を決める』
と書きかけた。
だが、筆が止まった。
誰を先にする。
何を基準に。
歳か。
病か。
離れていた長さか。
それとも、身分か。
俺は、静かに筆を置いた。
◇
まず、佐吉と千吉に相談した。
佐吉は、しばらく書状を眺めていた。
「親方。希望者の中には、お年寄りもいらっしゃるのでしょうね」
「おそらく」
「病の方も」
「そうだろうな」
千吉が言った。
「では、お年寄りから順番にすればよいのでは?」
俺は少し考えた。
「それも一つの方法だな」
佐吉は首を傾げた。
「ですが、若くても、明日には戦場へ向かう方もいるかもしれません」
千吉は黙った。
俺は頷いた。
「そうですね」
「それに、子どもが親を待っている場合もあります」
佐吉が続けた。
「歳だけでは決められません」
俺は深くため息をついた。
その時、奥から父の声がした。
「弥三郎」
「はい」
「くじにしたらどうだ」
俺は、思わず顔を上げた。
父は、少し笑っていた。
「くじ、ですか」
「ああ」
「……将軍様を決める時のように?」
父は頷いた。
「そうだ」
俺は首を振った。
「嫌です」
「なぜだ」
「くじで決められた義教様が、どうなられたか覚えておりますので」
父は黙った。
そして、静かに言った。
「……確かにな」
しばらくして、新九郎殿が横から口を挟んだ。
「なら、銭を多く払った者からにすればいい」
俺は即座に答えた。
「もっと嫌です」
「お前、商売人だろ」
「商売人だからこそです」
俺は帳面を閉じた。
「この仕事で、銭の多い少ないを基準にはしたくありません」
新九郎殿は、少しだけ驚いた顔をした。
そして、静かに笑った。
「……弥太郎殿の孫だな」
俺は、褒められたのかどうか分からなかった。
◇
翌日から、希望者の事情を聞くことにした。
もちろん、俺一人で三十二人すべてと会えるわけではない。
東軍の担当者へ頼み、家族の関係や面会を希望する理由を確かめてもらった。
その一方で、西軍の担当者にも書状を送り、そちらにも面会を望む人がいるか尋ねた。
数日後。
返事が届いた。
東軍側、三十二人。
西軍側、二十七人。
合計、五十九人。
俺は書状を見つめた。
「……増えましたね」
千吉が頷いた。
「はい」
佐吉が静かに言った。
「親方。これでは、全員を会わせるのは難しいでしょう」
俺も頷いた。
「そうですね」
父が、帳面を見て笑った。
「弥三郎。旗五十九枚なら、何とかなるんだがな」
俺は、少しだけ笑った。
「人は、そうはいきませんね」
父は頷いた。
「そうだな」
◇
希望者の中に、一人の老人がいた。
名を庄右衛門という。
七十を過ぎているらしい。
東軍側に住み、病に伏せっているという。
会いたい相手は、西軍側に残った娘だった。
俺は、事情を聞くために庄右衛門の家を訪ねた。
家は、半分ほど焼けていた。
壁には隙間があり、屋根にも応急の修理が施されている。
庄右衛門は、薄い布団に横たわっていた。
「……旗屋さんか」
俺は頭を下げた。
「弥三郎と申します」
老人は、少し笑った。
「わざわざ、すまんな」
「いえ」
俺は、傍らへ座った。
「娘さんに、会いたいと伺いました」
庄右衛門は頷いた。
「……ああ」
「お名前は?」
「お菊という」
「西軍側にいらっしゃるのですね」
「ああ。嫁いだ先が、向こうなのだ」
俺は頷いた。
庄右衛門は、ゆっくり息をした。
「戦が始まる前は、月に一度くらい顔を見せに来てくれた」
「そうですか」
「孫も連れてな」
老人は、少し笑った。
「うるさい孫でな。来るたび、菓子をねだる」
俺も笑った。
「元気なお孫さんですね」
「ああ」
庄右衛門は、しばらく天井を見つめた。
そして、小さな声で言った。
「……もう一度、会いたい」
俺は、胸が痛くなった。
「必ず会わせます」と言いかけた。
だが、言えなかった。
約束できないからだ。
俺は、静かに頭を下げた。
「できる限り、手を尽くします」
庄右衛門は、少しだけ笑った。
「……それでいい」
◇
次に会ったのは、若い女性だった。
名をお初という。
二十歳を少し過ぎた頃だろうか。
東軍側に身を寄せているが、夫は西軍側にいるという。
「夫に会いたいのです」
俺は頷いた。
「ご主人は、武士でいらっしゃいますか」
「はい」
お初は、静かに答えた。
「戦に出ています」
俺は、少し身構えた。
「面会が認められるか、難しいかもしれません」
お初は頷いた。
「分かっています」
そして、少しだけ目を伏せた。
「……ですが」
俺は、続きを待った。
お初は、腹に手を置いた。
「子どもが、生まれるのです」
俺は、息を呑んだ。
「……いつ頃でしょう」
「もう、あまり先ではありません」
お初は、静かに笑った。
「夫は、まだ知りません」
俺は、何も言えなかった。
戦が始まった時、夫婦は離ればなれになった。
