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本日も主君が変わりました ~昨日の敵が今日の味方な室町時代~  作者: さかもち
第三部 昨日の味方は、今日の敵です
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38/60

お客様、当店は戦場の中にございます

店の前を、槍を持った武士が三十人ほど通り過ぎた。


俺は、その列を見送ってから帳面を開いた。


「千吉、今日の注文は?」


「細川家から二十枚、畠山家から十枚、それから山名家から……」


千吉は言葉を止めた。


「どうした」


「山名家からも、二十枚です」


「そうか」


俺は筆を取った。


そして、ふと思った。


「千吉」


「はい」


「この店の前で、両家の使者が鉢合わせたらどうなると思う?」


千吉は少し考えた。


「……斬り合いになるのでは?」


俺は頷いた。


「そうだな」


「どうします?」


「来店する時刻を分けよう」


千吉は感心したように頷いた。


「さすが親方です」


俺は帳面に書き込んだ。


『細川家 午前』


『山名家 午後』


よし。


これなら問題ない。


その時、奥から父の声がした。


「弥三郎」


「はい」


「戦が始まったら、午前も午後もないぞ」


俺は筆を止めた。


父は、湯飲みを持って立っていた。


「相手の都合で、刀を抜く時間を決めてくれるわけじゃない」


俺は、しばらく父を見つめた。


そして、帳面を閉じた。


三代目になってからというもの、俺は商売を合理的にしようと努力してきた。


だが、どうやら戦というものだけは、どれほど工夫しても合理的にはならないらしい。


          ◇


応仁元年、1467年5月。


京の町に、軍勢が集まっていた。


正月の御霊合戦で畠山義就方が勝ってから、争いは収まるどころか、ますます大きくなっていた。


細川勝元殿を中心とする軍勢。


山名宗全殿を中心とする軍勢。


後に東軍、西軍と呼ばれる二つの勢力である。


ただし、初めから誰もが明確に二つに分かれていたわけではない。


主君の命令に従う者。


親族に頼まれて加勢する者。


昔の恩を返そうとする者。


所領を守ろうとする者。


そして、どちらが勝つかを見極めようとする者。


それぞれが違う事情を抱え、京へ兵を送り込んでいた。


ある者は義政様への忠誠を口にし、ある者は家の正統性を訴える。


誰も、自分が乱を起こしているとは思っていない。


皆、正しい秩序を守ろうとしているつもりだった。


その結果、京には秩序を守るための武士が、数え切れないほど集まった。


新九郎殿が、ある日言った。


「弥三郎。京の人口が増えたぞ」


「そうですね」


「武士ばかりだ」


「困りますね」


「商売は繁盛するんじゃないか?」


俺は帳面を開いた。


「注文だけは、増えています」


「儲かるな」


「代金を払っていただければ」


新九郎殿は黙った。


俺も黙った。


二人で、ため息をついた。


          ◇


五月二十六日。


朝から、妙な騒がしさがあった。


普段なら開いている店が、いくつも戸を閉めている。


通りには荷車が並び、家財を運び出す人々が行き交っていた。


俺は、店の前に立っていた佐吉へ尋ねた。


「何かありましたか」


佐吉は北の方を見た。


「武士たちが、屋敷の周りに柵を作っているそうです」


「柵?」


「はい。道にまで木を組んでいるとか」


俺は眉をひそめた。


「それでは、荷車が通れません」


佐吉は少し笑った。


「どうやら、荷車を通すためではないようです」


その時、千吉が走ってきた。


「親方!」


「どうした」


「西の方で、屋敷に火がついたそうです!」


俺は顔を上げた。


「火事か?」


「分かりません。ただ、武士が大勢走っていて……」


俺は店の奥へ向かった。


「職人を集めろ。布を奥に移す」


千吉が頷く。


「はい!」


俺は父に声をかけた。


「父上。今日は店を閉めます」


父は俺を見た。


そして、静かに頷いた。


「それがいい」


いつもなら一言くらい冗談を言う人だった。


だが、この日は笑わなかった。


          ◇


昼を過ぎる頃、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。


続いて、人々の叫び声。


馬のいななき。


金属を打ち合わせるような音。


やがて、空に黒い煙が上がった。


俺は、店の裏庭からその煙を見ていた。


「……近いな」


父が隣へ来た。


「そうだな」


「京で、こんなことになるとは」


