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第37話「ゴミ拾い、道を作る」


 《小型実況盤(タブレット)》の中では大柄な男の周りに赤い目が増えていた。


 男は片足を押さえたまま壁際へ下がろうとしているが、ケガをした足がまともに動いていない。手にした棍棒を振って《石毛鼠(ストーンラット)》を追い払っているものの、その動きも目に見えて鈍っていた。


 女性職員は唇を引き締める。


「本来なら止めます。ルーカさんは臨時補助員です。討伐目的で中へ戻すことはできません」


「討伐はしない。赤標旗の近くまで行って、足元の邪魔なものを拾う。あいつが入口へ戻る道を作るだけだ」


 女性職員は《小型実況盤(タブレット)》へ目を向けた。


 討伐班は男を見捨てているわけではない。

 入口側では槍持ちの職員と冒険者たちが横一列になり、押し寄せる鼠を柵の前で食い止めている。そこを崩せば、群れが広場へ流れ込む。


 だが、男がいるのはその正面ではなかった。

 《赤標旗(レッドフラッグ)》のそば、崩れた壁の横にできた浅いくぼみだ。横穴から出てきた鼠に追われ、封鎖線の脇へ押し込まれたのだろう。


 槍を持った討伐班がまとまって回り込めば、正面の押さえが薄くなる。

 少人数で向かえば、足元の破片に足を取られた瞬間に群れに呑まれる。


 でも俺がやるのは戦うことじゃない。

 通れない場所を通れるようにすることだ。


 セラが隣で杖を握り直した。


「私も行かせてください。魔物はできる限り、私が止めます」


 声は震えている。

 だが、目は逃げていなかった。


 女性職員は一瞬だけ迷い、すぐに顔を上げた。


「……冒険者上がりの職員を一人つけます。ルーカさんは救助補助、セラさんは退避支援。赤標旗地点より奥へは絶対に進まないでください」


「あぁ、分かった」


「戻る合図が出たら即時撤退です」


「それでいい」


 俺は鞘を握り直した。

 指先の痺れはまだ抜けていない。それでも逃げ道を作るだけならやれる。


 セラが隣に立つ。

 少し乱れた白い髪を耳元へかけ、細い杖を両手で持っていた。


「無理はするなよ」


「ルーカさんもです」


「分かった。行こう」


 俺たちは冒険者上がりの職員に続き、封鎖縄をくぐって再びダンジョンへ入った。

 外の光が背中から遠ざかる。

 湿った石の匂いと獣臭が戻ってきた瞬間、体が勝手に強張った。

 さっき逃げ出したばかりの場所へ自分から戻っている。


 だが、今度は目的が違う。


 倒すためじゃない。

 拾うためだ。


 入口からしばらく進んだ通路の先には討伐班が作った押さえがあった。

 槍先が左右へ動き、《石毛鼠(ストーンラット)》を柵の前で散らしている。鼠は次々に奥から押し出され、倒しても倒しても数が減ったように見えない。


「脇へ回る。止まるな」


 ついてきた職員が短く言った。

 俺たちは押さえのすぐ横、壁際の狭い隙間へ入る。崩れた石と折れた矢が溜まり、普通に走れば足を取られる場所だ。


 だから俺が前に出る。


 湿った石床に散った破片を見た瞬間、《分別(ソート)》の感覚が働いた。

 ただの石片。折れた矢。割れた魔灯の細片。

 邪魔になるものだけを選び、《廃品収納(ストックヤード)》へ送っていく。


 足元が開いた。


「こっちだ!」


 赤標旗のそばで大柄な男がこちらを見た。

 その顔が驚きに歪む。


「お、お前……!」


「話はあとだ。立てるか!」


「足を……やられた」


 男の周りには折れた矢や砕けた魔灯の破片が散っていた。

 群れが走り回ったせいで、壁際から崩れた破片まで通路の中央へ転がっている。


 あれでは立とうとしても滑る。

 転べばそのまま群れに呑まれる。


 俺は前へ走りながら、男の足元にある邪魔なものをまとめて《廃品収納(ストックヤード)》へ送った。

 湿った石床から破片が消え、男の前に細い退路ができる。


「セラ、左を頼む!」


「はい!」


 セラの杖先に火が集まる。

 狙うのは鼠の群れの中心ではない。

 男へ寄ろうとする左の壁際だ。


「《炎弾(フレアショット)》!」


 火が石床で大きく弾けた。


 直撃ではない。

 それでも熱と光に《石毛鼠(ストーンラット)》たちが身を引き、男の左側が空く。


「今だ、こっちへ来い!」


「くそっ……!」


