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本日も主君が変わりました ~昨日の敵が今日の味方な室町時代~  作者: さかもち
第三部 昨日の味方は、今日の敵です
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35/61

仲のよいお二人には、別々の請求書をお出しします

「細川家と山名家は、仲が悪いんですか」


俺が尋ねると、父は茶を吹き出した。


「何だ、突然」


「両家から、互いを警戒するような注文が続いていますので」


父は口元を拭いた。


「仲が悪い、か。簡単には言えんな」


「では、仲がよいんですか」


「それも、簡単には言えん」


俺は父を見た。


「どちらなんです?」


「どちらでもある」


実に不親切な答えだった。


こういうことがあるから、父に相談するのは気が進まない。


ところが、隣で聞いていた新九郎殿が笑った。


「弥三郎。細川勝元殿の奥方が誰か、知っているか?」


「山名宗全殿の娘御でしょう」


「そうだ。つまり二人は義理の親子だ」


「存じています」


「なら、分かるだろ」


俺は少し考えた。


「……親戚同士なのに、仲が悪くなったんですか」


新九郎殿は大笑いした。


「ははは! 親戚だからこそ、ということもある!」


父も笑った。


俺は不満だった。


親戚同士なら、むしろ助け合えばよいではないか。


だが、思い直した。


畠山家では、同じ家の者が家督を争っている。


どうやら武士の世界では、血縁というものは必ずしも安心できる材料ではないらしい。


俺は帳面を開いた。


細川家。


山名家。


その二つの名前が並んでいる。


商売人としては、両方から注文が来るのはありがたい。


しかし、最近は一つ気になることがあった。


両家の注文が、少しずつ変わってきているのである。


以前は儀式や行列のための旗が多かった。


今は違う。


軍旗。


陣幕。


兵を見分けるための目印。


そして、決まってこう言われる。


「相手の家には知らせるな」


仲のよい親戚とは、いったい何なのだろう。


          ◇


ある日、細川家の使者・庄兵衛が店を訪ねてきた。


すっかり顔なじみになった男である。


「弥三郎殿、旗を頼みたい」


「何枚でしょう」


「二十枚」


「用途は?」


「屋敷での会合だ」


俺は顔を上げた。


「また会合ですか」


庄兵衛は苦笑した。


「また、とは何だ」


「このところ、会合のための旗ばかり注文されますので」


「会合が多いのだ」


「ずいぶん多いですね」


「政治とは、そういうものだ」


俺は帳面に書き込んだ。


『細川家 会合用旗二十枚』


そして、念のため尋ねた。


「山名家の方々も、お越しになるのでしょうか」


庄兵衛の顔から笑みが消えた。


「……なぜ、それを聞く」


俺は、少しだけ後悔した。


「いえ、お迎えする方々によって、旗の配置も変わるかと」


庄兵衛はしばらく俺を見ていた。


やがて言った。


「山名殿もお越しになる」


俺は少し安心した。


「では、両家の旗を並べるのですね」


「そうだ」


「それなら、よい配置を考えましょう」


俺は紙を広げ、旗の位置を描き始めた。


細川家の旗。


山名家の旗。


どちらも見栄えよく。


どちらも目立ちすぎないように。


我ながら、よい仕事だと思った。


ところが庄兵衛は、図を見て眉をひそめた。


「……細川家の旗を、もう少し大きくできぬか」


俺は顔を上げた。


「なぜです?」


「主催するのは細川家だからだ」


「なるほど」


俺は図を書き直した。


すると庄兵衛は、さらに言った。


「高さも少し上げてくれ」


俺は筆を止めた。


「……山名家の旗より?」


「そうだ」


俺は、しばらく黙った。


なるほど。


戦が始まる前から、旗の高さで争うわけだ。


          ◇


三日後。


今度は山名家から使者が来た。


以前にも顔を合わせた年配の武士で、名を重房(しげふさ)といった。


「弥三郎殿。細川家から旗の注文を受けたそうだな」


俺は、もう驚かなかった。


どうせ両家の間には、俺が知らない知らせの道があるのだろう。


「お客様の注文については、お話しできません」


いつもの答えを返した。


重房は笑った。


「相変わらず堅いな」


「商売ですので」


