中立の旗屋は、両方から疑われます
白い旗を持って西軍の陣へ向かおうとしたところ、父に呼び止められた。
「弥三郎。その旗を置いていけ」
俺は振り返った。
「なぜです?」
「今、お前が疑われている理由は何だ」
「東軍に協力したのではないかと……」
「その証拠だと言われている旗を、わざわざ持っていくのか」
俺は白い布を見た。
昨日、町人を逃がすために作った旗だった。
泥がつき、端が少しほつれている。
俺にとっては、人々が無事に通った証しである。
だが、西軍の一部には、東軍と密かに通じるための目印に見えるらしい。
「……説明するために必要かと思いまして」
父は首を振った。
「説明は口でしろ。証拠になるものは、向こうに持っていかれるぞ」
俺は、しばらく考えた。
そして旗を畳んだ。
「分かりました」
父は頷いた。
「それから、もう一つ」
「はい」
「千吉を連れていくな」
俺は顔を上げた。
「しかし……」
「昨日の通行に関わった者を、二人も危険にさらす必要はない」
俺は黙った。
父は続けた。
「お前が捕まれば、店には戻れる者が必要だ」
その言葉に、胸の奥が冷たくなった。
捕まる。
父は、その可能性を本気で考えている。
「……父上」
「何だ」
「俺は、帰ってきます」
父は、少しだけ笑った。
「そうしてくれ」
そして、静かに付け加えた。
「俺はもう、次の親方を育てる元気がない」
俺は笑おうとした。
だが、上手く笑えなかった。
◇
応仁二年、1468年。
京の町は、東軍と西軍に分かれていた。
もっとも、実際の町に真っすぐ線が引かれているわけではない。
この通りの向こうは東軍。
あの屋敷の裏手は西軍。
そう単純に説明できれば、どれほど助かるだろう。
昨日まで東軍の兵がいた場所に、今日は西軍の兵がいることもある。
焼けた家を挟んで、互いに矢を射かけることもある。
道を一つ間違えただけで、敵の間者だと疑われる。
俺は、昨日の通行で知り合った東軍の武士から、通行のための書状を受け取った。
ただし、そこには東軍の印が押されていた。
俺は、しばらく書状を見つめた。
「……これを西軍に見せるのですか」
武士は頷いた。
「東軍が正式に許可した証しだ」
「西軍から見れば、東軍と親しい証しにもなりませんか」
男は黙った。
やがて、少し困ったように言った。
「……そうかもしれぬ」
俺は深いため息をついた。
旗も駄目。
書状も駄目。
では、何を持っていけばよいのだろう。
結局、俺は昨日の取り決めを書き写した、自分の控えだけを懐に入れた。
東軍の書状は、店に残した。
帰ってきたら、必要に応じて示せばよい。
帰ってこられれば、の話だが。
◇
西軍の陣に着くと、以前会った三浦頼景殿が迎えてくれた。
もっとも、歓迎しているようには見えなかった。
「弥三郎殿」
「お久しぶりでございます」
頼景殿は、周囲を見回した。
「……よく来たな」
「疑いをかけられていると聞きましたので」
「聞いたか」
「はい」
頼景殿は深く息を吐いた。
「昨日の通行について、上で問題になっている」
俺は頷いた。
「どのようなことでしょう」
「町人の中に、東軍へ知らせを運ぶ者がいたのではないかという話だ」
「証拠はあるのですか」
頼景殿は首を振った。
「今のところ、確かなものはない」
俺は、少しだけ安心した。
だが、頼景殿は続けた。
「だからといって、疑いが消えるわけではない」
俺は黙った。
「西軍の陣には、東軍を警戒する者が大勢いる。昨日のように道を開けること自体、危険だと考える者もいる」
俺は頷いた。
「分かります」
頼景殿は、俺を見た。
「本当に分かっているか」
その声は、思ったより厳しかった。
「お前は町人を通したいと言った。だが、我らは陣を守らねばならぬ」
俺は、静かに頭を下げた。
「はい」
「その両方が必ず両立するとは限らぬ」
俺は、何も言えなかった。
◇
頼景殿に案内され、陣の奥へ進んだ。