 男は棍棒を支えにして立ち上がろうとする。

 だが、足に力が入らず、体が傾いた。


 右側の壁穴から1匹が飛び出す。


 俺は鞘口を向けかけて、すぐにやめた。

 撃てば早い。

 だが、今の鞘がどこまで持つか分からない。


 俺は熱が少し残る鞘を短く持ち替え、飛び込んできた《石毛鼠(ストーンラット)》の横腹へ叩き込んだ。

 鈍い感触が腕に残り、魔物が石床を転がる。


「立て!」


 俺は男の腕を引っ張った。

 重い。

 体が大きい分、片足を引きずると動きが遅い。


「歩ける方の足を出せ。俺が引く」


「っ……!」


 男が歯を食いしばって足を出す。

 その撤退の動きを、セラが炎で支えてくれる。


 彼女の《炎弾(フレアショット)》はまだ完全には真っ直ぐ飛ばない。

 それでも、石床に落ちた炎が鼠を押し返し、俺たちが下がるための間を作ってくれる。


「セラ、助かる!」


「はい!」


 今のセラは震えながらも、自分が何をすればいいか分かっている。


 俺は男の腕を肩に回し、入口側へ引いた。

 ついてきていた職員がすぐに反対側へ入り、男の体を支える。


「戻るぞ!」


 職員が声を上げ、槍で道の左右を払ってくれる。

 その隙間へ男を押し込むように進ませた。


 背後で重い音がした。


 どん、と石床の奥が鳴る。

 《石毛鼠(ストーンラット)》たちが一斉に跳ね、俺たちの方へさらに押し出されてくる。


 セラが息を呑む。


「今の音……」


「振り返るな!」


 俺は男を引きずるようにして進む。

 ギルド職員が男の体を支え、槍で迫る鼠を追い払う。


 あと少し。

 入口の光が見えた。だが、大男の足が石床の段差に引っかかった。

 その拍子で体が沈む。


「倒れるな!」


 俺は咄嗟に男の背中を支える。

 その瞬間、背後から《石毛鼠(ストーンラット)》が1匹跳んできた。


「ルーカさん!」


 セラの声と同時に俺の横を炎が抜けた。


 《炎弾(フレアショット)》が俺の背後へ落ちる。

 爆ぜた炎が鼠を弾き、熱が背中を撫でた。


 セラは俺を巻き込まない場所をしっかり選んで撃つことができていた

 今日だけでセラの炎弾のコントロールは明らかに良くなっている。


「セラ、助かった!」


 俺は男を押し上げ、入口側の職員の腕へ渡した。

 外から伸びた手が男を引きずり出す。


 俺とセラも続いて光の中へ飛び出した。


 広場の空気が肺に入る。

 今度こそ膝から力が抜け、俺はその場に片膝をついた。

 セラも杖を抱えたまま肩で息をしている。


 救い出された男は地面に座り込み、顔を真っ青にしていた。

 ギルドで俺たちに向けていた軽薄な笑いはどこにもない。


「お前ら……なんで、俺なんか……」


「助けを求めていたからだ」


 それだけ言うと男は何も返せなくなった。

 唇を震わせ、視線を落とす。

 そのとき、セラが小さく息を呑んだ。


「……あ」


「どうした?」


「レベルが……上がりました」


 セラは自分の胸元を押さえ、信じられないように目を見開いていた。


―――――

職業『魔術師』

レベル5 → 6


炎弾(フレアショット)》……制御精度および威力上昇↑

―――――


「すごいじゃないか!」


「でも、私……ちゃんと倒したわけじゃ……ないのに」


「倒すだけが魔術師の仕事じゃないんだろ。今日のセラは俺たちを守ってくれた」


 セラは泣きそうな顔で、少しだけ笑った。

 その横で大柄な男が急に肩を震わせる。


「奥に……いた」


 全員の視線が男へ向いた。


「鼠じゃねえ、猪だ。だが、大きさと速さが普通の《針猪獣(スパインイーター)》とは比べ物にならねえ」


 男は噛み合わない歯を必死に押さえながら続けた。


「もっとでかい。針がまるで鎧みたいに何層も重なってた。あれは……!」


 広場の空気が凍った。

 女性職員がすぐに声を張る。


「全員、入口から下がってください! 今入っている討伐隊を退避させます! 上位討伐班が来るまで完全封鎖します」


 その声でようやく俺にも分かった。

 強い魔物が出たというだけの話じゃない。

 浅瀬そのものがもう安全な場所ではなくなった。


 俺は鞘を握ったまま、ダンジョンの入口を見る。

 奥の方から重い何かが石床を踏む音がした気がした。


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