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本日も主君が変わりました ~昨日の敵が今日の味方な室町時代~  作者: さかもち
第三部 昨日の味方は、今日の敵です
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敵も味方も、逃げる時くらいは同じ道を通してください

「東軍と西軍の間に、町人を通す道を作りたい」


俺がそう言うと、父はしばらく黙っていた。


そして、静かに尋ねた。


「弥三郎。お前は、いつから道普請の仕事を始めたんだ」


「道は作りません」


「では、何を作る」


「旗です」


父は、ゆっくり頷いた。


「なるほど」


少し安心した。


だが、次の言葉で、その安心は消えた。


「で、旗を掲げれば、兵が町人を通してくれると思うのか」


俺は答えられなかった。


父は茶碗を置いた。


「東軍が認めても、西軍が認めなければ危ない。西軍が認めても、前線の兵に伝わらなければ同じことだ」


「……はい」


「まして、戦の最中だ。誰か一人が疑えば、それで終わりになる」


俺は膝の上で手を握った。


そんなことは分かっていた。


だからこそ、両軍に話をしようと考えたのだ。


しかし、父は続けた。


「それでも、やるのか」


俺は顔を上げた。


「……やりたいと思っています」


父は、しばらく俺を見つめた。


そして、小さく笑った。


「そうか」


「止めないんですか」


「止めたら、やめるのか」


俺は黙った。


父は頷いた。


「なら、止めても仕方ない」


それから少し身を乗り出した。


「ただし、一つ約束しろ」


「何でしょう」


「自分が死ねば、町人を助けられると思うな」


俺は息を呑んだ。


父は、はっきりと言った。


「お前が帰ってこなければ、次に助けを求めてくる者を誰が助ける」


その言葉には、重みがあった。


父は何人もの将軍を見送り、多くの戦を生き延びてきた。


祖父もまた、南北朝の争いの中で店を守り続けた。


二人が俺に残してくれたものは、立派な旗を作る技術だけではない。


生きて、次の仕事をすること。


それも、旗屋の務めなのだ。


俺は深く頭を下げた。


「……必ず帰ってきます」


父は、少しだけ笑った。


「それなら、行ってこい」


          ◇


応仁二年、1468年。


京の町には、すでに人の通れない場所がいくつもできていた。


道が塞がれている。


橋が壊れている。


家が焼け落ち、瓦礫が積み重なっている。


そして何より、武士がいる。


昨日まで自由に歩けた道でも、今日は誰何される。


返事を間違えれば、敵方の間者だと疑われる。


俺は、東軍の使者が持ってきた地図を広げた。


そこには、東西両軍の勢力が接する一角が描かれていた。


通りの奥には、まだ町人が住んでいるという。


年寄りもいる。


子どももいる。


病人もいる。


戦が始まった時、逃げ遅れた者たちだ。


「何人くらいでしょう」


俺が尋ねると、使者は答えた。


「正確には分からぬ。五十人ほどはいると聞く」


「五十人……」


「東軍の持ち場を通すことは、上役から許しを得た」


俺は少し安心した。


だが、使者は続けた。


「問題は、西軍だ」


俺は頷いた。


「分かっています」


「西軍の兵に町人が紛れていると疑われれば、矢を射かけられるかもしれぬ」


俺は地図を見つめた。


そして言った。


「まず、向こうの責任者に会わせてください」


使者は眉をひそめた。


「簡単には会えぬぞ」


「承知しています」


「命の保証もない」


俺は少し考えた。


「では、保証できる方に会わせてください」


使者は呆れた顔をした。


「……そなた、本当に旗屋か」


俺は頷いた。


「はい。三代目です」


どうやら最近、この答えを使う機会が増えている。


          ◇


俺は一人では行かなかった。


千吉が同行すると申し出たのである。


「親方。私も参ります」


「危険だぞ」


「分かっています」


俺は首を振った。


「お前は店を守ってくれ」


だが、千吉は引かなかった。


「親方。私は赤松家にいた頃、逃げる側でした」


俺は黙った。


「どこへ行けばよいか分からず、誰を信じればよいかも分かりませんでした」


千吉は、静かに続けた。


「もし、あの時、ここなら安全に通れるという道があったなら……」


言葉が途切れた。


俺は、しばらく千吉を見つめた。


そして頷いた。


「分かった。ただし、危険だと思ったらすぐ戻れ」


「はい」