そこで待っていたのは、初めて見る武士だった。
年は四十ほど。
細い目に、鋭い表情。
名を河野信親と名乗った。
西軍の陣中で、周囲の警戒を担当しているという。
「旗屋弥三郎とは、そなたか」
「はい」
「東軍と西軍の間に、町人を通したそうだな」
「はい」
「誰の命令だ」
俺は答えた。
「東西双方の担当の方々から、許しをいただきました」
河野殿は、机を指で叩いた。
「誰が最初に言い出した」
「東軍の使者から、相談を受けました」
河野殿の目が細くなった。
「……ほう」
しまった。
最初に東軍から相談を受けたことが、もう疑いの材料になっている。
河野殿は続けた。
「東軍に頼まれ、西軍へ通行を求めた」
「はい」
「そして、東軍の望む通りに道を開けさせた」
俺は顔を上げた。
「それは違います」
河野殿の眉が動いた。
「何が違う」
「西軍の方々にも、条件を決めていただきました」
「だが、最初は東軍だ」
俺は黙った。
確かに、そうだった。
だが、それが何だというのだろう。
最初に相談したのが西軍だったら、今度は東軍に疑われたのだろうか。
俺は、ようやく気づいた。
この人たちは、俺が何をしたかだけを見ているのではない。
最初に誰と話したかで、俺の立場を決めようとしているのだ。
◇
「弥三郎」
河野殿は、低い声で言った。
「そなたは、どちらの味方だ」
来た。
この問いだ。
祖父も、父も、何度も尋ねられてきたという。
俺は、静かに答えた。
「旗屋でございます」
河野殿は、眉をひそめた。
「答えになっておらぬ」
「東軍にも西軍にも、旗を納めております」
「では、両方の味方か」
「商売上は、どちらもお客様です」
河野殿の顔が険しくなった。
「戦の最中に、何を呑気なことを申す」
俺は、膝の上で手を握った。
「恐れながら、私どもは武士ではございません」
「知っておる」
「ですので、戦うための味方を選ぶ立場にはありません」
河野殿は、しばらく俺を見つめた。
そして言った。
「……それが中立というものか」
俺は頷いた。
「はい」
すると、河野殿は笑った。
冷たい笑いだった。
「便利な言葉だな」
俺は、顔を上げた。
「便利、でございますか」
「東軍に頼まれれば東軍に協力し、西軍に頼まれれば西軍に協力する。都合が悪くなれば中立だと申す」
俺は、何も言えなかった。
河野殿は続けた。
「そなたの中立とやらは、結局、自分の店を守るためではないのか」
胸の奥が痛んだ。
否定できなかったからだ。
俺は店を守りたい。
佐吉も、千吉も、父も、職人たちも守りたい。
そのために、東軍にも西軍にも仕事をしてきた。
それは、事実だった。
◇
「……仰る通りでございます」
俺は答えた。
河野殿は、少し驚いた顔をした。
「何?」
「私は、自分の店を守りたいと思っております」
俺は、静かに続けた。
「店で働く者たちの暮らしを守りたいのです」
河野殿は黙った。
「ですから、戦が早く終わってほしいとも思っております」
「それで?」
「昨日の通行も、町の人々が無事に逃げられればと思って始めました」
河野殿は、俺を見つめていた。
俺は、少し考えた。
そして、続けた。
「……ですが」
「何だ」
「それが、結果として東軍に有利になった可能性までは、私には否定できません」
河野殿の表情が変わった。
俺は、深く頭を下げた。
「だからこそ、何が問題だったのか確かめに参りました」
長い沈黙が落ちた。
河野殿は、やがて言った。
「……妙な男だな」
俺は、少し笑った。
「よく言われます」
「褒めておらぬ」
「承知しております」
父上。
どうやら俺にも、あなたの悪い癖が移ってしまったようです。
◇
河野殿は、机の上に一枚の紙を置いた。
「では、これを見ろ」
俺は、目を落とした。
そこには、昨日通行した町人についての報告が書かれていた。
人数。
通行した時刻。
持ち物。
