第32話「ゴミ拾い、初めて倒す」
《石毛鼠》はこちらを見たまま動かない。
赤い目が薄暗い通路の奥で光り、背中の尖った体毛が少しずつ波打つように動いているだけだ。
弱い魔物だと聞いても、目の前にいるとただの鼠には到底見えなかった。
その口には大きな牙が見え、噛み付くタイミングを窺っているような魔物だ。
すぐ後ろでセラが杖を動かす音が聴こえた。
「ルーカさん、気をつけてください」
「わかってる。まず俺から撃ってみる」
ゆっくり敵に鞘口を向ける。
目の前の魔物は動かない的とは違う。
俺を見て、距離を測り、どこへ噛みつくかを選んでいるようだ。
そのとき、《石毛鼠》が石床を蹴った。
思ったよりずっと低く、そして速い。
赤い目が一気に近づき、牙が湿った空気を裂く。
俺の方は敵の頭を狙うが、想像以上に動きが早く、ピンポイントに合わせるのが難しい。
俺は《石毛鼠》の体全体へ向けると、飛び込んできた通り道ごと撃ち抜いた。
「――《雷穿針》!」
鞘口から白雷が走った。
針のような雷撃が《石毛鼠》へ一直線に伸びる。
狙ったラインにいたはずの魔物は空中で体をひねる。だが、ぎりぎり後脚へ突き刺さった。
後脚の肉に食い込んだ雷針が敵の体の内側で弾けた。
バチチチィッ――!
硬毛の隙間から白い火花が散り、《石毛鼠》が空中のまま跳ねる。
牙が俺の腕に届く寸前で、そのまま石床へ落ちていった。
地面に転がった魔物は足を何度か震わせた後、動かなくなる。
「……倒せた⋯⋯?」
《石毛鼠》はもう動かない。
初めて動く魔物に当て、初めて魔物を倒した。
狙い通り頭を撃ち抜いたわけではないが、後脚に入っただけでその内側から雷が爆ぜた。
やはり《雷穿針》は、小型の魔物を止めるには十分な速度と威力をもつ廃式奥義のようだ。
手首には軽い痺れが残っている。
鞘口の奥から焦げた匂いが少し上がり、外装の黒い断熱板も少し熱い。
鞘は少しだけ休ませた方が良さそうだ。
「ルーカさん、左から来ます!」
セラの声で顔を上げた。
壁際の割れた石の陰からもう1匹が飛び出してきていた。
さっきの《石毛鼠》より少し小さいが速い。
赤い目は俺ではなく、セラの足元を見ていた。
鞘を向け直そうとした瞬間、手首に痺れが走る。
小さい技でも雷は雷だ。
反動がないわけではなかった。
その一瞬の間で、《石毛鼠》がセラの足元へ滑り込んだ。
「セラ、後ろへ!」
「はい!」
セラは数歩、後ろへ引くと同時にすでに杖を構えていた。
新調したばかりの細い杖だ。
先端には小さな魔石がはめ込まれ、薄暗い通路の中で青色を帯びた光を返している。
セラの指が柄を握り込むと、その魔石の周りに火の色がじわりと集まった。
「前へ……曲げない……――!」
訓練場で何度も暴れた火の弾丸が、杖先からまっすぐ前へ押し出された。
「――《炎弾》!」」
形はまだ歪んでいるし、飛ぶ方向も揺れている。
それでも、逃げようとした《石毛鼠》の横腹を掠めて地面に着弾した。
大きな爆炎が通路の先で膨れ上がった。
直撃ではないが、硬毛が燃え、焦げた臭いが通路の空気に混じる。
魔物は短く鳴いて体を跳ねさせた。
そして、この場から逃げようと爪を立てて方向を変える。
《雷穿針》を撃つには、まだ鞘口の熱が引ききっていない。
なら、今は撃たない。
俺は逃げかけていた敵の頭目掛けて、鞘を振り抜いた。
耐熱板を重ねた外装は、その辺のただの鞘よりもずっと重くて硬い。
その硬さが《石毛鼠》の頭蓋骨へ鈍い音を立てて入り、魔物は湿った石床を滑って動きを止めた。
