08.
朝の診察が始まる前に、ガルドが渋い顔で入ってきた。
「先生、少し聞いてくれ」
「どうぞ」
「天導協会が、お前のことを問題視しているらしい。街で噂になっている」
トーコは器具の確認をしながら、答えた。
「そうですか」
「そうですか、じゃないだろう」
ガルドが眉を寄せた。
「義手の件もある。協会の聖女が手を出して、結局こっちに泣きついてきたあの件だ。面子を潰された、と思っているかもしれん」
「潰したつもりはありませんでしたが」
「お前がそのつもりでなくても、相手はそう受け取る」
ミリアが記録を抱えながら、二人の顔を交互に見た。
「……来ますかね、ここに」
「来るでしょう」
トーコが静かに言った。
「来たら、話をします」
◇
昼過ぎ、白い法衣を纏った男が二人、治療院の戸を開けた。
法衣の胸元に、天導協会の金の紋章が光っている。一人は四十代ほどの、顎の張った男。もう一人は若い書記らしく、羊皮紙を抱えている。
「トーコ先生とお見受けします」
顎の男が言った。丁寧な口調だが、目が笑っていない。
「天導協会、王都本部より参りました。ハルデン審問官と申します」
「どうぞ」
トーコは二人を待合室に通した。患者たちが、さっと気配を察して端に寄る。
「単刀直入に申し上げます」
ハルデンが続けた。
「無紋・無免許の者が医療行為を行っているとの報告を受けました。我々天導協会は、この国における治癒行為の許認可を担っております。免許なき者の治療行為は、患者を危険に晒す恐れがある」
「承りました」
「また、先日の件についても確認が必要です。我々の聖女が治癒を行った患者に対し、あなたが切断処置を施したと聞いています。治癒によって再生した腕を、わざわざ切り落とした」
「記録があります」
トーコは棚からカルテの束を取り出した。
「確認されますか」
ハルデンが少し、眉を動かした。
◇
「私が治療した患者の記録です」
トーコはカルテを一枚ずつ、静かに説明した。
「治療前の状態、問診の内容、血液検査の結果、魔力視による診断、処置の内容、術後の経過。全患者分、あります」
ハルデンが羊皮紙を手に、記録を眺めた。
「……詳細な記録だ」
「患者の体で何をしたか、なぜそうしたか。全部残しています」
「しかし、これは免許の問題であって——」
「一つ確認させてください」
トーコが口を開いた。
「天導協会の免許は、何に対して発行されるものですか」
「治癒行為に対して、です。当然のことながら——」
「治癒魔法を用いた行為に対して、ではないですか」
ハルデンが止まった。
「協会に所属するのは、聖女と治癒魔法紋を持つ者です。免許の制度は、魔法を行使する者のために作られている。私は魔法を一切使っていません。魔力がゼロですから」
トーコは続けた。
「血液検査は薬草の試薬と器具を使います。縫合は針と糸です。魔道具の義手は、魔道具師が作ったものです。どれも魔法ではない。協会の管轄する『治癒行為』に、どう該当しますか」
ハルデンが口を開き、閉じた。
書記が羊皮紙に何かを書きつけるのを止めた。
「義手の件も同様です」
トーコはカルテを一枚取り出した。
「聖女による治癒魔法が、細胞促進の暴走を引き起こしました。魔力視で暴走の境界を特定し、正常組織を残して切除しました。これはあなた方が治癒を断った後の話です。記録に日時も残っています」
「……それは」
「邪道かどうかは、患者が判断することです。私は結果を出しています」
待合室が、しんと静まり返っていた。
◇
ハルデンが少し間を置いてから、言った。
「理屈はわかりました。しかし協会としては、前例のない医療行為が横行することを、看過するわけにはいかない。一週間以内に活動を自粛していただくよう、求めます」
その瞬間、待合室にいた患者の一人が立ち上がった。
鉱夫の男だ。大きな体で、ハルデンの前に立った。
「自粛、というのは、先生が診てくれなくなる、ということか」
「それは……患者の方が口を挟む話では——」
「俺はここで診てもらって、治った」
男が低い声で言った。
「五年間、腕が曲がったまま仕事してた。治癒魔法で治したはずなのに、ずっと痛かった。先生に診てもらって、初めて原因がわかって、初めて治った」
別の患者が立ち上がった。
「私の子供も、ここで助けてもらいました」
また一人。
「俺もだ」
また一人。
待合室の患者が、一人ずつ立っていく。
ミリアが記録の束を胸に抱えて立った。
「この記録、全部先生が治した患者さんのものです。一人ひとりの名前と、何がどう治ったか、全部入っています」
ガルドが腕を組んで立った。
「邪道と言うなら、邪道で結構だ」
ハルデンが、部屋を見回した。
白い法衣の男が、言葉を失っていた。
そのとき、戸が開いた。
◇
ライナルトだった。
鎧姿で、静かに入ってくる。視線がハルデンに向いた。
「何の話をしている」
「ライナルト辺境伯閣下……」
ハルデンが姿勢を正した。
「この治療院の活動について、協会として自粛を求めに参りました」
「私が認めている施設だ」
ライナルトが静かに言った。
