07.
お礼を持っていこう、とトーコが言い出したのは、義手が完成した翌々日のことだった。
ミリアが午前の診察の記録をまとめながら、顔を上げた。
「八宝斎さんへですか」
「義手の件でお世話になりました。それ以前も、ずっと器具を作ってもらっているので」
「一緒に行っていいですか」
「どうぞ」
ミリアが嬉しそうに立ち上がった。ガルドが薬棚から振り返る。
「午後の診察は?」
「今日は予約が少ないので、早めに戻ります」
「……まあ、たまには出かけてこい」
ガルドがぽつりと言った。
トーコは少し、口元を緩めた。
◇
路地の奥の工房は、今日も看板が出ていた。
【魔道具工房・八宝斎】
扉を開けると、相変わらず部品と道具が所狭しと並んでいる。今日は作業台の上に、見たことのない形の魔石が広げられていた。
「あ、トーコちゃん」
奥から緋色の髪が現れた。エプロンが今日も汚れている。手に小さな工具を持っていた。
「お礼に来ました」
トーコが包みを差し出す。デッドエンドで評判の菓子屋の焼き菓子だ。
「わあ」
八宝斎が目を輝かせた。
「ありがとう。食べてもいい?」
「どうぞ」
「やった」
包みを開けながら、八宝斎がミリアに気づいた。
「あれ、新しい子?」
「ミリアといいます。治療院でお手伝いをしています」
「ミリアちゃんか。私は八宝斎。よろしくね」
「よろしくお願いします……あの、八宝斎さんって、変わったお名前ですね」
「そう? まあ、本名じゃないからね」
八宝斎がにこにこしながら焼き菓子を一つ口に入れた。
◇
作業台の端に腰かけながら、ミリアがおずおずと聞いた。
「あの……先生と八宝斎さんって、どうやって知り合ったんですか」
「街で偶然」
トーコが答えた。
「デッドエンドに来てすぐの頃、市場を歩いていたら声をかけられました」
「私がね、トーコちゃんを見つけたの」
八宝斎が補足した。
「なんか、ぼーっと市場を歩いてる子がいて。あ、この子前世あるな、って思って」
ミリアが首を傾げた。
「前世……?」
「うん。同じ匂いがするんだよね。なんとなく」
「匂いって、どういう」
「説明が難しいんだけど」
八宝斎が少し考えた。
「この世界の人じゃない感じ、かな。見るものの目線が、ちょっとずれてるというか。市場の品物を見るとき、別の何かと比べてる目をしてる」
トーコが静かに頷いた。
「私も、八宝斎を見てそう思いました。この人は前世がある、と」
「で、話しかけたら当たりだった」
八宝斎がにこっと笑った。
「日本人同士だったし、時代もそんなに離れてないし。話が合いすぎて、二人でちょっと笑った」
「日本……?」
「ミリアちゃんには、わからないかな」
八宝斎が言った。
「遠い遠い、別の世界の話。私たち、そこから来たの」
ミリアが、トーコと八宝斎を交互に見た。
「……ふたりとも、ですか」
「うん」
「だから、あんなに気が合うんですね」
八宝斎がまた焼き菓子を一つ口に入れた。
「そういうこと。トーコちゃんと話してると、説明しなくていいことが多くて楽なんだよね。前提が同じだから」
◇
「そういえば」
八宝斎が立ち上がり、棚の方へ向かった。
「ちょうどよかった。見せたいものがあったんだ」
棚の奥から、小さな箱を取り出した。開けると、中に細い針が並んでいる。透明な管のついた器具も入っていた。
「じゃーん」
トーコが箱を覗き込んだ。
一瞬、目が止まった。
「……これ」
「縫合針とシリンジ。使い捨てタイプ」
「作れたの」
「作れた。素材に悩んだんだけどね。プラスチックは無いから、代わりにダルタ草の繊維から取った樹脂を使ってる。固めると透明になるし、ある程度の強度も出る。使い終わったら燃やせる」
トーコが針を一本取り出し、光に透かして見た。
細い。薄い。断面が整っている。これだけの精度を、この世界の素材で出すのは並大抵のことではない。