佐吉が、二人に厚手の布を渡してくれた。


「頭を覆ってください。火の粉や埃を少しは避けられます」


俺は受け取った。


「ありがとうございます」


佐吉は、俺をまっすぐ見た。


「親方。必ず戻ってきてください」


その目を見て、俺は少しだけ怖くなった。


佐吉は長い間、祖父と父、そして俺を支えてきた。


そんな人から真剣に心配されると、自分がどれほど危険なことをしようとしているのか、嫌でも分かる。


「……はい」


俺は頷いた。


          ◇


西軍の陣へ向かう道は、想像以上に荒れていた。


焼けた柱。


壊れた荷車。


道端に捨てられた草履。


そして、ときどき見える、布を掛けられた人の形。


千吉は、何も言わなかった。


俺も、声を出せなかった。


やがて、西軍の兵が立つ場所へ着いた。


「止まれ!」


槍を持った男が叫んだ。


俺は両手を見せた。


「旗屋弥三郎と申します」


「旗屋?」


「はい」


「何の用だ」


「お話がございます」


兵は眉をひそめた。


「誰に」


「この一帯の通行を許可できる方に」


兵は、しばらく俺を見た。


そして、鼻で笑った。


「そんな話を、なぜ旗屋がする」


俺は答えた。


「町人を通したいからです」


兵の顔から笑みが消えた。


「……町人?」


俺は頷いた。


「この先に、まだ逃げられずにいる人々がいます」


兵は、少しだけ目を細めた。


「東軍の間者ではないと、どうして分かる」


俺は、答えられなかった。


分からない。


五十人全員の素性を確かめたわけではない。


その中に東軍へ知らせを運ぶ者がいないとも限らない。


兵は言った。


「分からぬのなら、帰れ」


俺は、深く息を吐いた。


「……では、確かめる方法を一緒に考えていただけませんか」


兵は、俺を睨んだ。


その時、千吉が口を開いた。


「子どももいるんです」


兵の目が、千吉へ向いた。


千吉は続けた。


「年寄りも、病人も。逃げられないまま残されています」


兵は黙った。


「その人たちを、皆、間者だと疑うんですか」


俺は慌てて千吉の袖を引いた。


「千吉」


だが、兵は怒鳴らなかった。


しばらく考えた後、背後の男に言った。


「……上へ知らせろ」


俺は、ようやく息を吐いた。


          ◇


しばらくして、年配の武士が現れた。


名を三浦頼景(みうらよりかげ)と名乗った。


この一帯の西軍の守りを任されている者だという。


「旗屋が、町人の通り道を作りたいそうだな」


「はい」


俺は頭を下げた。


頼景は、地図を広げた。


「東軍は、通すと申しているのか」


「そのように聞いております」


「書状はあるか」


俺は、使者から預かった書状を渡した。


頼景は目を通した。


そして言った。


「……これだけでは足りぬ」


俺は顔を上げた。


「何が足りないのでしょう」


「町人を通す時、東軍が攻め込んでこない保証だ」


俺は黙った。


頼景は続けた。


「我らが道を開けたところへ、敵兵が押し寄せればどうなる」


「……危険です」


「それが分かるなら、簡単に通せなどと言うな」


俺は、地図を見つめた。


確かに、その通りだった。


東軍から見れば、町人を通すための道。


西軍から見れば、敵が近づくかもしれない道。


同じ道でも、立場が違えば意味が変わる。


俺は、ようやく気づいた。


これは旗の問題ではない。


互いに、相手が約束を守ると信じられないことが問題なのだ。


          ◇


「三浦様」


俺は、静かに尋ねた。


「もし、通す人数と時刻を決め、両軍の責任者が確認したら、いかがでしょう」


頼景は、俺を見た。


「……何?」


「一度に大勢は通しません。少人数ずつにします」


俺は地図を指した。


「途中に双方が確認できる場所を設け、そこを通る人だけを送り出す」


頼景は、しばらく考えた。


「敵兵が紛れていたら?」


「武器を持ち込ませないようにします。ただし、逃げる人々の安全を最優先にした上で、双方が合意できる確認方法を決めていただきます」


頼景は腕を組んだ。


「……面倒だな」


俺は頷いた。


「はい」


「旗屋とは、いつもこんな面倒な仕事をするのか」


「最近、特に増えました」


頼景は、思わず笑った。


だが、その笑みはすぐに消えた。


「弥三郎。そなたの考えは分かった」


「ありがとうございます」


「だが、私一人では決められぬ」


俺は頷いた。


「承知しております」


「上役へ話を通す。それまでは、勝手に人を動かすな」


俺は深く頭を下げた。


