第9話 同じ制服
水野さんたちとの挨拶を終えると、そのまま僕の初日の仕事が始まった。
最初に苦戦したのは、ドリンクの蓋だった。真ん中を押すたびに反対側が浮き、もう一度押せば今度は別の場所が外れる。
「蓋は真ん中じゃなくて、端から押してみて。そう、ぐるっと一周」
久瀬さんに言われたとおり指を滑らせると、浮いていた蓋がカップの縁へ収まった。持ち上げても外れないことを確かめ、注文票の横へ置く。奥から届いたハンバーガーを水野さんがトレーへ載せれば、僕が作ったドリンクもちゃんと商品の一つに見えた。
「これで完成。じゃあ宮原、番号呼んでみようか」
カウンターの向こうへ声を出すと、窓際にいた男性が顔を上げた。受け取ったトレーを傾けないか見送っているうちに、隣から次の注文票が差し出される。
「初めてのお客さん、そんなに心配?」
水野さんは笑いながら、僕の前に空のカップを二つ並べた。
「いや、蓋が外れないかなって」
「大丈夫。ちゃんとはまってたよ。さっき私も見たから」
その言葉に少し肩の力が抜けたところで、自動扉が開く音が重なった。制服姿の集団に、スーツの男性たち。注文を待つ列が入口近くまで伸び、佐倉さんのレジから出てくる細長い紙が、台の上へ次々に増えていく。
久瀬さんが壁の時計を見た。
「もう混み始めたか。六時からの人、まだ来てないんだよな。水野は受け渡し、佐倉はそのままレジ。宮原、ドリンク続けられる?」
「はい」
「俺は奥入る。迷ったら呼んで。注文票は一枚ずつね」
奥ではフライヤーのタイマーが鳴り、佐倉さんの声と受け渡しの番号が交互に聞こえる。氷を入れたカップを置く場所が足りなくなり、僕は出来上がった分を水野さんの方へ寄せながら、次の紙へ目を移した。
コーラ二つ。片方だけ氷なし。
忘れないよう、空の方を手前に置く。そこへ奥から顔を出した久瀬さんが、カップの束を指した。
「それ終わったら、下の箱から補充頼める? 今すぐじゃなくていいから」
「大丈夫です」
久瀬さんが戻ると、カウンターの端で小さく手が上がった。子どもを連れた女性が、客席の方を困った顔で指している。
「すみません、ジュースこぼしちゃって。拭くもの、いただけますか」
「あ、はい。持っていきます」
布巾はどこだったか。背後の棚を振り返る間にも注文票が増え、何杯作ればいいのか分からなくなりそうで、僕は慌てて目の前へ視線を戻した。氷のないカップを持ち上げたものの、注ぐ機械のボタンの前で指が止まる。
「宮原くん、ドリンクお願い。お席は私が行くね」
水野さんが布巾を手に、女性へ声をかけた。
「お子さん、濡れてませんか? 大丈夫? じゃあお席、教えてください」
二人が客席へ向かうのを見ていると、佐倉さんがレジから僕へ顔を向ける。
「四十二番、飲み物できてる? バーガーは来てるから、それが揃えば出せるよ」
手の中のカップへコーラを注ぎ、蓋を押さえて台へ出す。佐倉さんが番号を呼んでくれて、僕はようやく、次の一枚を手前へ引き寄せられた。
戻ってきた水野さんが客席の様子を久瀬さんへ伝えると、久瀬さんは僕の横にしゃがみ、補充用の箱を開いた。
「さっきのカップ、こっちでやる。客席のことも呼んでくれればよかったよ。まだ場所も分かんないでしょ」
「すみません。持っていくだけなら、できるかなって」
「できるのと、今できるのは別だからね。今は飲み物だけで十分。助かってるよ」
新しいカップの束が僕の手元に置かれる。その向こうで水野さんが紙袋へドリンクを入れかけ、佐倉さんに止められた。
「結衣、それ四十五番。持ち帰りは四十六番」
「えっ、あ。ごめん! 数字、隣だった」
水野さんは袋からカップを戻し、僕の方へ目を向けると、口元だけで小さく笑った。
「今のは見なかったことにして」
「もう見ちゃったけど」
「じゃあ忘れて。初日に覚えること、多いでしょ?」
笑いそうになったところへ、また注文票が届く。今度はコーラとオレンジジュースを作りながら、奥から渡された紙袋を台へ置いた。
「佐倉さん、こっちの番号、呼んでもらえますか。飲み物、あと一つあるので」
「いいよ。できたらそこへ置いて」
返事を聞いてから最後のカップへ手を伸ばす。何度か押した指先は蓋の感触を覚え始めていて、もう真ん中を潰すことはなかった。
遅れていた店員が入る頃には、注文の列も短くなっていた。僕は残った一枚とトレーを見比べ、バーガー二つ、ポテト、ドリンクを揃えて受け渡し口へ出す。
番号を呼ぶと、女の子の手を引いた父親が近づいてきた。女の子はトレーを見るなり跳ね、「ポテト!」と父親の腕を引っ張る。二人が席へ向かい、台に残った注文票はなくなった。
「宮原くん」
水野さんに呼ばれて振り向くと、彼女が小さく拍手していた。
「お疲れさま。最後、ちゃんと頼めてたね」
「途中、全然追いついてなかったけど」
「私も番号間違えたし。あ、それは忘れるんだった」
「まだそんなに経ってないから」
「じゃあ明日までにお願い」
彼女につられて笑うと、さっきまで固まっていた頬が少し痛んだ。
九時に仕事を終え、制服へ着替えて外へ出る。夜風に当たっても、指先からは揚げ物の匂いがする。帰りの電車を調べようとスマホを出したところへ、後ろから声が届いた。
「宮原くん、お疲れ!」
振り返って、僕は水野さんの顔より先に襟元を見た。白いブラウスのリボンも、隣にいる佐倉さんのスカートも、毎日学校で見ているものと同じだ。
「同じ学校だったんだ」
「うん。今、制服見て分かった。私と真帆は同じクラスなんだけど、宮原くんは違うよね」
水野さんは、佐倉さんの隣から一歩こちらへ寄った。
「学校でも会えるね。あ、でも、私が注文間違えた話は広めないでよ」
「言わないよ。こっちの方が助けてもらったし。ありがとう、客席のやつ」
「どういたしまして。でも次は、無理になる前に言ってね。私じゃなくても、久瀬さんでも真帆でもいいから」
「そんなに分かりやすかった?」
水野さんは首を横に振り、僕を見上げて笑った。
「ううん。宮原くん、自分からは言わなそうだったから」
そのあと駅で二人と別れ、僕の初出勤は、思っていたより慌ただしく終わった。