父は、しばらく黙っていた。


「父上の頃には、何度もあったそうだ」


俺は頷いた。


祖父・弥太郎。


足利尊氏様の時代を生きた人。


南北朝の争いを知り、京が幾度も戦に巻き込まれる姿を見てきた人。


だが、俺にとって京は、商売をする町だった。


朝になれば店を開き、夕方になれば戸を閉める。


祭礼には幟を作り、婚礼には幕を仕立てる。


武士の旗を作ることはあっても、戦場はいつも遠くにあった。


俺は、そこで初めて気づいた。


遠くの戦へ旗を送ることと、自分の暮らす町が戦場になることは、まったく違う。


          ◇


「親方!」


千吉が駆け込んできた。


「北の通りで、人が倒れています!」


俺は立ち上がった。


「何人だ」


「二人です。一人は武士らしいですが、もう一人は荷運びの男です」


俺は佐吉を呼んだ。


「布を持ってきてください。それと水を」


佐吉は頷いた。


「承知しました」


父が俺の腕を掴んだ。


「弥三郎」


「はい」


「どこまで行くつもりだ」


「すぐそこの通りです」


父は、俺の目を見た。


「そこが安全だと、誰が決めた」


俺は答えられなかった。


父は続けた。


「助けに行くなとは言わん。ただし、一人で行くな」


俺は頷いた。


「……はい」


千吉と二人で、通りへ出た。


角を曲がると、倒れている男が見えた。


一人は若い武士だった。


額から血を流し、槍を握ったまま動けずにいる。


もう一人は、荷運びの男だった。


腕を押さえ、苦しそうに呻いている。


俺たちは、まず荷運びの男を店の軒下へ運んだ。


千吉が尋ねた。


「親方。武士の方は?」


俺は振り返った。


若い武士が、こちらを見ていた。


「……頼む」


かすかな声だった。


俺は、千吉と目を合わせた。


「運ぼう」


二人で肩を貸し、男を店へ連れてきた。


だが、ここからが問題だった。


          ◇


「この者、どちらの軍勢だ」


店に入ってきた新九郎殿が尋ねた。


俺は首を振った。


「分かりません」


「紋は?」


「見当たりません」


若い武士は、血のついた顔で俺たちを見た。


「……山名方だ」


俺は頷いた。


「そうですか」


新九郎殿の顔が険しくなった。


「弥三郎。細川方の武士が来たら、どうする」


俺は黙った。


店の中には、細川家から注文された旗がある。


もし細川方の者が、その旗を受け取りに来たら。


そして、店の中に山名方の武士がいると知ったら。


俺たちは、山名家に味方していると見なされるかもしれない。


新九郎殿は言った。


「隠しておくか」


俺は、若い武士を見た。


男は、まだ二十歳にもなっていないようだった。


顔は青白く、呼吸が荒い。


俺は、しばらく考えた。


そして答えた。


「……まず、傷の手当てをします」


新九郎殿は、俺を見た。


俺は続けた。


「その後のことは、手当てが済んでから考えます」


新九郎殿は、深く息を吐いた。


「まったく、お前も弥一郎に似てきたな」


俺は少し笑った。


「父上には、よく言われます」


          ◇


夕方になって、細川家の使者が店へ来た。


庄兵衛だった。


いつもの落ち着いた顔ではなかった。


額には汗が浮かび、肩には埃がついている。


「弥三郎殿! 旗を受け取りたい!」


俺は帳面を開いた。


「ご注文の三十枚ですね」


「そうだ。急いでいる」


俺は、奥から旗を運ばせた。


庄兵衛は、代金の残りを置いた。


俺は金額を確かめた。


数えている途中、庄兵衛が言った。


「……奥に誰かいるのか」


俺の手が止まった。


奥から、かすかな呻き声が聞こえた。


庄兵衛の目が鋭くなった。


「怪我人か」


俺は頷いた。


「はい」


「どちらの兵だ」


俺は、少し考えた。


嘘をつけば、後で困る。


正直に答えれば、今困る。


どちらにしても、困る。


実に嫌な選択だった。


俺は、ゆっくり答えた。


「山名方の若い武士です」


庄兵衛の顔が変わった。


「……山名方?」


「はい」


庄兵衛は、しばらく俺を見つめた。


そして、低い声で言った。


「弥三郎殿。今、京では戦が始まっている」


「承知しております」


「敵を助ければ、敵に味方したと見られるぞ」


俺は頷いた。


「そうでしょうね」


「分かっていて、なぜ」


俺は、少しだけ声を落とした。


「……まだ、死なせたくなかったからです」


庄兵衛は黙った。


俺は続けた。


「この店は、細川家の旗も作ります。山名家の旗も作ります」


「それは知っている」


「ですが、怪我人の手当てをする時まで、どちらの旗かを確かめたくありません」


庄兵衛は、長い間俺を見ていた。