「お願いいたします」


          ◇


店へ戻ったのは、日が暮れる頃だった。


父は、戸口で待っていた。


「弥三郎」


「はい」


「……帰ってきたな」


俺は、少し笑った。


「約束しましたから」


父は頷いた。


それだけだった。


だが、俺には十分だった。


佐吉も千吉も、皆無事だった。


俺は店の奥で地図を広げ、今日の話を説明した。


東軍の許可は一応ある。


西軍は検討する。


ただし、まだ何も決まっていない。


千吉が言った。


「親方。明日には通れるでしょうか」


俺は首を振った。


「分からん」


「……そうですか」


俺は地図を見た。


たった一本の道だ。


けれど、その道を通すために、何人もの武士の許しが必要になる。


その間にも、町の中では人々が腹を空かせている。


俺は、胸の奥が重くなった。


          ◇


翌朝、西軍から使者が来た。


俺は慌てて迎えた。


「いかがでしょう」


使者は書状を差し出した。


そこには、限られた時刻に限り、町人の通行を認める旨が記されていた。


ただし、双方の軍勢が動かないこと。


通行者が武器を持たないこと。


通行の途中で不審な動きがあれば、直ちに中止すること。


俺は、深く息を吐いた。


「……ありがとうございます」


使者は言った。


「勘違いするな。これは正式な和睦ではない」


「承知しております」


「戦は続く」


俺は頷いた。


「……分かっています」


使者は、少しだけ声を落とした。


「それでも、人を通すことくらいはできるだろうと、上も判断された」


俺は、もう一度頭を下げた。


その言葉が、嬉しかった。


          ◇


問題は、ここからだった。


通る人々へ、どうやって知らせるか。


どこに集まってもらうか。


動けない人を、どう運ぶか。


そして、双方の兵へ、どう伝えるか。


俺は初めて、自分が旗屋であることを恨めしく思った。


旗なら作れる。


だが、人を動かす仕事は専門ではない。


その時、佐吉が言った。


「親方。目印なら、私どもにも作れます」


俺は顔を上げた。


「……目印?」


「はい」


佐吉は、白い布を広げた。


「ただし、これを掲げれば安全というわけではありません。双方が同じ意味で受け取ると確認できて、初めて役に立ちます」


俺は頷いた。


「その通りですね」


千吉も言った。


「それなら、東軍にも西軍にも、同じ形を示しましょう」


俺は、少し考えた。


白い布。


特定の家紋を描かない旗。


それを見た時、祖父の旗が頭に浮かんだ。


初代・弥太郎が作った、あの白い旗。


何も描かれていない。


誰の味方でもない。


だからこそ、誰もが自分の意味を重ねられる。


俺は、静かに言った。


「……白い旗にしましょう」


佐吉が頷いた。


ただし、この白旗そのものに通行を保障する力があるわけではない。


俺たちは、東西双方の担当者へ旗の寸法と使い方を書いた紙を渡し、合意した区間と時刻以外では使わないことを確かめた。


両軍から返事が戻るまで、旗は店の奥に置いたままだった。


          ◇


通行の日。


俺は、夜明け前から店で準備をしていた。


佐吉が白い旗を畳む。


千吉が水と食べ物をまとめる。


若い職人たちは、簡単な担架を用意した。


父は、椅子に座って俺たちを見ていた。


「弥三郎」


「はい」


「……無理はするなよ」


俺は頷いた。


「はい」


父は、少し考えてから言った。


「祖父の白い旗を、覚えているか」


「もちろんです」


「何も描かれていない旗だ」


「はい」


父は、静かに続けた。


「父上は、あの旗を誰のためにも使えるものだと考えていた」


俺は頷いた。


「……そう聞いています」


父は、少し笑った。


「でもな、弥三郎」


「はい」


「誰のためにも使えるということは、誰かが使い方を決めなければならないということでもある」


俺は、顔を上げた。


父は、ゆっくり言った。


「白い旗だから安全なんじゃない。そこにいる人間が、安全に通そうと決めるから意味があるんだ」


俺は、深く頷いた。


          ◇


通行が始まった。


最初に現れたのは、年老いた女性だった。


息子に支えられ、ゆっくり歩いている。


その後ろには、小さな子どもを抱いた母親。


さらに、荷物を背負った男たち。


病人を運ぶ者。


皆、顔がこわばっていた。


白い旗を持つ千吉が、先頭に立った。


俺は、東軍の担当者と西軍の担当者が見える場所で待った。


合図が交わされる。