「それは結構。では、こちらも注文したい」


俺は帳面を開いた。


「何枚でしょう」


「二十枚」


「用途は?」


「細川家での会合だ」


俺は筆を止めた。


「……同じ会合ですか」


「そうだ」


「ですが、細川家の屋敷でございますよね」


「承知している」


「旗は、細川家が用意されるのでは?」


重房は、少し笑った。


「だからこそ、我らも用意するのだ」


俺は、しばらく男を見つめた。


「……なぜでしょう」


「山名家の旗が、細川家の旗より小さくては困る」


俺は天井を仰いだ。


父上。


どうやら、この国の政治は、布の大きさで動いているようです。


          ◇


会合の当日。


俺は旗の設置を確認するため、細川家の屋敷へ出向いた。


庭には、立派な松が植えられていた。


池には鯉が泳ぎ、広い座敷からは人々の声が聞こえる。


細川家の旗と山名家の旗は、庭の両側に並べられていた。


大きさは同じ。


高さも同じ。


俺がそう仕立てた。


細川家の使者には、設置場所で高さを調整すると伝えた。


山名家の使者には、双方の家格に配慮すると伝えた。


嘘はついていない。


ただ、どちらにも勝たせなかっただけだ。


佐吉が静かに言った。


「親方。よい仕上がりです」


俺は頷いた。


「ありがとうございます」


「ただ……」


「何でしょう」


「両家の方々が、少し険しい顔をされていますね」


俺は庭の向こうを見た。


確かに、武士たちが互いの旗を気にしている。


どちらが先に掲げられたか。


どちらが風上にあるか。


どちらが正面からよく見えるか。


どうやら、旗の大きさを揃えただけでは足りないらしい。


俺は、深いため息をついた。


その時だった。


「そなたが、この旗を仕立てたのか」


背後から声がした。


振り返ると、一人の武士が立っていた。


若い。


だが、目の奥には鋭さがある。


衣服は上品で、無駄な装飾がない。


俺はすぐに気づいた。


細川勝元(ほそかわかつもと)殿だった。


          ◇


「はい。旗屋弥三郎と申します」


俺は深く頭を下げた。


勝元殿は庭の旗を見上げた。


「よい出来だ」


「ありがとうございます」


「どちらも同じ高さか」


「はい」


勝元殿は、少し笑った。


「山名殿の注文も受けたのだな」


俺は、困った。


どこまで知られているのか分からない。


「お客様のご注文については……」


「話せぬ、か」


勝元殿は笑った。


「庄兵衛から聞いている。そなたは、口の堅い旗屋だそうだな」


俺は、ほっとした。


「恐れ入ります」


勝元殿は、しばらく旗を眺めていた。


そして言った。


「山名殿とは、長い付き合いだ」


俺は頷いた。


「存じております」


「妻の父でもある」


「はい」


勝元殿は、少しだけ目を細めた。


「だが、親しいからといって、すべて同じ考えというわけではない」


俺は、静かに聞いていた。


「山名殿には山名殿の考えがあり、私には私の考えがある」


「はい」


「それでも、力を合わせなければならぬ時はある」


勝元殿は、俺を見た。


「そなたは、どう思う」


まただ。


将軍様も、守護大名も、どうして旗屋に政治の意見を求めるのだろう。


俺は、慎重に答えた。


「恐れながら、旗であれば、異なる紋でも並べることはできます」


勝元殿は頷いた。


「うむ」


「ですが、並べておくだけでは、同じ方を向いているとは限りません」


勝元殿は、しばらく黙った。


そして、小さく笑った。


「……面白いことを申す」


俺は頭を下げた。


「旗屋の考えでございます」


勝元殿は、庭の向こうを見た。


「では、人も同じだな」


その言葉が、妙に心に残った。


          ◇


会合が始まる前、俺はもう一人の人物と顔を合わせた。


山名宗全殿である。


宗全殿は勝元殿よりずっと年上だった。


赤みを帯びた顔に、豊かな髭。


歩き方にも、声にも、長く武家の世界を生きてきた者の迫力があった。


「おお、旗屋か!」


俺は慌てて頭を下げた。


「弥三郎と申します」


宗全殿は庭の旗を見た。


「ふむ。細川の旗と、同じ高さか」


「はい」


宗全殿は豪快に笑った。


「ははは! 勝元のやつ、少しは遠慮を覚えたか!」


俺は返事に困った。


宗全殿は続けた。


「昔は、あやつも若造だった」


「そうでございますか」


