第16話 来てほしい場所
高校二年の文化祭。開場前の二年三組で、赤井が僕のパンフレットを覗き込んでいた。
二年三組の出し物はお化け屋敷だった。教室を黒い布で囲い、使われなくなった学校という設定で、僕は午前十時半から入口の受付を担当する。その奥では、白い絵の具を顔に塗った赤井が、骨の折れた傘を何度も開いていた。
「十一時半から仕掛け増やすから、受付終わったら一回入ってみろよ。傘、天井に引っかからなくなったから」
「昨日は引っかかってたの?」
「本番前に直ったなら問題ないだろ。最後の部屋、俺が一番手かけたんだから絶対見ろよ」
赤井が僕のパンフレットへ赤い丸をつけたところで、教室の外から名前を呼ばれた。
廊下には結衣と真帆が立っていた。二人の首から下がった札には、青い星と『二年一組プラネタリウム』の文字が描かれている。
「悠人、十一時半って空いてる? 私、その回の案内をするんだけど」
結衣は首から下げていた青いペンを外し、自分たちのクラスの十一時半へ丸をつけた。
結衣が僕のパンフレットを覗き込み、赤井のつけた丸を見つける。赤井も教室から顔を出し、白塗りのまま傘を肩へ担いだ。
「悪い。その時間、こいつはうちの最恐回を見る予定」
「最恐回って、赤井くんが脅かすやつ?」
「そう。今なら特別に、こいつも白くしてやるけど」
「それは遠慮する。見つけにくくなるから」
結衣は笑ったあと、同じ時刻についた二つの丸へ目を落とした。指先が少し動いたものの、どちらも隠さず僕へパンフレットを向ける。
「私は、その回に来てほしい。悠人はどっちに行きたい?」
赤井の傘は、骨の先まで新聞紙と黒い糸で作り直されていた。準備中から何度も見せられた仕掛けが、本番でどうなるのかは気になる。
それでも、星の札を指で押さえている結衣を見ていると、答えは決まった。
「受付が終わったら、一組に行く。赤井、悪い。最後の部屋は見られない」
「そっか。まあ、お前が決めたなら仕方ないけど……写真は送る。見てから後悔しろよ」
残念そうに傘を閉じた赤井へ謝ると、結衣は何か言いかけて口を閉じた。
「じゃあ十一時半。待ってるね」
嬉しそうな顔は隠さなかったが、赤井のつけた丸を消すようには言わず、真帆と自分たちの教室へ戻っていった。
文化祭が始まると、廊下はすぐに人で埋まった。僕は受付机で整理券を渡し、教室の中から悲鳴が上がるたび、次の組を黒いカーテンの前へ案内する。赤井は一度驚かせるごとに出口から戻ってきて、白い顔のまま水を飲んだ。
十一時二十分、交代のクラスメイトへ残りの整理券と注意事項を渡す。奥では赤井が傘を開き、入口からでも分かるくらい大きく振った。
「まだ間に合うぞ」
「もう行くって伝えたから。またあとで」
「はいはい。終わったら感想聞かせろよ。見てなくても」
教室を出ると、廊下の反対側まで伸びた列の先に、一組の青い看板が見えた。窓を黒い紙で覆った教室からは音楽が漏れ、入口の机では結衣が整理券と人数表を交互に見ている。
「十一時半の券、持ってる人はこちらです! 前の回が少し遅れてるので、もうちょっとだけ――」
声を張りながら僕を見つけると、一瞬だけ表情が明るくなる。しかしすぐ後ろの客から質問され、また人数表へ顔を戻した。
「結衣、案内するんじゃなかった?」
「する予定。前の回で投影機が止まって、真帆たちが直してるの。入口の交代も中へ入っちゃったから、ここを空けられなくて」
机の下には、封を切っていない飲み物と昼食の袋が置かれていた。整理券を持った客がまた増え、結衣は僕へ謝る暇もなく列の端へ走る。
