第12話「ゴミ拾い、赤い旗をもらう」
外から聞こえた悪口と笑い声は、救護室の扉越しでもはっきり分かるくらい大きかった。
だが、不思議と以前ほど心は沈まなかった。
俺の職業『ゴミ拾い』のレベルが上がったのはこの5年間で初めてのことだ。
今日のような普段と違う行動の中に、レベルアップの原因があるのは間違いない。
受付嬢は外から聞こえた声に眉を寄せたが、すぐに書類へと視線を戻した。
「すみません。後で注意しておきます」
「いえ、大丈夫です」
「それでもです。……では説明を続けますね。ルーカさんが『臨時補助員』として登録する気があるなら、許可される範囲はダンジョン入口から浅層手前までとなります。主な役割は清掃、廃品回収、簡単な救助補助です。活動内容に応じて手当も出ますよ」
受付嬢はこちらの反応を見ながら続ける。
「冒険者登録ではないため、ダンジョン内での討伐や採取依頼は受けられません。ただし、救助や清掃中に危険を発見した場合、ルーカさんの報告は正式な記録として扱われます」
憧れていた冒険者ではない。
だから、その言葉にはやっぱり少しだけ引っかかった。
だが、それでも入口前を掃除していただけの毎日からは大きく前進した気がする。
「今日の件もルーカさんが勝手にダンジョンの奥へ入っただけなら問題になっていました。ですが、実際には怪我人を入口まで運び出していただきました。その点については救助行動として認められました」
受付嬢はそう言って、机の端に赤い旗を置いた。
掌より長い柄の先には小さな赤色の布がついている。
柄の根元には、硬い地面にも差し込めそうな金具がついていた。
「これを渡しておきます。《赤標旗》と呼ばれているものです。今後、救助や危険を見つけた場合は、まず定点実況カメラの範囲内にこれが映るよう、地面や壁に差してください」
――《赤標旗》
俺はそれを見て、ダンジョン実況盤の画面を思い出した。
稀に小さな映像枠の端が赤く光ることがあった。
その瞬間、酒場の冒険者たちが立ち上がり、緊急依頼を受けていた場面。
「あの赤枠って……これだったんですか」
「はい。カメラの映像範囲内に《赤標旗》が映ると、そのカメラが緊急チャンネルに切り替わります。近くにいる冒険者にも緊急依頼として通知されます」
「使い方は……差すだけですか?」
「はい、倒れると認識されないことがありますので注意してください。定点実況カメラにこの旗が映り込めば、緊急チャンネルが開くため、普段は見えないところへしまっておいてください」
俺は《赤標旗》を受け取った。
これで、今回のように周りに誰もいなくても、ギルドに異変を知らせる方法ができた。
一方通行の合図だが、それでも何もないよりずっとましだろう。
「分かりました」
受付嬢は頷き、書類を俺の前へ置いた。
「最後にここへお名前と職業をお願いします」
俺はペンを持つ。
名前欄にはルーカ。
職業欄には……一瞬だけ手が止まったが、すぐに書いた。
『ゴミ拾い』
前ならその字を見るだけで情けなくなっていたが、今は違う。
この職業でしか拾えないものがある。
この職業だからこそ見えるものがある。
書き終えると、受付嬢は書類を確認し、薄い銅の補助証を差し出した。
「こちらが補助証になります。身分確認のため、活動中は持っていてください。あと、最後になりますが、ダンジョンに入れるといっても可能な限り護衛をつけてください。清掃依頼時の護衛代は申請してもらえればギルドが負担しますので」
俺は頷いてからそれを受け取った。
小さな銅板には、名前と職業、それから区分が刻まれている。
―――――
名前 ルーカ
職業 ゴミ拾い
区分 臨時補助員
―――――
その文字を見ていると、横からセラが小さく声をかけてきた。
「あの……ルーカ、さん」
受付嬢が名前を呼んだから覚えたのだろう。
セラは救護室の椅子に座ったまま、少し気まずそうに目を伏せていた。片側だけ編み込まれた白い髪はまだ少し乱れていて、魔術師用の短い外套の袖口にも土の跡が残っている。
それでも、顔を上げた時の淡い青の瞳は、さっきダンジョンの奥で見た時よりずっとはっきりしていた。
「今日は、本当にありがとうございました。私……また、ちゃんとお礼を言いたいです」
「気にしなくていい。体が無事なら」
「でも……助けてもらったままは嫌なので……また、ちゃんと会えたら……その時にもう一度お礼を言わせてください」
最後の方は声が小さくなって、セラは外套の袖を指先で握った。
その仕草が妙に年相応で、さっきまで魔物の前で必死に警告していた子と同じには見えなかった。
「……わかった」
俺は少し遅れて頷いた。
礼ならもう十分だと言おうとして、うまく言葉が出なかった。
助けた相手からこんな風にまっすぐ見られること自体に、まだ慣れていない。
「そのときはまた普通に話そう、セラ」
セラは少しだけ目を丸くした。
それから、ほっとしたように小さく微笑む。
「……はい」
俺がそれ以上の言葉を探していると、救護室の扉が開き、受付へ戻るよう促された。
もう一度セラに頷いてから、俺は補助証を持って廊下へ出る。
そこで、外にいた冒険者たちの視線が一斉に集まった。
「……おい、あれ見ろよ」
「本当に補助証持ってるぞ」
「ゴミ拾いがダンジョン補助だってよ。掃除道具で魔物と戦う気か?」
「なんか鞘だけ持ってるんだが?」
「おまえ、剣はどうした? ゴミと間違えて捨てちまったか」
笑い声が重なる。
補助証を握る指に力が入った。
前なら俯いていた。
何も言い返せず、ただ通り過ぎるだけだった。
だが、今日は胸の奥に残っている文字があった。
――レベル1
俺にとっては5年分の重さがあるもの。
俺は何も言わず、補助証をポケットへしまう。
笑われているのは変わらない。
ゴミ拾いと呼ばれるのも変わらない。
それでも俺はもう入口の外だけにいる清掃員ではなくなった。
ダンジョンの中にはまだ拾われていないものがある。
壊れた術式。
捨てられた道具。
そして、助けを求める声。
俺は腰に差していた壊れた鞘に一度触れる。
次にダンジョンへ入る時は、ただ笑われるためじゃない。
何かを拾うために入るのだ。
誰にも価値がないと言われたものを、俺だけがもう一度形にするために。