そして、静かに言った。


「……変わらぬな」


俺は顔を上げた。


庄兵衛は、少しだけ笑った。


「そなたの父も、昔そういうことを言っていた」


俺は驚いた。


「父上を、ご存じでしたか」


「何度か会った。面倒な旗屋だった」


俺は、少し笑った。


「今も奥におります」


庄兵衛は目を丸くした。


そして、短く笑った。


「……そうか」


          ◇


旗を受け取った庄兵衛は、帰り際に言った。


「弥三郎殿」


「はい」


「今夜は、戸を閉めておけ」


俺は頷いた。


「そのつもりです」


庄兵衛は、少し迷った。


そして続けた。


「……できれば、明日もだ」


俺は顔を上げた。


「そんなに危ないのですか」


庄兵衛は答えなかった。


ただ、遠くの煙を見た。


「これから、もっとひどくなる」


その言葉を残し、旗を抱えて去っていった。


俺は、しばらくその背中を見送った。


細川家の旗が、夕暮れの道を進んでいく。


昨日までなら、ただの納品だった。


だが今日は違う。


俺の作った旗が、今夜にも人を斬る軍勢の目印になるかもしれない。


俺は、帳面を閉じた。


          ◇


夜になっても、戦の音は止まなかった。


遠くで火が上がり、空が赤く染まる。


風に乗って、焦げた木の匂いが漂ってきた。


店の奥では、負傷した若い武士が眠っていた。


千吉が、そのそばで水を替えている。


佐吉は、黙って布を畳んでいた。


俺は、戸口に座っていた父の隣へ行った。


「父上」


「何だ」


「……これが、戦なんですね」


父は頷いた。


「ああ」


「俺は今まで、戦のための旗を何枚も作ってきました」


「そうだな」


「ですが、こんなふうになるとは思っていませんでした」


父は、しばらく黙っていた。


そして、ゆっくり言った。


「俺も、最初はそうだった」


俺は顔を上げた。


父は続けた。


「父上から店を継いだ頃、俺は旗を作れば仕事が終わると思っていた」


「はい」


「だが、違った」


父は、暗い通りを見つめた。


「旗を渡した後にも、人の暮らしは続く。戦で勝っても、負けてもな」


俺は黙って聞いていた。


「家に帰る者もいる。帰れない者もいる」


父は、少しだけ目を伏せた。


「そして、旗屋の仕事は、そのどちらにも関わってしまう」


俺は、静かに頷いた。


遠くで、また大きな音がした。


父は、俺の肩に手を置いた。


「弥三郎」


「はい」


「今夜は、皆を奥へ集めて寝かせろ」


「はい」


「火の用心を忘れるな」


「はい」


「それから……」


父は、少しだけ笑った。


「帳面より先に、人を数えろ」


俺は、その言葉を胸に刻んだ。


          ◇


翌朝。


俺は、店の中にいる人間を数えた。


父。


佐吉。


千吉。


若い職人たち。


家族。


そして、昨日運び込んだ怪我人二人。


全員いた。


俺は、ようやく息を吐いた。


その時、千吉が言った。


「親方。新九郎さんが、まだ来ていません」


俺は顔を上げた。


「……そういえば」


普段なら、朝から店へ来ているはずだった。


仕事もしないのに茶を飲み、余計なことを言い、父と昔話をしている男。


それが、新九郎殿だった。


だが、その朝は姿がなかった。


昼になっても、来なかった。


夕方になっても、来なかった。


俺は、次第に落ち着かなくなった。


父は、黙って店先を見ていた。


「父上」


「何だ」


「新九郎殿は、どこへ行かれたのでしょう」


父は、しばらく答えなかった。


そして、静かに言った。


「……分からん」


俺は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。


          ◇


三日後。


京の町では、さらに戦が広がっていた。


細川方と山名方の軍勢は、それぞれ陣を構え、通りを塞ぎ、屋敷を固めていた。


道には障害物が置かれ、普段の往来さえ難しくなっている。


店を開けても、客はほとんど来ない。


注文はある。


だが、届けられない。


布はある。


だが、仕入れが止まり始めている。


職人はいる。


だが、安心して通勤できない。


俺は、帳面を見つめた。


三代目として、合理的な商売を目指してきた。


代金。


納期。


届け先。


すべて、きちんと決めてきた。


ところが今は、そのどれも意味を失いかけている。


なぜなら、店の外が戦場だからだ。


俺は、帳面を閉じた。


そして、初めてこう思った。


旗を作ることより、店を開け続けることの方が難しい。


          ◇


その日の夕方。


店の戸を叩く音がした。


