第35話「ゴミ拾い、異常を報告する」
ギルド職員に案内されて、俺とセラは入口広場の端へ下がった。
足がようやく止まった瞬間、膝から力が抜けそうになる。
さっきまで湿った石の匂いと爪音の中にいたせいか、外の空気を吸っているはずなのに、まだ胸の奥で息が詰まっていた。
ダンジョン入口の前では職員たちが慌ただしく動いている。
封鎖用の縄が張られ、槍を持った冒険者たちが入口の両脇に立つ。
少し前まで僕たちを笑っていた者たちも、今は誰も笑っていなかった。
「ルーカさん、セラさん。確認します」
受付で見た女性職員が記録板を持って駆け寄ってきた。
顔はいつもより硬い。
「浅瀬の通路で《石毛鼠》の群れに遭遇。赤標旗は3番定点カメラ内で確認済みです。異常発生に間違いありませんか?」
「あぁ、間違いない。最初は数匹だったが、壁の穴や岩の裏から次々に出てきた」
「数はどのくらいでしょうか?」
「はっきり数える余裕はなかったが、俺たちだけで片づけられる数じゃない。おそらく、最後には20匹以上はいたと思う」
職員は短く頷き、記録板へ走り書きしていく。
俺は熱の残る鞘を握ったまま、どうしても入口から視線を外せなかった。
封鎖された入口の向こうで、何匹もの魔物が動いている気配がある。
討伐班が処理に入っているはずだが、あの爪音を思い出すだけで指先に力が入った。
「他に気づいたことはありますか?」
俺は少し迷ってから口を開いた。
「当たり前だが火を嫌がってた。セラの《炎弾》で何匹かは止まったし、倒せたやつもいた」
俺は一呼吸入れて続ける。
「――ただ少し様子が変だった」
職員の筆が止まる。
「あいつらは体が焦げても地面で炎が燃えても、こっちへ出てこようとしてたんだ」
横でセラが小さく頷く。
「私にもそう見えました。炎を避けようとはしていました。でも、奥へ逃げる個体はほとんどいませんでした」
職員の顔つきが変わる。
ただの浅瀬の群れではないと、その場の空気がさらに重くなった。
「それなら、奥から押し出されている可能性がありますね」
「たぶん、そうなんだろう。入口側の壁穴にも回り込んでた。逃げ道を塞ぐというより、最初からそこまで逃げて来てた感じだ」
「分かりました。今の報告は討伐班にも回します」
職員は近くの若い職員に記録板を渡し、早口で指示を出した。
その若い職員が走っていくと、今度は別の職員が水の入った木製のコップを持ってきてくれる。
「二人ともまずは水を飲んでください。怪我はありますか?」
「俺は手が少し痺れてるくらいだ。あとはセラの外套が少し破れた」
「私は……大丈夫です」
セラはそう言ったが、杖を抱える手はまだ震えていた。
ついこの前、中層のイレギュラーに襲われたばかりだ。今回もまた異常事態に遭ったのだから、気持ちがすぐに落ち着くはずがない。
薄い碧色の外套の端は裂け、白い髪も少し乱れている。
それでも彼女は俯いてはいなかった。
「セラ、怪我はないか?」
「はい……ルーカさんは?」
「俺も平気だ。2人とも怪我なく戻れて良かった」
「……私、足を引っ張ってませんでしたか」
熱の残る鞘を握ったまま、俺はセラを見る。
「セラが後ろを止めてくれたから、俺は旗を立てられた」
セラは杖を抱えたまま、破れた外套の端に目を落とした。
それから、ほんの少しだけ息を吐く。
「……それなら……よかったです」
「ああ。助かった。ありがとう」
声に出してからようやく俺も戻ってこられた実感が湧いてきた。
女性職員が俺たちを見て、静かに頷いた。
「お二人の今回の判断は正しかったです。浅瀬清掃依頼の範囲内で異常を発見し、無理に戦わず戻った。護衛同行のセラさんも、退避支援としてきちんと役割を果たしています」
「……俺たち、逃げ帰っただけじゃないんだな」
思わず出た言葉に職員はきっぱり首を横に振った。
「はい。異常を持ち帰ることも依頼の大事な成果ですよ」
その言葉が胸の奥に落ちた瞬間、視界の端で文字が浮かび上がる。
―――――
職業『ゴミ拾い』
レベル1 → 2
《小物拾い》……精度上昇↑
《回収》……回収速度上昇↑
《分別》……危険物判別精度上昇↑
《廃品収納》……容量増加↑
―――――
「え……上がった」
「え?」
「レベルが……」
セラの目が大きく開いた。
「すごいです。ルーカさん!」
「いや、まだ2だ。冒険者登録には届かない」
「でも上がったんですよね」
「ああ」
ただゴミを拾っただけではほとんど伸びなかった職業経験。
今日は危険なものを分け、異常を見つけ、旗を立てセラと一緒に戻ってきた。
俺の職業はちゃんと前へ進んでいるということか。
胸の奥が熱くなる。
その熱を逃がすように、俺は《廃品収納》の中身を軽く確認した。
浅瀬で拾ったものには、折れ矢や焦げた布、砕けた石片、割れた魔灯の破片などがあった。
さらには戦いの最中に収納した焦げた毛や硬い体毛もある。
量は多いが、《分別》の感覚が少しだけ前よりはっきりしていた。
危ないもの。
ただのゴミ。
残式が残っているもの。
ギルドに見せた方がいいもの。
その中で一つ引っかかった。
「……ん?」
俺は《廃品収納》からそれだけを取り出した。
手のひらに乗ったのは潰れた小さな鈴だった。
黒く汚れ、片側がひしゃげている。振っても音は鳴らない。普通ならただの壊れた金具として片づけるものだ。
だが、指先で触れた瞬間、内側にざらついた違和感が残った。
ただ壊れているだけじゃない。
「ルーカさん、それは?」
「浅瀬で拾ったゴミの中に入ってた。たぶん鈴だと思う。だが、何か変だ」
女性職員がそれを見た瞬間、表情を強張らせた。
「……魔物避けの鈴⋯⋯ですか?」
「魔物避け?」
「魔道具です。魔物が嫌がる音を出す鈴ですが……」
職員は潰れた鈴を慎重に見つめた。
「これが浅瀬で壊れていたんですか?」
「たぶん。今日清掃中に回収した物の中に紛れてた」
セラが不安そうに汚れた鈴を見た。
「もし、その鈴が壊れていたら……魔物はどうなるんですか?」
職員はすぐには答えなかった。
その沈黙だけで良くないものだと分かった。
俺は黒ずんだ小さな鈴を見下ろす。
潰れた金具の奥で、鳴らないはずの音がまだ嫌な形で残っている気がした。
浅瀬の魔物が火を怖がっても奥へ戻らなかった理由。
その答えにつながりそうな何かが手のひらに残っていた。