そして、一人の男の名前。
「この者を知っているか」
俺は首を振った。
「いいえ」
「昨日、東軍側へ通った男だ」
「はい」
河野殿は続けた。
「この男が、東軍の陣に入った後、何者かと話していたという」
俺は、しばらく考えた。
「……それだけですか」
河野殿の眉が動いた。
「それだけ、とは何だ」
俺は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。ただ、その方が何を話したのかは……」
「分からぬ」
「では、東軍へ知らせを運んだのかどうかも……」
「分からぬ」
俺は、静かに息を吐いた。
「でしたら、まず、その方の事情を確かめていただけませんか」
河野殿は、俺を睨んだ。
「なぜ、そなたがその男をかばう」
俺は、言葉に詰まった。
かばっているつもりはなかった。
だが、確かに俺は、その男が間者ではないことを願っていた。
もし間者だったなら、昨日の通行に協力してくれた人々の信頼を失う。
次に逃げようとする町人たちが、道を通れなくなるかもしれない。
俺は、ようやく答えた。
「……その方が間者だと決まれば、ほかの町人まで疑われると思ったからです」
河野殿は黙った。
俺は続けた。
「昨日通った人々の中には、年寄りも、子どももいました」
「……うむ」
「その人たちまで、疑われることが怖いのです」
河野殿は、しばらく俺を見ていた。
そして、静かに言った。
「……そなたは、本当に町人のことばかり考えているのだな」
俺は頷いた。
「私も、町人ですから」
◇
その時、部屋の外から声がした。
「河野殿!」
一人の兵が入ってきた。
「何だ」
「例の男について、知らせがございます」
俺は、息を呑んだ。
河野殿は頷いた。
「申せ」
兵は、書状を差し出した。
河野殿が目を通す。
その表情が、少しずつ変わった。
やがて、俺を見た。
「……弥三郎」
「はい」
「疑われていた男は、医師だったそうだ」
俺は、顔を上げた。
「医師?」
「ああ。東軍側に病人の知人がいて、薬を届けに行ったらしい」
俺は、しばらく黙った。
そして、ようやく息を吐いた。
「……そうでしたか」
河野殿は、書状を机に置いた。
「ただし、これで完全に疑いが晴れたわけではない」
俺は頷いた。
「承知しております」
「だが、今のところ、間者だったという証拠はない」
俺は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
河野殿は、少し困った顔をした。
「礼を言われることではない」
俺は、静かに答えた。
「調べていただいたことに、感謝しております」
河野殿は、しばらく俺を見ていた。
そして、初めて少しだけ笑った。
「……本当に、面倒な旗屋だな」
俺も、少し笑った。
「よく言われます」
◇
ようやく帰れると思った時だった。
河野殿が言った。
「弥三郎。もう一つ、頼みがある」
俺は、少し身構えた。
「何でしょう」
「昨日の通行を、今後も続ける方法を考えてほしい」
俺は、目を見開いた。
「……よろしいのですか」
河野殿は首を振った。
「許可するとは言っておらぬ」
「はい」
「だが、毎回同じように疑いが起これば、いずれ誰も通れなくなる」
俺は頷いた。
河野殿は続けた。
「そなたが旗屋としてできることを考えろ」
俺は、しばらく考えた。
そして尋ねた。
「……どのようなものを、お望みでしょう」
河野殿は、少し笑った。
「それを、そなたが考えるのだ」
俺は、天井を仰ぎたくなった。
まただ。
武士の方々は、困ったことがあると、すぐ旗屋に考えさせる。
祖父の代から、何も変わっていない。
◇
店へ戻ると、父が待っていた。
「弥三郎」
「はい」
「……無事だったか」
俺は頷いた。
「はい」
父は、少し安心したように息を吐いた。
俺は、今日の出来事を話した。
疑いをかけられたこと。
町人の一人が医師だったこと。