許可された者たちが、少しずつ進む。


誰も大声を出さない。


誰も走らない。


遠くで、戦の音が聞こえた。


それでも、その細い道だけは静かだった。


俺は、胸の中で何度も願った。


どうか、このまま。


どうか、何事もなく。


          ◇


やがて、一人の少年が立ち止まった。


十歳ほどだろうか。


顔が真っ青だった。


「どうした」


俺が尋ねると、少年は震える声で言った。


「……弟がいません」


俺は息を呑んだ。


「弟?」


「さっきまで、一緒にいたんです」


少年は泣き始めた。


「手を繋いでいたのに……」


俺は、周囲を見た。


列は動いている。


後ろから、次の人々が来る。


時間は限られている。


俺は、千吉を呼んだ。


「千吉!」


「はい!」


「この子と一緒に、弟を探してくれ」


千吉は頷いた。


だが、その時だった。


西軍の兵が叫んだ。


「列を止めるな!」


俺は振り返った。


「子どもが一人、はぐれました!」


兵は険しい顔をした。


「決められた時刻がある!」


俺は、何も言えなかった。


その時、少年が叫んだ。


「弟を置いていけません!」


俺は、少年の顔を見た。


そして、決めた。


「……列は進めてください」


兵が頷いた。


俺は続けた。


「この子は、いったん安全な場所で待たせます。弟は、許可された範囲で探します」


兵は、しばらく俺を見た。


そして言った。


「勝手に陣へ近づくなよ」


俺は頷いた。


「承知しています」


          ◇


千吉は、少年から弟の服装を聞いた。


小さな紺色の着物。


肩に、白い布を巻いている。


俺たちは手分けして周囲を探した。


しばらくして、佐吉の声が聞こえた。


「親方!」


俺は振り返った。


「こちらです!」


佐吉は、崩れた塀の陰に立っていた。


その足元に、小さな子どもが座り込んでいる。


俺は駆け寄った。


「……大丈夫か」


子どもは、泣きながら頷いた。


どうやら、列が動いた時に転び、そのまま怖くなって隠れていたらしい。


大きな怪我はなかった。


俺は、ようやく息を吐いた。


「よかった……」


佐吉も、静かに笑った。


そして、子どもの手を取った。


「お兄さんが待っていますよ」


子どもは、涙を拭った。


小さく頷いた。


          ◇


兄弟が再会した時、兄は弟を強く抱きしめた。


「どこに行ってたんだ!」


弟は、泣きながら答えた。


「……怖かった」


兄も泣いていた。


俺は、その姿を見て、何も言えなかった。


戦場の近くで、兄弟が抱き合っている。


そんな当たり前のことが、今の京では奇跡のように思えた。


千吉が、俺の隣に立った。


「親方」


「何だ」


「……よかったですね」


俺は頷いた。


「そうだな」


千吉は、白い旗を見上げた。


「この旗、役に立ちましたね」


俺は、しばらく考えた。


そして答えた。


「旗だけじゃない」


千吉は顔を上げた。


俺は、東西の兵たちを見た。


通行を認めた者。


時間を守った者。


列を見守った者。


逃げる人を支えた者。


その全員が、少しずつ協力した。


「……皆が約束を守ってくれたからだ」


千吉は、静かに頷いた。


          ◇


通行が終わったのは、日が傾く頃だった。


全員が無事に通れたわけではない。


体調を崩して途中で休んだ人もいた。


家族と離れたままの人もいた。


通行を認められた道へ来ることさえできなかった人もいる。


それでも、今日の約束によって、何十人もの町人が危険な場所を離れることができた。


俺は、白い旗を畳んだ。


そこには、泥がついていた。


裾が少し破れていた。


だが、旗そのものは残った。


俺は、そっと抱えた。


そして、東軍の担当者へ頭を下げた。


次に、西軍の担当者へも頭を下げた。


二人は、互いに顔を見合わせた。


だが、何も言わなかった。


俺は、それで十分だと思った。


少なくとも今日は、同じ道を守ってくれたのだから。


          ◇


店へ戻ると、父が待っていた。


「弥三郎」


「はい」


「……帰ってきたな」


俺は笑った。


「はい」


父は頷いた。


「どうだった」


俺は、今日の出来事を話した。


通れた人々。


はぐれた兄弟。


東西の兵たち。


そして、白い旗。


父は、最後まで黙って聞いていた。


話し終えると、静かに言った。


「……そうか」


俺は頷いた。


「はい」


父は、少しだけ笑った。


