第33話「ゴミ拾い、旗を立てる」
暗がりの中で、赤い目が動いた。
壁の穴の中や通路端の崩れた岩の裏から、硬い体毛を逆立てた《石毛鼠》がじわじわと姿を見せ始める。
さっきの2匹だけなら何とかなったが、この数は無理だ。
俺は鞘の熱を確かめた。
撃てないほどではない。
だが、《雷穿針》は一発ずつ狙って撃つタイプの廃式奥義だ。
この数を止められるとは思えない。
横でセラの杖先に火の色が集まっていく。
手は震えているが、それでも杖だけはしっかり前を向いていた。
先頭の《石毛鼠》が動いたのに合わせて、後ろの3匹も同時に石床を蹴った。
地面すれすれを滑るように散ると、赤い目が左右へ分かれてこちらへ迫ってくる。
「セラ、今だ!」
「はい!」
セラは進んでくる敵の通り道へ向けて――撃つ。
「《炎弾》!」
放たれた炎の弾は斜めに飛んでいく。
だが、それでいい。
炎は《石毛鼠》たちのやや前方へ落ち、石床をなめるように爆ぜた。
低い位置全体に熱が広がり、突っ込んできた2匹が炎に炙られる。
残りの1匹は直前で壁際へ逃げ、もう1匹は後ろへ跳ねて避けた。
「止まった……?」
セラの声に驚きが混じった。
「やったぞ、セラ!」
当たっていない。
それでも攻撃を止めた。
だが、後ろから壁を伝って1匹が高く飛び込んでくる。
俺はそこに鞘口を合わせた。
今、止めるべき1匹だけを見る。
「――《雷穿針》!」
白雷の閃光が走る。
狙った胸元近くへ吸い込まれるように突き刺さり、《石毛鼠》の内側で雷が弾ける。
バチチチィ――!
飛び込んできていた1匹が石床へ転がった。
燃え盛る炎の向こうには、まだいくつもの赤い目が動き回っている。
炎が引くのを待っているのだろう。
ここで意地を張って倒し切る理由はない。
「セラ、このまま下がるぞ」
「はい」
「依頼通り、何かあれば戻る。それにこれは俺たちだけで片づけられる数じゃない」
セラは悔しそうに俯いた。
それでもすぐに前を向き、杖を握り直す。
「追ってくる方は、私が止めます」
「頼む。俺は赤標旗を立てる。立てたらすぐ戻るぞ」
「はい!」
俺たちは入口側へじりじりと下がっていく。
《石毛鼠》たちは炎を嫌がって散る。
だが、完全には止まらない。
火の端を避け、壁際を伝い、こちらが下がるたびに少しずつ距離を詰めてくる。
火が怖くないわけじゃない。
焦げた体毛を震わせ、赤い目を怯えさせている個体もいるが、壁を伝って火を避けてくるやつもいた。
「《炎弾》!」
再度、セラの火が通路の中央へ落ちた。
直撃ではないが、熱と光に驚いた《石毛鼠》たちは突っ込む勢いを失って散っていく。
――よし、今なら動ける。
俺は回収鞄に入れていた旗を抜いた。
赤い布が薄暗い通路の中ではっきり見える。
――《赤標旗》
清掃依頼中に手に負えない異常を見つけたとき、定点カメラの撮影範囲に立てることで、緊急事態を知らせる魔道具だ。
俺は壁際へ走り、定点カメラの位置を確かめた。
高い位置に埋め込まれた透明なレンズ石が薄く光っている。
ここなら映るだろう。
石床には幾つか隙間や土の部分があるため、そこへ《赤標旗》の柄を差し込んで固定した。
「立てた! セラ、下がるぞ!」
「はい!」
セラがこちらへ駆け寄ってくる。
《石毛鼠》たちの前では、まだ炎が激しく燃えていた。
セラの魔術のおかげで、敵の動きはかなり鈍っている。
あの火を見れば、怯えてもおかしくない。
だが、それでも逃げずに突っ込んでくるやつがいる。俺たちを襲いたいというより、奥へ戻りたくないようにも見えた。
俺は鞘を横に構え、炎を抜けてきた1匹を叩き払った。
黒い断熱板を重ねた外装が硬い体毛に当たり、鈍い音が腕まで響く。
「セラ、こっちだ、急げ!」
この異常を持ち帰らなくてはならない。
俺は熱の残る鞘を握り直し、セラを入口側へ下がらせた。
背後には、ダンジョン入口へ続く薄明かりがすでに見えている。
外の空気がかすかに流れ込み、湿った石の匂いの中に広場の乾いた匂いが混じった。
――もう少しだ。
そう思った瞬間、入口の光までの間に赤い目が忍び寄ってくるところだった。
前だけじゃない。
入口側にも《石毛鼠》が来ている。
「ルーカさん……!」
「止まるな。まだ塞がれたわけじゃない」
俺は入口側に見えた赤い目を数えた。
奥にいた群れほどはまた多くない。
だが、ここで足を止めれば挟み撃ちにされる可能性が高い。
まず、入口までの通れる場所を作る。
入口側の通路には、さっきまで気にしていなかった石の破片や折れ矢が残っていた。
清掃しながら進んできたはずなのに、壁穴から《石毛鼠》が這い出したせいで新しく散っているものも多い。
俺は入口へ続く石床に散らばったそれらをまとめて《廃品収納》へ送った。
視界の端で邪魔なものが消え、どうにか足を置ける場所ができる。
「セラ、最後にもう一度火を落としてくれ。追ってくる群れを止める」
「はい!」
セラの杖先に火が集まる。
震えはまだある。
だが、もう的を探すような迷いではなかった。
「《炎弾》!」
炎が俺たちの背後、赤標旗の少し手前で弾けた。
低く広がった熱に、奥から詰めてきていた《石毛鼠》たちが爪を立てて止まる。
その隙に、入口側の1匹が壁穴から飛び出した。
赤い目がセラの足元へ向かう。
「こっちは俺が止める!」
俺は鞘口を向ける。
熱は残っている。
手首にも痺れがある。
だが、ここで撃たなければセラがやられる。
俺は狙いをつけて撃った。