通路に静けさが戻ってくる。
「セラ……大丈夫か?」
「はい。ルーカさんは?」
「手は少し痺れてるが、大丈夫だ」
指を開いて見せると、セラは胸の前で杖を握ったまま、ようやく小さく息を吐いた。
「さっきの魔術、当たってたぞ」
「いえ、掠っただけです。ちゃんと狙った場所ではありませんでした……」
「だが、魔物にはダメージが入っていた。そのおかげでこの鞘だけでも殴って倒せた」
セラは動かなくなった《石毛鼠》を見て、じっと何かを考えている。
白い髪の端が頬にかかり、薄い碧色の外套の紐が小さく揺れた。
「実は……訓練場の的以外に初めて当たりました」
「俺も⋯⋯初めて魔物を倒せた。――ってことは二人とも初めてってことだな」
「え……は、はい。確かに。ルーカさんも初めてだったんですか?」
「あぁ。そもそも俺はこの前セラを助けにここに入ったのが、初ダンジョンだった」
「ええ! す、すみません。そんな方に助けてもらえたなんて……。さすが、ルーカさんです!」
返ってきた声には、さっきまでの震えだけではないものが混じっていた。
今の魔物相手でも何もできなかったわけじゃない。
積み重ねれば、今後負けることはないだろう。
俺は倒れた《石毛鼠》を通路の端へ寄せ、清掃依頼の記録として爪と尻尾の先だけを切り取った。
これはゴミではなく危険回避の証拠として提出するものなので、小さな布に包んで回収鞄へ入れておく。
残った死骸は指定の処理袋へ移し、焦げた毛や砕けた石片、近くに落ちていた折れ矢と一緒に《廃品収納》へ入れた。
セラが少しだけ近づき、俺の手元を見る。
「清掃依頼って大変ですね」
「まあな。ゴミは残したままだと後で誰かが踏むかもしれないし、他の魔物が寄ってくるかもしれないからな」
「……私、少し分かった気がします。ルーカさんがいつも見ているもの」
そのとき、通路の奥でまたカサササッと音がした。
ただ音は1つではない。
乾いた爪が石床を擦る嫌な音が重なっている。
「ル、ルーカさん……」
セラの声が焦りを含んでいる。
通路の暗がりの先では赤い点がいくつも灯っていく。
2つ。
4つ。
7つ。
さっき倒した2匹の仲間なのか、それとも音で寄ってきただけのか分からない。
だが、確実にたくさんの赤い目がこちらを向いていた。
「……何匹だ?」
「分かりません。でも、さっきよりもかなり多いと思います」
鞘口の熱が引いた。
もう次の奥義を撃てるが、この数の魔物相手に一発でどうにかなるかは怪しかった。
セラも横で杖を構えた。
手は震えているが、足はしっかり地について踏ん張っている。
「セラ、《炎弾》は撃てそうか?」
「はい、撃てます。でも……外したら、またルーカさんの邪魔になるかもしれません」
「邪魔じゃない」
俺は鞘を握り直したまま、暗がりの赤い目を見ていた。
「当てなくていい。倒さなくてもいい。セラの炎を、あいつらの前に落としてくれ。火がそこにあるだけで、あいつらは踏み込むのを躊躇うはずだ」
「……当てなくて、いいんですか?」
「ああ。俺が撃つ隙を作ってくれ。それだけで十分戦える」
セラの杖先が少しだけ上がった。
魔石の奥に小さな火の色が灯る。
「私の魔術でも……役に立ちますか」
「もちろんだ。今の俺にはセラの炎が必要だ」
セラは一瞬だけ唇を結び、それから前を向いた。
まだ怖がっている。手も震えている。
それでも、足は下がっていなかった。
「分かりました。倒すんじゃなくて、止めます!」
その声に合わせるように、暗がりの中で赤い点が動いた。