「今では立派な管領経験者だ。口も達者になった」


宗全殿は、少しだけ目を細めた。


「だが、まだ若い」


俺は黙った。


宗全殿は俺を見た。


「そなたは、どう思う」


……まただ。


俺は、深く息を吐いた。


「恐れながら、若い方には若い方のよさがございます」


宗全殿は頷いた。


「うむ」


「年長の方には、長く積まれた経験がございます」


宗全殿は、にやりと笑った。


「ほう」


「ですので、どちらが上かは……」


「決められぬ、か」


俺は頭を下げた。


宗全殿は、大声で笑った。


「ははは! よい旗屋だ!」


そして、俺の肩を叩いた。


思った以上に力が強く、膝が揺れた。


「細川にも山名にも、同じように話すのだな」


「はい」


宗全殿は笑った。


「それでよい。旗屋がどちらかに肩入れすれば、商売にならぬからな」


俺は、少しだけ安心した。


少なくとも、この時の宗全殿は、そう考えていた。


          ◇


会合の後、勝元殿と宗全殿が庭を歩いている姿を見た。


二人は、何かを話していた。


遠くからでは言葉までは聞こえない。


だが、宗全殿が笑い、勝元殿も笑っていた。


俺は、少し不思議な気持ちになった。


この二人は、敵ではない。


むしろ、長い付き合いのある親族同士なのだ。


それなのに、屋敷の中では互いの立場を気にし、旗の高さまで競っている。


佐吉が、俺の隣に立った。


「親方」


「何ですか」


「仲が悪いようには見えませんね」


俺は頷いた。


「そうですね」


「でも、周りの方々は、ずいぶん気を遣っています」


俺は庭を見渡した。


細川家の家人。


山名家の家人。


それぞれが、主人の顔色を窺っている。


俺は、ふと思った。


もしかすると、二人の間の問題は、二人だけの問題ではないのかもしれない。


周りには、家臣がいる。


親族がいる。


味方になろうとする武士たちがいる。


それぞれが、自分の立場を守ろうとしている。


主人同士が笑っていても、その下では別の争いが始まっているのかもしれない。


          ◇


年が進み、寛正年間に入ると、京の町にも苦しい出来事が続いた。


不作と飢え。


食べ物を求めて都へ流れ着く人々。


寺の門前には、痩せた者たちが座り込むようになった。


俺の店にも、仕事を求める者が増えた。


「親方。何でもします。雇っていただけませんか」


そう言う若い男もいた。


俺は、できる限り仕事を回した。


だが、店の仕事にも限りがある。


ある日、千吉が言った。


「親方。外に、子どもがいます」


俺は戸口へ出た。


十歳にも満たないような兄妹が、店の軒下に座っていた。


兄の方が、妹を抱えている。


「どうした」


俺が尋ねると、少年は小さな声で答えた。


「……腹が減りました」


俺は、何も言えなかった。


店の中では、細川家の旗を仕立てている。


奥では、山名家の陣幕を縫っている。


どちらも立派な布だ。


高価な染料を使い、丈夫な糸で縫われている。


それなのに、店の前では子どもが腹を空かせている。


俺は、しばらく立ち尽くした。


そして、千吉を呼んだ。


「飯を用意してくれ」


千吉は頷いた。


「はい」


俺は、二人を店の中へ招いた。


少年は、何度も頭を下げた。


俺は首を振った。


「礼はいい。まず食べろ」


兄妹は、黙って飯を食べ始めた。


その姿を見ながら、俺は思った。


武士たちは、家の名誉を守るために争っている。


しかし、町の人々が今守りたいのは、もっと小さなものだ。


今日の飯。


明日の寝床。


家族の命。


旗屋の仕事は、いったい誰のためにあるのだろう。


          ◇


その夜、父が店へ来た。


「弥三郎」


「はい」


「子どもを二人、助けたそうだな」


俺は頷いた。


「はい」


父は、少し笑った。


「よいことをした」


俺は首を振った。


「……二人だけです」


父は黙った。


「町には、もっと大勢いるんです。腹を空かせている人が」


父は頷いた。


「そうだな」


「でも、うちで助けられるのは、ほんの少しです」


父は、しばらく考えた。


そして言った。


「弥三郎。お前は、店を継いだ時、何を大切にすると決めた」


俺は、少し考えた。


「……仕事をきちんとすることです」


「それから?」


「職人たちの暮らしを守ること」


父は頷いた。


「そうだな」