「すごい」
「そう? えへへ」
「いくらですか」
「お代はいいよ。試作品だし、使ってみてフィードバックが欲しいだけ」
「対価は必要です」
「トーコちゃんは相変わらずだなあ」
八宝斎が苦笑いした。
「じゃあ、使い心地を教えてくれたら。それで十分」
「わかりました」
ミリアが、針とシリンジを交互に見ていた。
「あの……これ、使い捨てなんですよね」
「そう」
「なぜ使い捨てにするんですか。もったいなくないですか」
トーコが振り返った。
「衛生の問題です」
「衛生……?」
「一度使った針には、患者の血液や体液が付着します。どれだけ洗っても、目に見えない汚れが残る。その針を別の患者に使えば、病気が移ることがあります」
ミリアが少し、顔を顰めた。
「目に見えない、汚れ……」
「菌といいます。非常に小さな生き物で、傷口や体内に入ると感染症を引き起こします。一度使った器具には、その菌が残りやすい」
「で、それを防ぐために使い捨てにする」
「そうです。シルフィの結界も同じ理由で使っています。処置中に周囲の菌が入ってこないようにするために」
ミリアが、しばらく黙って考えた。
「……この世界の治癒師は、そういうことを考えないんですか」
「治癒魔法で大抵の感染は抑えられるので、考える必要がなかったんだと思います。でも私は魔法が使えないので」
「だから、別の方法で考えた」
「そういうことです」
八宝斎が、お茶を二人分入れながら言った。
「トーコちゃんの考え方って、根本が違うんだよね。魔法でなんとかする、じゃなくて、なんとかなる仕組みを作る」
「八宝斎の作り方も同じでしょう」
「そうかな」
「魔道具に頼るんじゃなくて、使いやすい仕組みを設計している。義手もそう」
八宝斎がちょっと照れた顔をした。
「……そう言ってもらえると、嬉しいな」
◇
お茶を飲みながら、ミリアがふと聞いた。
「八宝斎さんって、引退してるって聞いたんですが」
「うん。昔はあちこち旅してたんだけど、今はここに落ち着いてる」
「なぜデッドエンドに?」
「ダーリンが、ここに住んでるから」
八宝斎がふわりと笑った。
「ダーリン?」
「旦那さん。ここを離れたくないって言うから」
「じゃあ、八宝斎さんが合わせたんですか」
「うん。私はどこでも作れるし、ここにいる理由もできたし。ちょうどよかった」
ミリアが、少し目を丸くした。
「……すごいですね。それ、全然迷わなかったんですか」
「全然」
八宝斎があっさりと言った。
「前世でいろいろあって、この世界に来て、やっと好きな人ができたんだもん。手放す理由がない」
ミリアが少し、考えるような顔をした。
トーコはお茶を一口飲んだ。
「……ラブラブだもんね、ふたり」
「トーコちゃん、それ言うとき絶対顔が引いてる」
「引いていません」
「引いてるって。ダーリンに会わせたいな、今度」
「今度にします」
「えー」
八宝斎がぷっと笑った。
◇
工房を出たのは、昼過ぎだった。
路地を歩きながら、ミリアがぽつりと言った。
「八宝斎さん、なんか……幸せそうですね」
「そうですね」
「先生とも、仲いいし。ああいう友達って、いいなあ」
トーコは少し、八宝斎の工房を振り返った。
この世界に来て、最初に見つけた同じ匂いの人間。説明しなくていい前提が同じ人間。話が合いすぎて、二人で笑ったあの日のことを、今でもよく覚えている。
「いい友人です」
「先生が、そんなふうに言うの、珍しい」
「そうですか」
「なんか、嬉しいです。先生にも、そういう人がいるんだなって」
トーコは何も言わなかった。
肩の上でシルフィが「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
——温かい、と思った。
治療院への道を、二人で歩いた。