手紙も、なかなか届かない。
夫は、妻が子を宿していることさえ知らないという。
「……お伝えしたいのですね」
俺が尋ねると、お初は頷いた。
「はい」
そして、目に涙を浮かべた。
「生まれる前に、一度だけでも」
俺は、深く頭を下げた。
「……分かりました」
◇
さらに、別の男がいた。
名を作兵衛という。
四十代の大工だった。
西軍側に妻と息子がいる。
「会いたい理由を、お聞かせください」
俺が尋ねると、作兵衛は答えた。
「……別に、急ぎではありません」
俺は、少し驚いた。
「急ぎではない?」
「はい」
「では、なぜ面会を?」
作兵衛は、少し困ったように笑った。
「……顔を見たいだけです」
俺は黙った。
「妻も息子も、無事だとは聞いております」
「そうですか」
「ですが、もう一年以上、会っていません」
俺は、静かに頷いた。
作兵衛は続けた。
「生きていると分かっていても、顔を見ないと安心できないものです」
俺は、何も言えなかった。
確かに、そうだ。
病に伏せる父に会いたい者。
生まれる子のことを夫に伝えたい者。
ただ、家族の顔を見たい者。
どれも、理由として間違っていない。
では、誰を先にすべきなのか。
俺には、ますます分からなくなった。
◇
店へ戻ると、父が縁側に座っていた。
「弥三郎」
「はい」
「……ずいぶん疲れた顔だな」
俺は、隣に座った。
「はい」
父は、少し笑った。
「仕事が難しいか」
俺は頷いた。
「旗なら、何枚作れるか分かります」
「そうだな」
「布の量も、糸の量も、必要な時間も、おおよそ計算できます」
父は頷いた。
「うむ」
「ですが、人の事情は、計算できません」
父は、しばらく黙った。
俺は続けた。
「庄右衛門さんは、病の身で娘に会いたい。お初さんは、生まれてくる子のことを夫に伝えたい。作兵衛さんは、ただ家族の顔を見たい」
俺は、深く息を吐いた。
「……誰を先にすればよいのでしょう」
父は、すぐには答えなかった。
しばらくして、静かに言った。
「弥三郎。お前は、誰の事情が一番大切だと思う」
俺は首を振った。
「分かりません」
父は頷いた。
「そうだろうな」
「父上なら、どうしますか」
父は、少し考えた。
そして言った。
「……俺なら、まず誰が一番危ないかを考える」
俺は、顔を上げた。
父は続けた。
「病が重い者。出産を控えている者。近いうちに陣を離れる者。そういう事情があるなら、先に動かなければ間に合わないかもしれん」
俺は頷いた。
「……なるほど」
「だが、それだけで決めるな」
「なぜです?」
父は、静かに答えた。
「お前が知らない事情もあるからだ」
俺は、しばらく考えた。
確かに、そうだった。
作兵衛は、急ぎではないと言った。
だが、本当にそうなのだろうか。
本人が言わなかっただけで、何か事情があるかもしれない。
父は続けた。
「それから、もう一つ」
「はい」
「一人で決めるな」
俺は、顔を上げた。
父は、少し笑った。
「お前は親方だ。だが、親方だからといって、何でも一人で決める必要はない」
その言葉が、胸に残った。
◇
翌朝。
俺は、佐吉と千吉を呼んだ。
そして、面会希望者についての考えを伝えた。
「まず、急ぐ事情のある方を確かめたいと思います」
佐吉が頷いた。
「病や出産などですね」
「はい。ただし、本人が望むことを確認した上で、移動による危険も考えます」
千吉が尋ねた。
「それから?」
「東西双方の担当者にも、どれくらいの人数なら認められるか聞きます」
佐吉は頷いた。
「一度に会える人数が分からなければ、順番も決められませんからね」
「そうです」
俺は続けた。
「それから、希望者の事情を、できる限り同じ方法で確認します」
千吉が、少し考えた。
「……親方」
「何だ」
「公平にするって、難しいですね」
俺は、静かに頷いた。
「本当にな」
そして、少しだけ笑った。
「でも、何も決めないわけにもいかない」
千吉も頷いた。
◇
数日後。
東軍と西軍から、返事が届いた。
一度に面会を認められるのは、数組まで。
時間も限られている。
また、戦の状況によっては、直前に中止になることもある。
俺は、書状を並べた。
そして、面会希望者の一覧を見た。
五十九人。
そのすべてを、すぐに会わせることはできない。
俺は、深く息を吐いた。
その時、佐吉が言った。
「親方。まず、三組だけでも進めてみてはいかがでしょう」
俺は顔を上げた。
「三組?」
「はい」
「ですが、ほかの方々は……」
佐吉は、静かに首を振った。
「全員を一度に助けられないからといって、誰も助けないわけにはいきません」
俺は、何も言えなかった。
そして、深く頷いた。
「……そうですね」
千吉が、少し笑った。
「親方。最初の三組が無事に会えれば、次の方々にもつながります」
俺も、少し笑った。