そして、静かに続けた。


「まず、それを守れ」


俺は顔を上げた。


父は言った。


「お前が店を潰せば、佐吉も千吉も、ほかの職人たちも困る」


「はい」


「その上で、できることをすればいい」


俺は、しばらく黙った。


父は、少しだけ笑った。


「父上も、昔そう言っていた」


俺は、祖父の顔を思い浮かべた。


直接話した記憶は、もう遠い。


だが、祖父の言葉は、父を通じて今も残っている。


俺は、静かに頷いた。


          ◇


寛正五年、1464年。


京では、将軍家の後継をめぐる話が広がり始めた。


義政様には、長く男子の後継がいなかった。


そのため、弟の義視(よしみ)様を後継に迎えることになったという。


俺は、その知らせを聞いて少し安心した。


「これで、次の将軍も決まりですね」


新九郎殿が、俺を見た。


「……そう簡単にいくかな」


「なぜです?」


「将軍家の跡目だぞ」


「はい」


「昔から、決まったと思った頃が一番危ない」


俺は、顔をしかめた。


「そんなことばかり言っていたら、何も安心できません」


新九郎殿は、少し笑った。


「そうだな」


その時、父が静かに言った。


「弥三郎。義視様の後ろには、細川勝元殿がつくと聞いている」


俺は顔を上げた。


「細川家が?」


「ああ」


「では、後継も安泰ではありませんか」


父は、すぐには答えなかった。


しばらくして、言った。


「……そうだといいな」


その言い方が、妙に気になった。


          ◇


翌年、寛正六年、1465年。


将軍・義政様の御台所、日野富子(ひのとみこ)様に男子が生まれた。


後の足利義尚様である。


京では、祝いの声が上がった。


俺の店にも、祝賀用の旗や幕の注文が入った。


佐吉が笑った。


「親方。おめでたい仕事ですね」


俺も頷いた。


「そうですね」


だが、新九郎殿は妙な顔をしていた。


「……また、跡目がややこしくなるな」


俺は、思わず言った。


「どうしてですか。将軍様に男の子が生まれたんですよ」


新九郎殿は、俺を見た。


「弥三郎。去年、誰を後継に決めた」


「義視様です」


「今年、誰が生まれた」


「義政様のお子様です」


俺は、そこで言葉を止めた。


なるほど。


まただ。


また、家督の話だ。


畠山家。


斯波家。


そして今度は、将軍家。


俺は、静かに息を吐いた。


「……どうして皆さん、跡目を決めるのがこんなに難しいんでしょう」


父が笑った。


「お前のところは、簡単だったからな」


俺は頷いた。


「はい」


父は、少しだけ寂しそうに笑った。


「それは、ありがたいことだったんだぞ」


俺は、その言葉を胸に刻んだ。


          ◇


その頃、細川勝元殿は義視様を支える立場にあった。


一方、山名宗全殿の周囲では、将軍家の新たな後継をめぐって、さまざまな思惑が語られるようになっていた。


ただし、誰が誰を支持するかは、まだ単純には分けられない。


将軍家の問題。


畠山家の問題。


斯波家の問題。


それぞれが別の争いでありながら、少しずつ結びつき始めていた。


そして、その結び目の中心に、細川家と山名家がいた。


俺は、帳面を開いた。


細川家。


山名家。


二つの名前を見つめた。


以前、両家の旗を同じ高さに揃えたことを思い出した。


あの時は、二人が笑い合っていた。


親戚として、長く付き合ってきた者同士として。


だが今、両家の使者が店で顔を合わせると、互いに言葉を交わさなくなっていた。


俺は、少し不安になった。


旗の高さを揃えるだけでは、もう足りないのかもしれない。


          ◇


ある日、庄兵衛が店へ来た。


以前より、ずいぶん顔が険しくなっていた。


「弥三郎殿。旗を頼みたい」


「何枚でしょう」


「三十枚」


俺は帳面を開いた。


「用途は?」


庄兵衛は、少し迷った。


そして答えた。


「……備えだ」


俺は、顔を上げた。


「何への備えでしょう」


庄兵衛は、しばらく黙った。


やがて、静かに言った。


「山名家に、動きがある」


俺は、息を呑んだ。


「……山名家に?」


「ああ」


「ですが、山名宗全殿は、勝元殿の岳父でいらっしゃいますよね」


庄兵衛は、苦く笑った。


「弥三郎殿」


「はい」


「親戚だからといって、考えが同じとは限らぬ」