そして、今後の通行について考えてほしいと言われたこと。
父は最後まで黙って聞いていた。
話し終えると、静かに言った。
「……そうか」
俺は、少し笑った。
「父上は、いつもそれですね」
父も笑った。
「そうだな」
そして、少しだけ真顔になった。
「弥三郎」
「はい」
「中立というのは、何もしないことじゃないぞ」
俺は、顔を上げた。
父は続けた。
「誰の味方にもならないと言いながら、誰かが困っているのを見ているだけなら、それはただの傍観だ」
俺は黙った。
「だが、誰かを助ければ、別の誰かに疑われることもある」
「……はい」
父は、静かに言った。
「それでも、自分が何を守ろうとしているのか、忘れるな」
俺は、深く頷いた。
◇
翌朝、俺は佐吉と千吉を集めた。
「これから、町人の通行を助けるための仕組みを考えたい」
佐吉が頷いた。
「具体的には?」
俺は、紙を広げた。
「まず、通る人を把握するための帳面を用意します」
千吉が顔を上げた。
「名前を書くんですか」
「名前を書ける人は書く。分からなければ、同行する人や人数を確認する。ただし、記録の扱いには気をつける」
佐吉は頷いた。
「誰かに悪用されれば、かえって危険ですからね」
「はい」
俺は続けた。
「次に、東西双方が同意した時刻と場所を、必ず書面で確かめます」
千吉が頷いた。
「それから?」
「通行に使う白い旗には、決められた印を付けます。ただし、それを見せれば自由に通れるという意味にはしません」
佐吉は、少し考えた。
「旗だけで安全を保証しない、ということですね」
「そうです」
俺は頷いた。
「何より、双方が同じ取り決めを知っていることが大切です」
千吉が、静かに言った。
「……難しいですね」
俺は笑った。
「本当にな」
◇
それから数日後。
東軍と西軍、それぞれの担当者へ案を伝えた。
両軍の代表が直接会うことは難しかった。
だが、書状を通じて少しずつ条件を確かめることはできた。
通行できる時刻。
通れる人数。
武器を持ち込まないこと。
途中で争いが起きた場合は、通行を中止すること。
そして、白い旗だけを信用せず、必ず双方の担当者の確認を受けること。
すべてを決めるまで、時間がかかった。
その間にも、京では戦が続いていた。
俺は、何度も思った。
こんなに面倒なことをしなくても、最初から戦をやめてくれればよいのに。
だが、それを言っても仕方がない。
今、俺にできることは、目の前の一つひとつを確かめることだけだった。
◇
ある夕方。
千吉が、帳面を整理しながら言った。
「親方」
「何だ」
「この仕事、旗屋の仕事なんでしょうか」
俺は、少し考えた。
「……どうだろうな」
千吉は首を傾げた。
「どうだろう、ですか」
「ああ」
俺は、店の中を見回した。
色とりどりの布。
針。
糸。
古い旗。
新しい旗。
そして、通行のために用意した白い旗。
俺は、静かに言った。
「旗屋は、誰がどこにいるかを知らせる仕事だと思っていた」
千吉は頷いた。
「はい」
「だが、今は誰がどこを通れるかまで考えている」
千吉は、少し笑った。
「仕事が増えましたね」
俺も笑った。
「そうだな」
そして、静かに続けた。
「ただ、誰かが安全に帰れるなら、それも悪くない仕事だ」
千吉は、深く頷いた。
◇
その夜、俺は帳面を開いた。
今日の仕事を記録するためだ。
『東西両軍 町人通行の取り決め』
『白旗 数枚』
『通行記録の作成』
『代金なし』
俺は、筆を止めた。
また、代金なしだ。
三代目になった時、俺は決めた。
代金はきちんといただく。
仕事の条件を明確にする。
武士の無理な注文には、簡単に応じない。
それなのに、最近の帳面はどうだ。
代金なし。
代金なし。
また、代金なし。
俺は、深いため息をついた。
その時、背後から父の声がした。
「弥三郎」
俺は振り返った。
「はい」
父は、帳面を覗き込んだ。