「よい仕事をしたな」


俺は、胸の奥が熱くなった。


これまで何度も父に褒められたことはある。


旗をきれいに仕立てた時。


難しい注文を納めた時。


店を守った時。


だが、今日ほど、その言葉が嬉しかったことはなかった。


          ◇


夜。


俺は帳面を開いた。


今日の仕事を記録するためだ。


注文主。


東軍と西軍。


枚数。


白い旗数枚。


代金。


俺は、筆を止めた。


代金は、もらっていない。


そもそも、誰に請求するのだろう。


東軍か。


西軍か。


それとも、逃げた町人たちか。


俺は、少し考えた。


そして、帳面に書いた。


『町人通行のための白旗』


『東西双方の了承を得て使用』


『代金なし』


その下に、小さく書き加えた。


『できる限りの人数、無事通行』


俺は、筆を置いた。


すると、背後から父の声がした。


「弥三郎」


俺は振り返った。


「はい」


父は、帳面を覗き込んだ。


そして、少し笑った。


「……儲からんな」


俺も笑った。


「はい」


父は頷いた。


「だが、いい商売だ」


俺は、静かに笑った。


          ◇


翌朝。


俺は、店先に新しい札を掛けた。


『白い旗も、仕立てます』


その下に、もう一行。


『ただし、安全は旗だけでは保証できません』


新九郎殿が、それを読んだ。


そして、少し考えた。


「弥三郎」


「何でしょう」


「……地味だな」


俺は頷いた。


「そうですね」


「もう少し、面白くできんか」


俺は、少し笑った。


「今回は、これでいいんです」


新九郎殿は、しばらく札を見つめていた。


そして、静かに頷いた。


「……そうだな」


その時、店の前に一人の男が現れた。


昨日、通行の手続きをした東軍の武士だった。


「旗屋弥三郎殿」


俺は頭を下げた。


「昨日は、ありがとうございました」


男は頷いた。


「こちらこそ、助かった」


俺は、少し安心した。


だが、男の顔は険しかった。


「弥三郎殿。少し、話がある」


「何でしょう」


男は、声を落とした。


「昨日の通行について、西軍の中で問題になっているらしい」


俺は、息を呑んだ。


「……問題?」


「町人を通したこと自体は、許可されていた。だが、その中に東軍へ知らせを運んだ者がいたのではないかと疑う者がいるそうだ」


俺は、言葉を失った。


昨日、あれほど慎重に話をまとめた。


双方の許可も得た。


決められた道を通した。


それでも、疑いは消えないのか。


男は続けた。


「西軍の一部には、次から通行を認めるべきではないという声もある」


俺は、静かに息を吐いた。


「……そうですか」


男は、俺を見た。


「弥三郎殿」


「はい」


「そなた自身も、疑われている」


俺は、顔を上げた。


「……私が?」


男は頷いた。


「東軍と通じているのではないか、と」


俺は、しばらく何も言えなかった。


昨日まで、白い旗は町人を通すための目印だった。


だが、今日になれば、それがどちらかの味方をした証拠だと言われる。


俺は、店先の看板を見た。


『本日の味方』


『明日は不明』


祖父の言葉が、静かに揺れていた。


どうやら、また明日が来たらしい。


俺は、深く息を吐いた。


そして、男に尋ねた。


「……西軍の、どなたが疑っておられるのでしょう」


男は、少し迷った。


そして、静かに答えた。


「山名宗全殿の近くに仕える者だと聞いている」


俺は、ゆっくり目を閉じた。


旗屋が白い旗を作っただけで、敵になる。


そんな時代になってしまったのか。


だが、もっと恐ろしいことがあった。


俺が疑われれば、昨日逃げた町人たちまで疑われるかもしれない。


俺は、男を見つめた。


そして、静かに言った。


「……もう一度、西軍へ参ります」


男は驚いた。


「危険だぞ!」


俺は頷いた。


「分かっています」


そして、店の奥を見た。


父が、静かにこちらを見つめていた。


俺は、深く頭を下げた。


父は、何も言わなかった。


ただ、その目は、こう言っているようだった。


――今度こそ、必ず帰ってこい。


俺は、白い旗を手に取った。


もう一度、この旗の意味を確かめなければならない。


誰の味方でもない旗。


誰もが通れるようにと作った旗。


それが、なぜ敵の旗になってしまうのか。


俺は、店の戸を開けた。


京の空には、今日も煙が上がっていた。

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