俺は、反射的に身構えた。


「どなたですか」


返事はない。


もう一度、戸が叩かれた。


俺は千吉に合図し、戸を少し開けた。


そこに立っていたのは、新九郎殿だった。


俺は思わず声を上げた。


「新九郎殿!」


男は、ひどい姿だった。


着物は破れ、顔には煤がついている。


片足を引きずっていた。


だが、笑っていた。


「……弥三郎」


俺は、すぐに肩を貸した。


「どこへ行っていたんですか!」


新九郎殿は、苦しそうに笑った。


「ちょっと、遠回りしてな」


「三日もですか!」


「京の道が、ずいぶん変わった」


俺は、何も言えなかった。


新九郎殿は、店の中へ入ると、父の顔を見た。


「弥一郎」


父は、ゆっくり立ち上がった。


「……新九郎」


二人は、しばらく見つめ合った。


そして、新九郎殿が言った。


「悪いな。遅くなった」


父は、少し笑った。


「いつものことだろ」


新九郎殿も笑った。


だが、次の瞬間、膝から崩れ落ちた。


俺たちは、慌てて支えた。


          ◇


新九郎殿は、しばらく眠った。


足には深い傷があった。


幸い、命に関わるほどではなさそうだったが、しばらく歩くのは難しいだろう。


父は、その枕元から離れなかった。


俺は、二人の姿を見つめた。


祖父の時代から続く付き合い。


父が若かった頃から、ずっと隣にいた男。


そして、俺が生まれた時から、店に出入りしていた男。


新九郎殿がいなくなることなど、考えたこともなかった。


俺は、父に言った。


「……帰ってきて、よかったですね」


父は頷いた。


「ああ」


しばらくして、静かに続けた。


「本当にな」


その声が、少し震えていた。


          ◇


翌朝。


俺は、店先の看板を見上げた。


『本日の味方』


『明日は不明』


『急な寝返りにも対応』


祖父の時代から、何十年も掲げられてきた札。


そして、俺が掛けた新しい札。


『旗の注文は、通常通り承ります』


『怪我人の手当てに使う布もございます』


俺は、少し考えた。


そして、筆を取った。


新しい札を一枚、書いた。


『本日、営業を縮小しております』


千吉が、横から覗き込んだ。


「親方。これでよいのですか」


俺は頷いた。


「ああ」


「でも、旗の注文は?」


「受けられるものだけ受けよう」


千吉は、少し驚いた顔をした。


「……断るんですか」


俺は、静かに答えた。


「今は、店を守る方が大事だ」


千吉は頷いた。


「分かりました」


俺は、札を掛けた。


それを見て、父が少し笑った。


「弥三郎」


「はい」


「立派な親方になったな」


俺は、少し照れくさくなった。


「……まだまだです」


父は、静かに首を振った。


「いや」


そして、店の奥を見た。


佐吉。


千吉。


若い職人たち。


新九郎殿。


皆が、生きている。


父は、ゆっくり頷いた。


「……それで十分だ」


俺は、何も言えなかった。


          ◇


その夜。


京の空は、まだ赤かった。


遠くの屋敷が燃えている。


どこかで、武士が叫んでいる。


鐘の音が鳴り続けている。


俺は、店の戸を閉めた。


帳面を開き、今日の記録を書いた。


『応仁元年五月』


『戦により、通常営業困難』


そして、その下に一行。


『新九郎、生還』


俺は、筆を置いた。


父の帳面にも、祖父の帳面にも、似た言葉が残っている。


旗屋三代。


作った旗の枚数は、数え切れない。


受け取った代金も、支払った給金も、すべて帳面に書いてある。


だが、今夜の俺には、それより大切な記録があった。


帰ってきた。


ただ、それだけだ。


俺は、帳面を閉じた。


その時、奥から父の声が聞こえた。


「弥三郎」


「はい」


「明日も、皆を数えろよ」


俺は、静かに頷いた。


「……はい」


窓の外で、また大きな音がした。


京の町が、少しずつ壊れていく。


店の前の道も、いつまで通れるか分からない。


俺たちが明日もここにいられるかどうかさえ、分からない。


だが、今夜だけは。


皆が、同じ屋根の下にいた。


俺は、小さく息を吐いた。


「……お祖父様」


誰にも聞こえない声で呟いた。


「あなたは、こんな時代を生き抜いたんですね」


返事はない。


ただ、祖父の看板が、夜風に揺れていた。


『本日の味方――明日は不明』


その言葉が、今夜ほど恐ろしく見えたことはなかった。


そして、俺はまだ知らなかった。


この戦が、十年以上も続くことを。

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