第14話 その日の予定
バックヤードの壁に、翌週のシフト表が貼り出されていた。
休憩に入るためバックヤードへ戻った僕が自分の名前を探すと、次の日曜は空欄になっている。水野さんと見逃した映画はまだ上映中だったが、次に行く日は決めていなかった。
スマホを取り出しかけたところで、久瀬さんの声が店内から飛んできた。
「宮原、ちょっといい?」
カウンターへ戻ると、昼の混雑が過ぎた客席では数組が遅い昼食を取っていた。水野さんはフライヤーの前でポテトを袋へ入れ、佐倉さんが受け渡し口に立っている。
久瀬さんは注文票をまとめながら、僕へ顔を向けた。
「来週の日曜、十一時からラストまで出られない? 森田さんが家の用事で休みになって、人が一人足りないんだ」
その日は予定がない。口を開いたとき、フライヤーの金属音より早く水野さんの声が飛んできた。
「その日は宮原くん、無理です」
久瀬さんだけでなく、佐倉さんまで振り返る。
水野さんはポテトの袋を持ったまま、僕を見ていた。さっきまで忙しなく動いていた手が止まり、袋の口から一本だけ傾いている。
「別に、出られるけど」
僕が答えると、水野さんの眉が寄った。
「でも今週も結構入ってたよね。それに、夏休みの課題まだ終わってないって言ってたじゃん。だから日曜まで入れたら――」
「水野」
久瀬さんが、注文を待つ客の方へ目をやった。
「ポテト、先に渡して。宮原の予定は宮原に聞くから」
「……はい」
水野さんは袋を閉じ、佐倉さんのトレーへ置いた。けれどフライヤーへ戻っても、こちらを気にしているのが横顔で分かる。
「急だから、すぐ決めなくていい。休憩中に考えて、上がるまでに返事くれればいいよ」
久瀬さんが持ち場へ戻る。僕もドリンクの補充へ向かったが、水野さんが横からカップの箱へ手を伸ばし、二人の指が同じカップに触れた。
普段なら、どちらかが冗談を言って離す。今日は水野さんが先に手を引いた。
「さっきは、その……勝手に言ってごめん。でも、本当に日曜はやめた方がいいと思う」
「どうして?」
「だから、ずっとシフト入ってるし、課題もあるし。宮原くん、頼まれたら大丈夫って言うでしょ」
「言うかもしれないけど、まだ何も答えてないよ」
「だから答える前に――」
言葉を止めた水野さんの手で、薄い紙カップが少しへこんだ。
「……ごめん。今のも違うね」
「心配してくれるのは分かる。でも、出るかどうかは僕に聞いてほしい」
水野さんは何か言おうとして、客席から上がった呼び声へ顔を向けた。佐倉さんがこちらを見て、空いたカップを指す。
「二人とも、続きはあとで。ドリンク止まってる」
水野さんが潰しかけたカップを脇へ避け、僕は新しいものを補充した。それから店が落ち着くまで、僕たちは必要なことしか話さなかった。
休憩室へ戻り、壁のシフト表をもう一度見る。来週は平日に二日、土曜にも入っている。日曜まで加えれば週四日になるうえ、机には手をつけていない課題が残っていた。
それでも人が足りないと聞けば、断るのは少し悪い気がする。
シフト表の横に貼られた連絡用の紙には、久瀬さんの名前が何度も追加されていた。僕が入らなければ、また久瀬さんが長く残るのかもしれない。
休憩が終わって店へ戻ると、久瀬さんはカウンターの端でレシート用紙を替えていた。
「さっきの日曜なんですけど」
「うん」
「今週は続けて入ってるし、課題も残ってるので、今回は無理です」
久瀬さんは新しいロール紙を収め、蓋を閉じた。
「了解。急に頼んで悪かった。別の人にも聞いてみる」
それだけ言って、久瀬さんは次の作業へ戻った。
水野さんは客席のテーブルを拭いていた。僕が断ったことは聞こえていたはずなのに、こちらを見なかった。
夕方から客足が戻り、話す間はなかった。水野さんが飲み物を運び、僕が空いたトレーを下げる。すれ違えば道を譲り、必要なものは渡すのに、目が合う前にどちらかが別の方を見る。
仕事が終われば、またメッセージを送ればいい。今日は遅いから、明日の学校でも話せる。
そう考えているうちに退勤時間になった。
着替えて休憩室を出ると、水野さんはもう店の外にいた。ガラス越しに見える背中が、駅へ続く歩道へ向かっていく。
スマホを出せば、今からでも何か送れる。けれど、数歩先にいる相手へ文字を打つのは違う気がした。
「水野さん」
自動ドアを抜けて呼ぶと、彼女は足を止めた。振り返った顔には、いつもの笑い方を作りかけた跡が残っている。
「お疲れさま。宮原くん、明日も学校だし、早く帰った方が――」
「少しだけ話したい」
水野さんは改札の方を見てから、店先の壁際へ戻った。夕方の熱が舗道に残り、店の排気口から揚げ物の匂いが流れてくる。
「さっきのこと、僕も怒りたかったわけじゃないんだ」
「うん。でも、勝手に答えたのは私だから。宮原くんが出るって言いそうだと思って、止めなきゃって……それで、先に言っちゃった」
「やっぱり、日曜に入ってほしくなかった?」
「入ってほしくなかった」
水野さんは迷わず答えたあと、続く言葉を探すように鞄の持ち手へ指を絡めた。
「でも、私が決めることじゃなかった。ごめん」
僕が何も言わずにいると、彼女は少しだけ視線を上げる。
「怒ってる?」
「もう怒ってない。心配してくれたのも分かってる。ただ、次は先に僕に聞いて」
「……うん。聞く。宮原くんが変な返事したら、そのあとで文句言う」
「それは言うんだ」
「言わないとは約束してないから」
ようやく片方の口角が上がった。いつもの笑い方を見て、僕も肩の力を抜く。
「それで、日曜なんだけど」
笑いかけていた水野さんの表情が止まる。
「シフトは断ったけど、一日中課題をするわけじゃないし。前に見られなかった映画、まだやってるよね」
「やってる。夕方の回なら、まだ席も――」
そこまで言って、水野さんは口を閉じた。
「調べてたの?」
「ちょっと見ただけ。まだ何も決めてないよ。さっき宮原くんに聞くって約束したから」
彼女は鞄から出しかけたスマホを、そのまま僕へ向ける。
「日曜、私と映画に行きたい?」
水野さんが僕の返事を待っている。
「行きたい。今度は映画を見たいし、そのあとも水野さんとどこか行きたい」
水野さんは僕を見たまま、しばらく動かなかった。
それからスマホを握り直し、今度は隠さず笑った。
「うん。じゃあ、その日は絶対空けておく」




