異例少女
那須愛瑠
あなたは今日、何時に起きるのかしら。朝起きて何をするのかしら。誰と話すのかしら。ご飯は何を食べるのかしら。そのあとは何をするのかしら
あたしは常に早起きだわ。朝は組織が提供する寮のベッドで起きて必ず連絡通知を確かめる。第一声は組織が用意した寮の子と交わすわ、友だちなどではないの。そのあとは……あたしは、あたしは何をするのかしら。天命を授かった為霊者として、生きるために生きていたら、日が暮れているわ。その繰り返し
もの凄くあなたが気になるの。たとえば、甘い、って何かしら。匂いしか知らないわ。舌に蓄積されてきたのは、辛みか苦みか酸味。『滓』の血肉を咀嚼していると、農家さんや漁師さんの笑顔でなく、吐き気とともに苦しむ誰かの顔が思い浮かぶ。自分も悍ましい顔面に変貌を遂げるのを恐れながら食べるのよ
一年半前、あなたを知ったその日から、ずっと憧憬を抱いていたの
それでもあたしは、あなたを為霊者の定めを覆すための研究などには使おうと思わない
ただただ……教えてくれればいいの。普通を
知りたいわ。あなたのこと
◇
ゴトン。カランカラン──その音が、私の目を覚ました。
(なんか手から抜け落ちたぞ……)
薄暗い部屋のゲーミングチェア。汗ばんだキャミソールでだらんと腰かける私は、イマイチ優れない頭を押さえる。唸りながら、それが頭痛だと知覚した。
デスクの環境は己の自堕落を象徴していた、デスクのモニターは二枚ともフル発光で目にうるさいし、その傍らでヘッドホンもBGMを垂れ流し続けているし……。
「絶対コントローラーなんだが。──んしょ」
くるりとゲーミングチェアを回して、ゲームコントローラーを拾おうと動作をする。足が半歩ずれれば再びカランカランと鳴り、床に横たわっている機体に手を伸ばすと桃味のエナジードリンクの匂いがやってくる。ひとえに、飲んだ缶を放り捨てているせいだ。
落ちた衝撃はさぞかし痛かっただろう、私はデスクに置いた機体を慰めるように手を添えながら、モニターの電源を切り、マイクを定位置に戻す。明け方3時くらいまで起きてたか? とPVPに入り浸っていた自分をちょっぴり回想しつつ。
阿呆だ。今日はド平日で高校にも行かなければならないのに。念のため寝坊はしていないかとデスクにあるスマホで時刻を確かめてみる。
──7時00分。
(夜更かししすぎて逆に平気です、みたいなね?)
ピーン、と軽快な通知音がスマホを震わせた──初期設定の無機質なロック画面にある一文が表示される。
『確認のため、再度位置情報を貼付させていただきました。今夜の件よろしくお願いいたします』
「……私が住んでる地域から新宿三丁目の駅まで何分かかるよ……」
律儀な相手には、同じく律儀な構文を返しておく。溜め息を吐く私だけれど、徹夜の体たらくで挑むことを見越さずに「おはらい」を請け負ったのもまた私だ。
この怠さを取り払うべくゲーミングチェアの右手にあるカーテンの前に足を運ぶ。そして、ばっと勢いよくカーテンを開けた。初夏の太陽──コイツから気概をいただくつもりで、目一杯の伸びをする。
(制汗シート欲しい……どこにほっぽったかな)
目当てのものは、クローゼットを開ければ制服とともに手にできた。キャミソールの肩紐に指をかけ、私は「こんな私にも世話を焼いてくれる真美さんには感謝が止まらん」と独りごつ。
──7時30分。
大量の空き缶を抱え数回にわけて洗面所を行き来していると、廊下ですれ違った真美に「またやったのね、亜依ちゃん……」と呆れられた。
空き缶をすすいだらスキンケアだ。お肌のために鏡の前で髪の長い女とにらめっこをするフェーズ。汗をかいたせいか、今日はいつもに増して髪の毛を留意して梳かなければならなかった。
「まあ……洗面台が埋め尽くされてるじゃない。持っていくわね」
「ありがと」
「ちゃんとすすいであるの?」
「うん」
日焼け止めや保湿、諸々のメイクを完遂した私は、スクールバッグを片手にリビングへと入る。──そこには萌々魑家のルーティンが描かれていた。ソファーでテレビを視聴する大黒柱の貴臣と、カーペットで洗濯物をまとめる真美、それから台所付近の食卓でスマホをイジる大学生の琉希と三者三様。