ちょうど黒いカーテンの隙間から、星を貼った段ボールを抱えた男子が出てきた。
「中に佐倉さんいる? 結衣の交代、来てないって伝えてくれる?」
男子が中へ戻ると、すぐに真帆が顔を出した。額へ青い星のシールがつき、片手には工具箱を持っている。
「結衣、まだここにいたの?」
「だって誰も来ないから。今抜けたら、次の回の人どこに並ぶか分かんなくなるでしょ」
「交代の子、投影機の方へ呼ばれてた。もう直ったから戻すよ。結衣は水飲んで、案内の準備して」
真帆が教室の中へ声をかけると、別の女子が慌てて入口へ出てきた。結衣は人数表を渡し、僕へ向き直る。
「ごめん。せっかく来てくれたのに、全然話せないかも」
「話しに来たんじゃなくて、結衣の案内を聞きに来たんだけど」
結衣は持ち上げた飲み物の蓋を開け損ね、指を滑らせた。笑ってごまかしながら両手で開け直し、半分ほど一気に飲む。
「それなら、ちゃんと聞いてて。途中で噛んでも笑わないでよ」
「噛む予定あるの?」
「ないけど。さっきまで入口にいたから、星の名前が全部飛んでるかもしれない」
十一時半の回が始まり、十二人の客と一緒に暗い教室へ入った。壁際へ寄せた机の上には黒い布が天井のように張られ、そこへ散った小さな光がゆっくり回っている。僕が端の椅子へ座ると、前方の明かりが消え、結衣の声だけが教室に残った。
最初の案内では、星座を一つ先に紹介してしまった。結衣は少し黙ったあと、「今の星は、先に出たがったみたいです」と続け、客席から小さな笑いが起きる。そのまま声の調子を取り戻し、夏の夜空から秋に見える星へ話をつないでいった。
白い点が天井を渡るたび、入口で走っていた結衣とは別の顔が浮かぶ。最後に教室が暗くなり、出口の案内が始まるまで、僕は一度も時計を見なかった。
閉場後、片づけを終えた結衣と階段の踊り場で待ち合わせた。窓の向こうでは、校庭の模擬店がテントを畳み始めている。
「今日はごめんね。来てって言ったのに、話せたの入口だけだった」
「案内は聞けたよ。星、先に出てたけど」
「忘れて。あれは演出だから」
結衣は笑ってから、僕の隣へ並んだ。
「赤井くんの方は?」
「見られなかった。ちょうど同じ時間だったから」
「見たかった?」
「見たかったよ。でも今日は、結衣のところに来るって決めたから」
結衣はすぐに喜ぶ言葉を返さなかった。手すりへ背中を預け、少しだけ校庭を見る。
「そっか。じゃあ、写真が来たら私にも見せて。悠人が見られなかった分まで、ちゃんと見るから」
そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。
赤井から届いた写真には、白い顔で傘を振り上げた本人と、天井から半分落ちた黒い布が写っていた。続けて、『傘は成功。天井は失敗』と送られてくる。
『写真だけでも十分怖い。見られなくて悪かった。明日、最初から聞かせて』
送信すると、すぐに『昼飯おごりで許す』と返ってきた。
「卵焼き一個で交渉してみたら?」
画面を覗いた結衣が笑う。
「それは前に取られたことあるから、たぶん通じない。……結衣、次の日曜は空いてる?」
「午後なら。どこか行きたいところあるの?」
「本物のプラネタリウム。今日の続き、今度は隣で見たい」
結衣は一度目を丸くし、それから僕の肩へ軽くぶつかった。
「それ、今日のが偽物だったって言ってる?」
「そういう意味じゃないよ」
「分かってる。次の日曜ね。今度は途中で時計見てもいいから」
「今日も見てないけど」
「……それ、先に言ってよ」
結衣は困ったように笑いながら、スマホの予定へ次の日曜を入れた。