「この街の医療を担っている。辺境伯として、その活動を支持する」
「しかし協会の規定では——」
「協会の管轄は魔法を用いた治癒行為だ。ここで行われているのは魔法ではない。管轄外の話に、協会が口を挟む根拠はあるか」
ハルデンが言葉に詰まった。
書記が、また羊皮紙に書くのを止めた。
そこへ、もう一人、戸が開いた。
緋色の髪。丸い目。ただし今日はエプロンではなく、深緑の上質な外套を着ていた。いつものぽわぽわした雰囲気はそのままだが、どこか違う。
「あれ、なんか揉めてる」
八宝斎が、のんびりした声で言った。
「八宝斎さん」
ミリアが言った。
「ちょうど近くにいたから来てみた。義手の経過、気になってたし」
八宝斎がハルデンを見た。
ハルデンが八宝斎を見た。
何かに気づいたように、表情が変わった。
「……も、もしかして」
「リフィア・フォン・ヴォルグ」
八宝斎が、いつもと同じ穏やかな声で名乗った。
「ヴォルグ公爵家の六女で、世界最高の魔道具師と言われたヴォルグ卿の娘。今は引退して、こっちで暮らしてるけど」
ハルデンの顔が、みるみる蒼白になった。
書記が羊皮紙を取り落とした。
「……な、なぜこのような辺境に」
「ダーリンがここにいるから」
八宝斎がにこっと笑った。
「それで、この治療院の義手を作ったのも私。材料費と技術料は受け取っているから、問題はないよね」
「そ……それは、もちろん」
「トーコちゃんの器具も全部私が作ってる。魔道具師として、品質は保証する」
八宝斎が、ハルデンをまっすぐ見た。いつもの柔らかい目だが、その奥に揺るぎないものがある。
「邪道って言ってたみたいだけど、私はそう思わない。この治療院は、魔法では届かない命を拾ってる。それを邪道と呼ぶなら、私も邪道の側に立つ」
待合室が、静かになった。
ミリアが固まっていた。
ヴォルグ公爵家。世界最高の魔道具師の娘。いつも油で手を汚して、焼き菓子を喜んで食べていたあの人が。
「……八宝斎さんって」
「ミリアちゃん、後で話すね」
八宝斎がにこっと笑った。
◇
ハルデンたちが帰ったのは、それから間もなくのことだった。
「……検討します」
それだけ言い残して、二人は足早に出て行った。
待合室がどっと緩んだ。
「やったな」
鉱夫の男が笑った。
「先生、よかったですね」
患者たちが口々に言う。
トーコは小さく頷いた。
「ありがとうございました」
ライナルトが近づいてきた。
「無茶をするな」
「無茶はしていません。正論を言っただけです」
「正論を言い続けるのは、無茶というんだ」
トーコが少し、ライナルトを見た。
魔力視に映るのは、深い青の光。心配している色だ。
「……善処します」
「それでいい」
ライナルトが小さく頷いて、出て行った。
八宝斎がその背中を見送り、トーコの隣に立った。
「あの人、先生のこと心配してるね」
「辺境伯として、この街の医師が面倒事に巻き込まれると困るんでしょう」
「そういう話じゃないと思うけど」
「どういう話ですか」
「うーん」
八宝斎が少し考えて、言った。
「後でお茶しながら話す。ミリアちゃんも来て」
「私もですか」
「うん。私の話もしないといけないし」
ミリアがまだ、少し呆然とした顔をしていた。
◇
夕方、三人で工房の作業台を囲んだ。
ミリアがお茶を両手で持ちながら、八宝斎を見た。
「……ヴォルグ公爵家、って」
「本当のことだよ」
「なんで、そんな方がここに」
「ダーリンがいるから、って言ったでしょ」
八宝斎がにこっとした。
「公爵家の娘とか、魔道具師の娘とか、そういうのは向こうの話。こっちでは普通に暮らしてる。普通に物を作って、普通に好きな人と生きてる」
「でも、今日みたいなとき……」
「使えるものは使う。トーコちゃんの役に立てるなら、なおさら」
八宝斎がトーコを見た。
「トーコちゃん、怒った? 勝手に来て」
「怒っていません。来てくれて、ありがとうございます」
「えへへ」
八宝斎が嬉しそうに笑った。
◇
工房から治療院に戻る道で、ミリアがぽつりと言った。
「先生って、すごい人と友達なんですね」
「八宝斎が凄腕なのは、最初から知っていました」
「公爵家の娘だとは知らなかったんですか」
「知りませんでした」
トーコが静かに言った。
「でも、知っていても同じでした」
「……なんでですか」
「八宝斎は、八宝斎です。肩書きは関係ない」
ミリアが少しの間、黙って歩いた。
「先生って、誰に対してもそうですよね。患者でも、閣下でも、八宝斎さんでも、同じ目で見てる」
「当たり前のことです」
「当たり前じゃないですよ」
ミリアが言った。
「私には、まだできないことです」
トーコは何も言わなかった。
肩の上でシルフィが「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
——やることは変わらない。ただ、それだけだ。
治療院の灯りが、夕暮れの中に見えてきた。
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