「ああ」
◇
その夜、俺は帳面を開いた。
『家族面会希望者 五十九名』
その下に、新しい欄を作った。
『急を要する事情』
『本人の希望』
『移動の危険』
『双方の許可』
そして、最後に、
『面会実施』
と書いた。
俺は、しばらく帳面を見つめた。
旗の注文なら、早い者から作ることもできる。
代金を受け取った順に仕立てることもできる。
だが、今回は違う。
人の事情を、ただ順番に並べることはできない。
俺は、静かに呟いた。
「……公平とは、何でしょうね」
すると、背後から父の声がした。
「弥三郎」
俺は振り返った。
「はい」
父は、少し笑った。
「全員に同じことをするのが、公平とは限らんぞ」
俺は、顔を上げた。
父は続けた。
「困っていることが違えば、必要な助けも違う」
俺は、静かに頷いた。
その言葉が、胸に残った。
◇
翌朝。
俺は、最初の面会候補を三組選んだ。
庄右衛門と娘のお菊。
お初と夫。
そして、もう一組。
幼い子どもと、離れ離れになった母親だった。
もちろん、これで決定ではない。
双方の許可が必要だ。
本人たちの体調や意思も確かめなければならない。
それでも、ようやく最初の一歩を踏み出せた気がした。
俺は帳面を閉じた。
そして、佐吉に言った。
「まず、この三組から進めましょう」
佐吉は頷いた。
「承知しました」
千吉も、静かに笑った。
「親方。きっとうまくいきます」
俺は、少しだけ笑った。
「……そうだといいな」
◇
その日の午後。
店へ、一人の男が訪ねてきた。
東軍の武士だった。
「旗屋弥三郎殿」
俺は頭を下げた。
「はい」
男は、静かに言った。
「面会の順番について、話を聞いた」
俺は頷いた。
「はい。まず三組からと考えております」
男は、少しだけ眉をひそめた。
「その三組の中に、庄右衛門という老人がおるな」
俺は、顔を上げた。
「はい」
男は、しばらく黙った。
そして言った。
「……その老人を、外してもらいたい」
俺は、息を呑んだ。
「なぜでしょう」
男は、少しだけ声を落とした。
「ほかに、優先すべき者がいる」
俺は、静かに尋ねた。
「どのような事情の方でしょう」
男は、懐から一枚の書状を取り出した。
そこには、有力な武家の名が記されていた。
俺は、目を落とした。
そして、ゆっくり顔を上げた。
「……こちらの方を、先に?」
男は頷いた。
「そうだ」
「理由を伺っても?」
男は、少しだけ笑った。
「身分だ」
俺は、何も言えなかった。
男は続けた。
「この方は、東軍にとって重要な家の御一族だ。先に面会させるのが当然であろう」
俺は、帳面を見た。
庄右衛門。
病に伏せり、娘に会いたいと願っている老人。
そして、今、目の前に差し出された名。
有力な武家の親族。
俺は、静かに息を吐いた。
「……恐れながら」
男が顔を上げた。
俺は続けた。
「その方にも、急を要する事情がおありでしょうか」
男の顔が険しくなった。
「何?」
俺は、静かに尋ねた。
「ご病気ですか。それとも、近く戦へ出られるのでしょうか」
男は、しばらく俺を睨んだ。
そして、低い声で言った。
「弥三郎。そなたは、身分の違いが分からぬのか」
俺は、何も言えなかった。
だが、帳面の中には、五十九人の名前がある。
一人ひとりに、会いたい理由がある。
それを、身分だけで並べ替えてよいのだろうか。
俺は、ゆっくり帳面を閉じた。
そして、静かに答えた。
「……身分の違いは、存じております」
男は、少しだけ満足そうに頷いた。
だが、俺は続けた。
「ですが、会いたい人を思う気持ちに、身分の違いはあるのでしょうか」
男の顔から笑みが消えた。
俺は、深く頭を下げた。
「事情をお聞かせいただければ、同じように検討いたします」
男は、長い間俺を睨んでいた。
そして、静かに言った。
「……そなた、本当に自分の立場が分かっているのか」
俺は、答えられなかった。
旗屋。
三代目。
京の町で生まれ、育ち、商売を続けてきた男。
それが俺の立場だ。
だが、今この場で求められているのは、旗屋としての答えではない。
身分の高い者を優先するか。
それとも、病に伏せる老人の願いを先にするか。
俺は、静かに息を吐いた。
そして、父の言葉を思い出した。
――全員に同じことをするのが、公平とは限らん。
だが。
身分が高いからといって、必要としている助けまで大きいとは限らない。
俺は、帳面を開いた。
そこには、庄右衛門の名前があった。
そして、新しく届けられた武家の名も書き加えた。
『面会希望者 六十名』
一人、増えた。
ただ、それだけのはずだった。
だが、その一人が、俺の決めた順番を揺るがそうとしている。
俺は、筆を置いた。
京の町では、今日も東軍と西軍が争っている。
そして、旗屋の店先では、別の争いが始まろうとしていた。




