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第38話「ゴミ拾い、鎧を見つける」

 

 笑っていた冒険者も走っていた職員も動きを止めていた。

 その静止を破ったのは後ろから聞こえた低い声だった。


「全員、入口から下がれ」


 広場の奥にいた年配の男が外套を翻して前へ出てくる。

 胸元にはギルド支部長を示す銀の徽章が光っていた。


 女性職員がはっとして道を空ける。


「支部長……!」


「状況は聞いた。浅瀬に《石毛鼠(ストーンラット)》の群れ、奥に《針猪獣(スパインイーター)》より上位個体らしき魔物の反応ということだな」


 支部長はダンジョン入口の黒い影を一度だけ見て、すぐに広場全体へ声を張った。


「Cランク以下の冒険者は入口から下がれ! 上位討伐班が来るまでは浅瀬第一通路を完全封鎖する!」


 その声を受け、女性職員がすぐに復唱する。


「繰り返します。Cランク以下の冒険者の方は入口から下がってください。上位討伐班が来るまで浅瀬第一通路を完全封鎖します!」


 広場の空気は一気に緊張感に包まれていた。


 さっきまで入口近くで構えていた冒険者たちは一斉に下がり始めている。

 封鎖縄の内側では槍を持った職員たちが、退避してくる討伐班の道を空けていた。


 俺は地面に座り込んで荒くなっていた息を落ち着かせる。

 セラも隣で杖を抱え、肩で息をしていた。

 白い髪は乱れ、薄い碧色の外套の裾も汚れている。それでも、淡青の瞳はダンジョンの入口から離れていなかった。


「ルーカさん……本当にあれが出たんでしょうか」


「分からない。だが、あの足音は鼠じゃないだろうな」


 俺がそう答えた直後、入口の中から討伐班が戻ってきた。

 防具には浅い噛み跡がいくつも残り、槍の先には《石毛鼠(ストーンラット)》の硬い体毛が絡んでいる。


 先頭の男が息を荒げながら叫んだ。


「押さえきれない! 鼠どもも奥から押されてる!」


 支部長の顔が硬くなる。


「3番定点はまだ映るか」


「映ります! ただ、カメラの揺れが大きいです!」


 入口詰所の職員が《小型実況盤(タブレット)》を抱えて近寄ってくる。

 薄い板の表面に映像が浮かび上がっていた。


 画面の端では、俺たちが立てた《赤標旗(レッドフラッグ)》が倒れている。

 その下を《石毛鼠(ストーンラット)》の群れがばらばらに走っていった。


 だが、鼠たちの動きがおかしい。

 入口側へ逃げようとしているのに、完全には進めていない。

 奥から何かが来るたび、赤い目の群れが一斉に跳ね、左右へ割れていく。


 次の瞬間、画面の奥の暗がりがゆっくり膨らんだ。


 最初は岩が動いたのかと思った。

 逃げ惑う《石毛鼠(ストーンラット)》たちが一斉に左右へ割れ、赤い目の群れの奥にぽっかりと黒い通り道ができる。


 そこへ太い前脚が落ちた。


 ドォォォオオオン――と石床が大きく揺れた。

 映像越しでも分かるほど重い衝撃に、《赤標旗(レッドフラッグ)》の布が吹き飛んでいく。


 暗がりから現れたのは猪の形をした巨大な塊だった。


 低く突き出た頭。

 石壁を削れそうな大牙。

 丸太のように太い脚。

 ――そして、背中を覆う無数の黒針。


 ただ尖っているだけではない。

 一本一本が太く硬く、古い鎧板のように重なり合い、肩から背中まで盛り上がっている。

 走れば通路ごと削り、ぶつかれば人間の盾などまとめて砕きそうな重さがあった。


 討伐班の年長の男が低く息を呑む。


「ス……《鎧針猪獣(スパインブルート)》……?」


 その名が出た瞬間、広場の誰もが声を失った。


「中層最奥の魔物じゃねえか……?」


