第12話 青いリュック
昼どきの店内では、注文番号を呼ぶ声が途切れなかった。
「三十二番でお待ちのお客様」
僕がトレーを受け渡し口へ出すと、番号札を持った客が人の間を抜けてくる。隣では水野さんがレジに立ち、次の注文を聞いていた。
窓際の席にいた男の子が、青いリュックを背負ったまま、玩具のバスをガラスに沿わせて走らせていた。外を本物の路線バスが通ると、小さなバスも同じ向きへ曲がる。母親らしい人が番号札を見て席を立ち、男の子に何か言うと、彼は玩具を持ったまま頷いた。
水野さんは番号札を僕へ渡し、袋を持ち直した。自分の手が空くと、もう一度窓際へ目をやる。
「あの子、さっきからずっとバスを見てるね。うちのハンバーガーより夢中」
「まだ食べてないんじゃない?」
「そっか。じゃあ、出来たてが来たらこっち向いてくれるかな」
番号を呼ぶと、さっきの母親が人の間を抜けてきた。僕は飲み物を渡し、次の注文へ向き直る。窓の外では白い配送車が角を曲がって店の脇へ入り、男の子の玩具も、ガラスの端までそれを追った。
次の客へ飲み物を渡したところで、受け渡し口の前から女性の声が上がった。
「すみません、ここにいた子、見ませんでしたか。青いリュックの……五歳の男の子です」
窓際の席は空いていた。トレーだけがテーブルに残り、椅子には子どもの飲みかけのジュースが置かれている。
久瀬さんがカウンターを出て、女性と目線を合わせた。
「いつからいないか分かりますか。佐倉はお母さんと一緒に席の周りを見て。俺はトイレと出入口を確認する。宮原、水野、外を頼む。見つけたら先に声をかけて、必ず知らせて」
佐倉さんは女性に服の色を聞きながら客席の奥へ向かう。僕は水野さんと自動ドアを抜け、ロータリーへ出た。バス停へ急ぐ人たちの足の間に青い色を探すが、見当たらない。
さっき、男の子が見ていた方向へ顔を上げる。配送車の入った脇道は店の角の向こうだ。
「あっち、見てくる」
水野さんはすぐ僕の隣へ来た。
「私も行く。宮原くん、車の出入りがあるから、先に子どもを呼んで」
角を曲がると、建物沿いの細い歩道の先で、配送車が荷物を下ろす場所へ向けてゆっくり後退していた。断続的な電子音が鳴り、その後ろ、僕たちから十歩ほど先で、青いリュックがかがんだ。
男の子の手から落ちた玩具が、歩道の縁を越えて車の後ろへ転がっている。
「危ない、戻って!」
僕の声に男の子は振り向いた。それでも足は玩具の方へ出る。運転席は車の向こう側で、小さな身体は荷台の陰に隠れていた。
「宮原くん、待っ――」
水野さんの声を背中で聞いたときには、もう走り出していた。
「悠人!」
男の子が玩具を拾い上げたところで、歩道から身を乗り出し、その腕を掴む。ぐっと引き寄せた拍子に、自分の肩が建物の壁へ当たった。男の子と一緒に歩道へ倒れ込むと、手を離れた玩具のバスが足元を転がった。
水野さんが車へ向かって両手を上げた。
「止まってください! 子どもがいます!」
電子音が切れ、配送車が止まる。運転手が降りてきたが、僕にはまだ足元の男の子しか見えなかった。泣き出した顔を見て、ようやく自分の手がその腕を強く握っていることに気づく。
「ごめん、痛かった?」
男の子は首を振った。水野さんがしゃがみ込み、肩についた砂を払う。
「お母さん、探してるよ。歩ける? ……宮原くんも、どこかぶつけた?」
「肩だけ。平気」
「腕、見せて」
右の肘から手首へ、壁で擦った跡があった。皮膚に赤い筋が走り、触るとひりつく。僕が袖で隠そうとすると、水野さんに手首を押さえられた。
店から久瀬さんと母親が出てきた。男の子は母親の姿を見た途端、僕のそばから立ち上がって駆け寄る。母親は膝をつき、青いリュックごと抱きしめた。
「どこ行ってたの! もう、いなくなったかと思った……」
「バス、落としちゃった」
男の子が持ち上げた玩具の車輪には、細かな砂がついている。久瀬さんは運転手に状況を確かめ、母親には店内で休めるよう声をかけた。僕らも戻ろうとしたが、水野さんはまだ手首を放さない。
「水野さん?」
「その腕、先に洗おう」
手を引かれ、店の裏手へ回る。水道の水が傷に当たると、肩より腕の方が痛いと分かった。休憩室へ戻ると、水野さんが救急箱を持ってきた。
「店長には俺から話す。二人とも、少し休んで。宮原、気分が悪くなったらすぐ言って」
「はい。すみません、仕事中に」
「それは今いい。佐倉が受け渡しに入ってる」
久瀬さんは僕たちの返事を待たず、店へ戻った。扉の向こうでは、佐倉さんが注文番号を呼んでいる。水野さんは救急箱を開けたまま、僕の腕から目を離さなかった。
「自分で貼れるよ」
絆創膏を取ろうとすると、水野さんが箱を引き寄せた。
「貼れるのは知ってる。ちょっと待って、傷より手、先に拭かないと」
消毒用のシートを一枚出して、僕の手のひらについた砂を拭う。指の付け根まで確かめてから腕へ移り、絆創膏の端を何度か指で押さえた。
「ほんと、びっくりした。腕だけで済んでよかった」
水野さんは使い終わったシートを丸め、救急箱の脇へ置いた。
「宮原くんが走っていったとき、ちょっと怖かった」
「ごめん」
「謝らなくていいよ。あの子、助かったんだし」
そう言いながら、水野さんはもう一度僕の腕を確かめ、使い終わったシートを捨てに立った。壁にぶつけた肩も、動かせないほどじゃない。それなのに、水野さんの方がまだ落ち着いていなかった。
「子ども、店に戻ってた?」
「うん。お母さんと座ってる」
「そっか」
少し間を置いて、水野さんを見る。
「……さっきはごめん。びっくりしたよね」
「うん。ちょっとね」
水野さんは少し困ったように笑い、スマートフォンを開いて僕へ差し出した。
「連絡先、交換していい? 今日帰ってから、その腕がどうなったか教えて」
「絆創膏一枚で済んだのに?」
「済んだかどうか、今決めないで。痛くなったらちゃんと教えてよ」
僕もスマホを出し、連絡先を交換した。画面に水野さんの名前が表示される。学校でも店でも会う相手なのに、それだけで少し距離が縮まった気がして、すぐには画面を閉じられなかった。
水野さんが僕のスマホを覗き込む。
「宮原くん、変な名前で登録してないよね?」
「してないよ。見てみる?」
「やめとく。もし変だったら、今ちょっと怒れる自信ないから」
水野さんはそう言って笑い、スマートフォンを鞄へしまった。
「家に着いたら、一応連絡して。腕、あとから痛くなるかもしれないし」
「分かった」
「忘れないでよ」
念を押してから、水野さんはようやく救急箱を閉じた。




