第8話 初対面
「宮原、今日ゲーセン寄らない?」
帰り支度をしていると、前の席から赤井が椅子ごと振り返った。
「悪い。今日からバイト」
「ああ、駅前のハンバーガー屋だっけ。じゃあ今日は無理か。何時まで?」
「九時」
「長っ。高校生の放課後じゃないだろ、それ」
こいつは赤井亮介。高校に入って同じクラスになった。席が近かったこともあって自然と話すようになり、今では昼を一緒に食べたり、帰りに寄り道したりしている。
高校一年の夏、僕は十六歳になっていた。
窓の外では運動部の掛け声が重なり、開け放した扉からは廊下を走る足音が聞こえる。部活には入らず、夏からアルバイトを始めることにした。特に欲しいものがあるわけじゃない。ただ、自分で使える金が少しくらい欲しい。
店を選んだのは、駅から近くて高校生可の文字があったからだ。応募の画面を開いたまま一晩置いたものの、翌朝には送信した。
「給料出たら何か奢って」
「なんで最初から赤井の分まで働くことになってるんだよ」
「じゃあ割り勘でいい。俺、優しいから」
「それ普通だから」
昇降口まで一緒に歩き、赤井とは校門で別れた。背中越しに「初日でポテトぶちまけるなよ」と余計な声が飛んできたので、振り返らずに手だけ上げる。
駅前へ着く頃には、シャツが背中へ張りついていた。
ハンバーガー店の自動扉が開くと、冷えた空気と一緒に、揚げたポテトと焼けた肉の匂いが流れてくる。客として入るときより照明が明るく感じられ、空いている席より、カウンターの中を行き交う店員ばかりが目についた。
入口の脇では、小さな子どもが頭上のメニュー写真を指差し、その横をトレーを持った家族が抜けていく。僕は注文待ちの列を邪魔しないようカウンターの端へ寄ったが、どこまで入っていいのか分からず、結局そこで立ち止まった。
レジの店員へ名前を伝えると、奥から紺色のキャップとエプロン姿の男が出てくる。
「宮原くん? 店長から聞いてる。俺、久瀬拓海。大学一年。今日は俺についてきて」
僕も簡単に名乗り、よろしくお願いしますと頭を下げた。
「そんな固くならなくていいよ。初日は分かんないのが普通だから。分かったふりだけしなければ大丈夫」
久瀬さんはそう言いながら、カウンター脇の細い通路へ入っていく。僕も続いたが、正面から商品を載せたトレーを抱えた店員が現れ、慌てて壁へ身体を寄せた。
「そこ、よく人が出てくるから気をつけて。あと今の人みたいに両手が塞がってる方が優先ね」
「はい」
「よし。じゃ、行こっか」
久瀬さんの後を追う。フライヤーのタイマーが鳴った。受け渡し口では注文番号が呼ばれ、別の店員が紙袋を抱えて通路を横切っていく。何を覚えるより先に、邪魔にならない場所を覚えた方がよさそうだった。
従業員用の更衣室で紺色のポロシャツに着替え、キャップをかぶって腰へエプロンを巻く。胸につけた研修中の名札は、鏡で見ると少し傾いていた。直しているうちに今度はエプロンの紐が緩み、結び直して更衣室を出た頃には、久瀬さんが壁にもたれて待っている。
「初日はみんなそんな感じ。俺は名札を上下逆につけたから、それよりは大丈夫」
笑っていいのか迷っていると、「そこは笑うところ」と言われた。
それからカウンターの内側を一周し、カップの置き場、ドリンクを作る場所、出来上がった商品を受け取る台を教わる。全部を一度で覚えようとして視線を動かしていると、久瀬さんが僕の前で指を一本立てた。
「今日覚えるのは、呼ばれたら返事することと、分からなかったら聞くこと。それ以外は働いてればそのうち入る」
「でも、置き場くらいは――」
「覚えられるなら覚えていい。ただ、分かったふりして違う注文を渡す方が困るからね」
言い返すつもりはなかったのに、先回りされた。僕が口を閉じると、久瀬さんは少し笑って、休憩室と書かれた扉を開ける。
「その前に、同じ時間に入る二人を紹介しとく」
休憩室には、同じ年頃の女子が二人いた。
一人はロッカーの前に立ち、細長い紙を見ながら、机の前に座ったもう一人と話している。
「だから結衣、来週の火曜。私が五時からで、そっちは六時」
「分かってるって。真帆は私が遅刻すると思ってるでしょ」
「先週したから言ってるの」
「あれはバスが――あ、久瀬さん」
椅子に座っていた女子がこちらを見た。黒い髪が肩の上で揺れ、手にしていた紙パックのストローから口が離れる。
「水野、佐倉。今日から入る宮原悠人。宮原、こっちが佐倉真帆で、座ってるのが水野」
ロッカーの前にいた佐倉さんが軽く頭を下げた。その隣の水野さんと目が合うと、彼女は大きく目を見開き、そのまま僕を見つめていた。
次の瞬間、水野さんは椅子から勢いよく立ち上がった。
その表情が、みるみる笑顔に変わっていく。
「水野結衣です!よろしくね、宮原くん」