 誰かが掠れた声で言う。

 年長の男は画面を睨んだまま答えた。


「ああ。普通の《針猪獣(スパインイーター)》ならまだ分かる。だがあれは違う。正面から受けたら、浅瀬担当の盾役じゃ止まらん。後ろのやつまでまとめて潰されるぞ……」


 セラの指が杖の柄に食い込む。

 彼女の顔から血の気が一気に引いていた。


「……あの時の魔物よりもっと大きいです」


「……セラ、無理しないでいい。向こうで休むか?」


「大丈夫です。ここで、見ています」


 声は震えていた。

 だが、セラは目を逸らさなかった。


 画面の中で《鎧針猪獣(スパインブルート)》が鼻先を石床へ擦りつける。

 その周りで鼠たちは混乱したように逃げ惑っていた。


 壊れた魔物避け鈴。

 逃げ場をなくした鼠の群れ。

 浅瀬に出るはずのない上位の魔物。


 全部が一つにつながっていく。


 支部長がすぐに指示を飛ばした。


「入口の最終防衛に切り替えろ! 上位討伐班が到着するまで誰も浅瀬第一通路へ入れるな!」


「了解!」


 職員たちが走り出す。

 広場の端にいた冒険者たちも顔色を変え、装備を確認しながら後方へ下がっていった。


 救い出された大柄な男は地面に座ったまま震えていた。

 治療を受けている足元には包帯が巻かれ、さっきまでの軽い調子は完全に消えている。


 男はしばらく俯いていたが、やがて俺とセラの方を見た。


「……悪かった」


 俺は眉を寄せる。


「何がだ」


「朝のことだ。お前らを笑った。ゴミ拾いだの暴発魔術師だの……好き勝手言った」


 男は唇を噛み、セラへ向かって頭を下げた。


「お前の火がなかったら、俺は戻れてねえ。悪かった」


 セラは戸惑ったように杖を抱え直す。

 すぐに許す言葉は出てこなかった。

 それでいいと思った。


 言われたことが消えるわけじゃない。

 だが、男の顔から笑いは消えていた。


「……私はまだちゃんと当てられません」


 セラは小さく言った。


「でも、逃げる道を作れたならそれでよかったです」


 男は何も言えず、もう一度深く頭を下げた。


 そのとき、《小型実況盤(タブレット)》の映像が大きく揺れた。


 《鎧針猪獣(スパインブルート)》が通路の壁へ体をぶつけたのだ。

 石が砕け、黒い針が画面の前を横切る。


 次の瞬間、映像が白く乱れた。


「3番定点、映像が不安定です!」


 支部長が即座に声を飛ばす。


「無理に追うな! その先の確認は上位班が来てからだ!」


 俺は消えかけた映像を見つめた。

 最後に残ったのは黒い針の影だった。


 今の俺たちではあれには届かない。

 《雷穿針(ボルトスティング)》を撃てたとしても、あの鎧みたいな針の前では弾かれるかもしれない。


 だが、何もできなかったわけじゃない。


 壊れた鈴を拾った。

 異常を見つけた。

 赤標旗を立てた。

 逃げ遅れた命も拾えた。


 俺は鞘を腰へ戻し、まだ震えの残る指を握った。


 ただの清掃依頼で終わるはずだった一日が大きく形を変えている。


 拾ってきたのはゴミだけじゃない。

 浅瀬に潜む異常。

 セラの火の使い道。

 そして、今の俺たちでは届かない魔物の姿。


 女性職員が俺たちへ振り返った。


「ルーカさん、セラさん。今日の報告は正式記録に回します。あなたたちが見たものや拾ったもの。全部、詳しく聞かせてもらえますか」


「あぁ、分かった」


 セラも静かに頷いた。

 ダンジョンの奥ではまだ重い何かが石床を踏む音が続いている。


 映像で見た黒い針の影が目の奥に焼きついて離れなかった。


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