俺は、以前に勝元殿が言った言葉を思い出した。


――親しいからといって、すべて同じ考えというわけではない。


あの時は、まだ穏やかな声だった。


だが今は、その言葉が別の意味を持ち始めている。


俺は、しばらく考えた。


そして尋ねた。


「庄兵衛殿。ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」


「何だ」


「勝元殿と宗全殿は、もうお話し合いにならないのでしょうか」


庄兵衛は、長い間黙っていた。


そして、静かに答えた。


「……話し合っておられる」


俺は、少し安心した。


「では……」


庄兵衛は、俺の言葉を遮った。


「ただし、話すたびに、互いの考えが違うことを確かめておられる」


俺は、何も言えなかった。


          ◇


その夜、俺は父の部屋を訪ねた。


父は、窓の外を眺めていた。


「父上」


「何だ」


「細川家と山名家の関係が、悪くなっています」


父は頷いた。


「そうらしいな」


「どうすれば、元に戻るのでしょう」


父は、少し考えた。


「……分からんな」


俺は、思わず苦笑した。


「父上は、いつもそう仰いますね」


父も笑った。


「そうだな」


そして、静かに続けた。


「だがな、弥三郎」


「はい」


「仲のよかった者が敵になる時ほど、怖いものはない」


俺は、顔を上げた。


父は、遠い目をしていた。


「父上の時代も、そうだった。尊氏様と直義様は、兄弟だった」


俺は、静かに聞いていた。


「同じ家を守ろうとしていた。だが、最後には争った」


父は、少しだけ目を伏せた。


「俺の時代にも、似たようなことがあった」


俺は黙った。


父は続けた。


「人は、知らぬ相手より、よく知っている相手に深く傷つけられることがある」


その言葉が、胸に残った。


          ◇


翌朝。


俺は店先に立ち、看板を見上げた。


『本日の味方』


『明日は不明』


『昨日の敵にも、見積もりは出します』


『味方同士のご注文も、別会計です』


その下に、新しい札を一枚掛けた。


『親戚同士でも、お値引きはいたしません』


新九郎殿が、それを見て大笑いした。


「はははは! 弥三郎!」


「何でしょう」


「お前、本当に商売人だな!」


俺は、少しだけ胸を張った。


「はい。三代目ですから」


父も、静かに笑った。


だが、その笑顔は、すぐに消えた。


店の前に、一人の使者が現れたからだ。


「旗屋弥三郎殿!」


俺は振り返った。


「はい」


男は、深く頭を下げた。


「山名家より、急ぎのご注文でございます」


俺は、少し身構えた。


「何枚でしょう」


男は答えた。


「三十枚」


俺は、息を呑んだ。


細川家と、同じ枚数。


「用途は?」


男は、静かに答えた。


「……備えでございます」


俺は、ゆっくり目を閉じた。


そして、尋ねた。


「何への備えでしょう」


男は、しばらく黙っていた。


やがて、声を落とした。


「細川家に、動きがございます」


俺は、何も言えなかった。


細川家は、山名家に備える。


山名家は、細川家に備える。


互いが相手を警戒し、その警戒がさらに相手を動かす。


俺は、帳面を開いた。


『細川家 軍旗三十枚』


その下に、


『山名家 軍旗三十枚』


と書いた。


同じ枚数。


同じ用途。


違う家紋。


俺は、筆を置いた。


そして、小さく呟いた。


「……お二人とも、同じことを考えておられるんですね」


使者は、少し不思議そうな顔をした。


「何がでございますか」


俺は、静かに答えた。


「相手が怖いから、旗を作る」


使者は黙った。


俺は続けた。


「でも、相手も同じことを考えている」


男は、何も言わなかった。


俺は、店先の看板を見た。


『本日の味方』


『明日は不明』


父上。


お祖父様。


どうやら、この国では、仲のよい人たちが互いを恐れ始めると、旗屋が忙しくなるようです。


ですが、俺は少しも嬉しくありません。


なぜなら、両方から旗を注文されるということは、両方とも戦の準備をしているということなのですから。


そして、まだ誰も知らなかった。


この二人の間に生まれた不信が、やがて京の町を二つに分ける争いへとつながっていくことを。

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