私は、ラップで巻かれた朝食が置いてある琉希の隣席に座った。荷物を置き手を合わせると彼がこちらを向く。
「亜依お前さ、今日の夜空いてない?」
「夜無理。予定ある。スト6?」
「そう」
「しゃーなし、面識ある格ゲーのストリーマー募ったげるわ」
マジか。という琉希の驚愕に、ドヤ顔で茹で野菜をパクっと食む。朝にふさわしいキャベツのフレッシュさを舌に転がしながら、「任せろマジで」と得意げに。
「80万人……だったか。そんくらいチャンネル登録者を抱えてれば、身内でもお気軽に構ってくれるようになるんだな」
「ぶっぶー。そいつは1ヶ月の規模だ。このあいだ90万突破したんだよ」
「つい数ヶ月前を遡れば50万とかだったろ? ……なんつーか、破竹の勢いだな。なす……茄子……なんだっけ」
「那須愛瑠な」
ゲームに、歌に、雑談に、お悩み相談──それから「おはらい」。多種多様なコンテンツを売りにして活動していたら、いつしか今をときめくVチューバーへと登りつめたのである。
きっと高頻度の配信回数も少なからず伸びに寄与していることだ、と私が単なる趣味を胸中で正当化してはんぺんに箸を刺した、そのタイミングで。真美は胡乱げにこちらを見据えていた。
「どしたの、真美さん」
「ねえ亜依ちゃん、予定って、何? 今日も放課後から遅くまであけるの?」
「はむはむ……可及的速やかに帰宅します」
「別に門限を設けたりしたいって話ではないんだけどね? ……一度だって、夜遅くに外出しているときに何をしているか、教えてくれたことがないじゃない」
反論には窮する。代わりに、箸を持っていないほうの手を控え目に顔前に出した。
「おはらい」だと話したって、無駄だろう。
──虚空から猫の人形を出現させ、これ見よがしにふってみせる。
しかし真美は歯牙にもかけなかった。当然だ、一般人であれば。
("これ"を視認できない限り説明しても変人にしかならないから、しないんだよ)
「連日のように予定を詰めてたら、体調は心配になってくるし、あなたに悪いものがよっている可能性だって考えざるを得ないわ。亜依ちゃん、世の中には人を脅かす人もいれば、人を脅かす奇妙な怪物も出るのよ?」
「──フッ」
「何冷笑してん゛だよ琉希野郎。──それもそうなんだろうけどさ。ほら……Vログとか撮るわけ、Vチューバーって。夜に」
「そう言うのなら、今日は、機材を持っていくの? スクールバッグの中に自撮り棒なんかが仕舞えるようには見えないけど」
どきり。真美の指摘はもっともで、言葉に詰まった。私が足元に置いているそれは、せいぜい教材を収納するのが手一杯なのだから。
「ん、JKのプライベートに踏み入るのはやめておこう、真美さん。このあと問答無用で皿洗いするからさ」
「亜依ちゃんが心配なんだよ? プライベートなんて言葉で煙に巻かないで」
「──亜依」
渋い声が割って入った。今日、はじめて口をきく貴臣のセリフだ。彼はテレビに傾注しながらも、私を鋭く眼差しているように思えた。
「3日後は必ず、一日空けておくんだぞ。日曜日な」
「6月9日……? あー──」
『18』の数字を頭に浮かべる。そう、記念すべき誕生日とされている日だ。詳細はサプライズに包まれているが、1週間程前にどこかに連れていってもらえるとは小出しにされていた。貴臣のセリフは、綿密な計らいに参じる私の顔面が寝不足では無礼だと、そう諌めるメッセージでもあるのだろう。
「ビッグスリープしとくわ。でもやっぱ、今日は外せないんだよね。明日から努めっから。ね、真美さん」
てん、てん、てん。真美は沈黙でありありと不服を醸している。こうなれば余計な刺激を与えないのが吉だ。そそくさと「ごちそーさま」で切り上げ、有言実行、皿洗いに転じる。
(あーあ、真美さんの心に負の働きかけが起きてたらどうしよ)
水に流してくれと願うばかりだった。
私はその後、終電を逃した場合の備えとして部屋のベッドの上に猫人形を寝かせておいた。──すべての身支度を整えて玄関へと立ったのだが、思いのほか、真美は心配を引きずっていなかった。「バスには間に合いそう?」と案じられたので、私は気兼ねなく首肯して──家を出るのだった。




