第40話「ゴミ拾い、拾えないものを見る」
黒針の欠片は布の上で鈍く沈んでいた。
鈴のひしゃげた縁に食い込んでいたものだ。
針と呼ぶには短く、ただの欠片と呼ぶには重い。先端は欠けているのに触れる前から指先がちりつくような圧があった。
支部長は上位討伐班の手配に回り、仮の確認所には俺とセラ、女性職員、魔道具の確認係だけが残っている。
入口の方では封鎖柵を重ねる音が続いていた。
この広場の空気そのものが魔物に押さえつけられているみたいだった。
「触れるなら、布越しにしてください」
確認係が硬い声で言った。
「素手で触ると危険か?」
「当然危険ですが、それだけではありません。魔物の体から落ちたものは稀に余熱のような力を残すことがあります。このクラスの魔物は普通の素材とは扱いが異なります」
俺は黒針の欠片を見下ろした。
余熱。
その言い方は少し近い気がした。
壊れた魔道具に残る《残具》とは違う。
失敗した魔術に残る《誤式》とも違う。
剣技や体術の崩れた《欠技》とも違う。
だが、何もないわけじゃない。
俺の《分別》がこの黒針の欠片の奥に小さくざらつくものを感じている。
ただの素材にしては何か重い。
だが、それは残式として拾える形ではなかった。
俺は布越しに針の端へ指を近づけた。
瞬間、奥へ沈んだ力がさらに固くなる。
泥の底に落ちた小石を指で探っているような感覚だった。
そこにあることは分かるのに掴めない。
「……駄目だ」
思わず声が出た。
セラが不安そうにこちらを見る。
「駄目、ですか?」
「あぁ。何か残ってるのは分かる。だが、もう固まっているから今のままでは拾えない」
「他の残式とは違うのですか?」
「あぁ、違うみたいだ。これは……落ちた瞬間からただの素材に戻ろうとしてる感じだ」
言葉にしてみて自分でも少しだけ分かった。
魔物の体に宿っていた力は、体から離れた瞬間に逃げる。
いや、逃げるというより、黒針そのものの奥へ閉じこもって固まっていく。
時間が経ったものは拾えない。
今、目の前にあるこの欠片はもう遅い。
だが、完全な空振りではなかった。
「もしかすると魔物から抜け落ちたばかりなら違うかもしれない」
セラの瞳が揺れた。
「抜け落ちたばかり……」
「あぁ、まだ熱を持ってるうちなら――力が素材の奥に固まる前なら何か拾える、そんな感じの固まり方だ」
それにこの黒針は《鎧針猪獣》の一部だ。
残式そのものではなくても、何かを通す器にはなるかもしれない。
あの鎧みたいな背中へ届くための相手自身の欠片。
セラは自分を襲った《針猪獣》の記憶があるせいか、その顔はまだ青い。
それでも目を逸らしてはいなかった。
だが、今ここで言い切るには早すぎる。
「ただ、分かったことはある。あいつから剥がれたものは完全なゴミじゃない」
そのとき、入口側から金属音が跳ねた。
振り向くと、封鎖している入口の柵の近くにいた職員が盾を抱えたままよろめいている。
盾の表面に黒いものが食い込んでいた。
「おい、大丈夫か!」
「大丈夫だ! だが、奥から飛んだ破片が盾に突き刺さった!」
周囲の職員が駆け寄る。
確認係も顔色を変えて走り、俺たちも少し遅れて近づいた。
盾に刺さっていたのはさっきの欠片よりも大きい黒針の先だった。
槍ほど長いものではない。
だが、短剣くらいの長さがあり、盾の鉄板に深くめり込んでいる。
まだ熱いのか、黒い表面から薄く湯気のようなものが立っていた。
俺の《分別》が強く反応する。
さっきの欠片よりずっとはっきりしていた。
奥に残った力がまだ完全には固まっていない。
「ルーカさん?」
「これ、さっきのより新しい」
俺は思わず一歩近づいた。
だが、触れる前に反応が変わる。
黒針の奥でざらついていたものがすっと沈んだ。
光が消えるのではない。
素材の奥へ閉じていく。
速い。
俺は布越しに指を伸ばした。
だが、遅かった。
掴めない。
残っていた力は黒針の芯へ固まり、ただ重く冷たい素材へ変わっていく。
「……これも無理だ」
悔しさが喉に引っかかった。
今のは惜しかった。
もう少し早ければ。
剥がれた瞬間に近くにいれば拾えたかもしれない。
だが、あの魔物の近くにいる――それは無謀だろう。
セラが小さく息を呑む。
「本当に時間が短いんですね」
「あぁ。魔道具の残りよりずっと早い。落ちたらすぐ固まる」
確認係こちらへやってくると、盾から黒針を抜いた後、一度手を止めた。
「これは保管します。上位討伐班にも共有します」
俺は黒針から目を離せなかった。
拾えなかったが少しだけ道は見えた。
魔物の体から剥がれたものにも何かは残る。
ただし、拾える時間は短い。
剥がれた直後のまだ熱を持っているうち、力が素材へ閉じこもる前に拾う。
そこでなら俺の《分別》は届くかもしれない。
入口側で支部長の声が響いた。
「上位討伐班、到着! 通路の押さえを交代する!」
広場の空気がさらに張り詰める。
厚い盾を持った冒険者たちが前へ出た。
魔術師が杖を構え、槍持ちがその後ろへ並ぶ。
封鎖柵の向こうでは《石毛鼠》の爪音とは違う、重い足音がまた近づいていた。
セラが杖を握り直す。
「ルーカさん」
「あぁ」
俺は黒針の欠片から視線を上げた。
まだ拾えない。
だが、次は違うかもしれない。
《鎧針猪獣》の一部が剥がれたその瞬間なら。
届かない相手の欠片を拾えるかもしれない。
その予感だけが黒い針より鋭く胸に残っていた。