そして、少し笑った。
「……父上に似てきたな」
俺は、思わず声を上げた。
「それは困ります!」
父は大笑いした。
「はははは!」
俺も、つられて笑った。
久しぶりに、店の中で大きな笑い声が響いた。
◇
翌朝。
俺は店先に、新しい札を掛けた。
『白い旗の通行相談、承ります』
その下に、小さく一行。
『ただし、両軍の了承が必要です』
新九郎殿が、それを読んだ。
「弥三郎」
「何でしょう」
「……とうとう旗屋が役所みたいになったな」
俺は、少し笑った。
「そうですね」
「そのうち、通行料も取るのか」
俺は首を振った。
「取りません」
新九郎殿は、驚いた顔をした。
「お前が?」
「はい」
「三代目が?」
「はい」
新九郎殿は、しばらく俺を見つめた。
そして、腹を抱えて笑った。
「ははは! 弥太郎殿が喜ぶぞ!」
俺は、少しだけ胸が温かくなった。
◇
ところが、その日の午後。
店に、見知らぬ男が現れた。
着物は粗末だったが、腰には刀を差している。
顔には古い傷があり、目つきが鋭い。
「旗屋弥三郎殿」
俺は頭を下げた。
「はい」
男は、懐から一枚の紙を取り出した。
「この者たちを、次の通行で東軍側へ渡していただきたい」
俺は紙を受け取った。
そこには、十人ほどの名前が書かれていた。
「……この方々は?」
男は答えた。
「西軍の陣にいる町人だ」
俺は頷いた。
「事情を確認した上で、双方へ相談いたします」
男は、少しだけ笑った。
「それでよい」
俺は、紙を見つめた。
そして、ふと気づいた。
名前の横に、妙な印がついている。
同じ印が、三人の名前にだけ書かれていた。
俺は、顔を上げた。
「……この印は何でしょう」
男は、一瞬だけ表情を変えた。
だが、すぐに答えた。
「気にするな」
俺は、静かに首を振った。
「いえ。確認が必要です」
男は、俺を睨んだ。
「旗屋が、そこまで口を出すのか」
俺は、少しだけ緊張した。
だが、静かに答えた。
「はい。人を通す仕事ですので」
男は、長い間俺を見つめた。
そして、低い声で言った。
「……ならば、教えてやろう」
俺は、息を呑んだ。
男は、紙の三つの印を指で叩いた。
「この三人は、東軍へ渡す必要がある」
「……なぜですか」
男は、静かに答えた。
「西軍の中で、不要になった者たちだからだ」
俺は、何も言えなかった。
不要になった者。
その言葉が、胸の奥に冷たく残った。
町人を安全に逃がすために作った道。
その道が、今度は誰かを追い出すために使われようとしている。
俺は、紙を見つめた。
そして、静かに尋ねた。
「……その三人は、ご自分の意思で通るのですか」
男は答えなかった。
俺は、もう一度尋ねた。
「ご本人たちは、東軍側へ行きたいと仰っているのでしょうか」
男の顔が険しくなった。
「弥三郎」
「はい」
「そなたは、通す役目だけを果たせばよい」
俺は、静かに紙を置いた。
そして、はっきりと言った。
「……それでは、お引き受けできません」
男は、ゆっくり立ち上がった。
「何?」
俺は、相手を見た。
「人を逃がすための道を、本人の意思に反して人を追い出すためには使えません」
男は、長い間俺を睨んでいた。
そして、静かに言った。
「……そなたは、自分が誰を相手にしているか、分かっているのか」
俺は、答えられなかった。
男は、懐からもう一枚の書状を取り出した。
そこには、西軍の有力な武士の署名があった。
俺は、息を呑んだ。
男は、低い声で言った。
「これは、命令だ」
俺は、書状を見つめた。
白い旗。
安全な道。
町人の暮らし。
そして、武士の命令。
そのすべてが、今、目の前でぶつかっている。
俺は、静かに息を吐いた。
父上。
お祖父様。
どうやら、旗屋が中立でいられるかどうかは、旗を作る時だけでなく、人を通す時にも試されるようです。
そして今度ばかりは、商売の条件を変えるだけでは済みそうにありません。




