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06.



 夕暮れが石畳を染め始めた頃、治療院の戸が勢いよく開いた。


 冒険者風の男が三人、担架を抱えて飛び込んでくる。


「先生! 頼む、助けてくれ……!」


 担架の上に、若い男が横たわっていた。右腕が、肘から先でなくなっていた。断端から血が滲んでいる。顔が蒼白だ。意識が薄れかけている。


「診察台に」


 トーコは即座に動いた。


 魔力視を開く。出血点が見える。断端の血管が、いくつか開いたままだ。このまま時間が経てば、失血で命が危ない。


「ミリア、器具を。ガルド、止血帯」


「はい」


「わかった」


 二人が動く。シルフィが肩から飛び立ち、処置室に清潔な結界を張った。



    ◇



 処置は一刻ほどで終わった。


 断端を丁寧に整え、開いていた血管を一本ずつ縫合・結紮した。感染を防ぐ処置を施し、清潔な包帯を巻く。


 男の顔に、少しずつ血の気が戻った。


 翌朝、男が目を開けた。名をカイといった。二十代前半の、日焼けした冒険者だ。


 ゆっくりと意識が戻ってくる。天井を見て、自分の右腕を見て——そこで、止まった。


「腕が……」


 包帯に巻かれた、短くなった右腕。


 長い沈黙があった。


 待合室で一晩明かしていた仲間の二人が、診察室に入ってきた。カイの腕を見て、顔が歪む。


「なんで……なんで戻っていないんだ」


「名医だと聞いたのに」


 トーコは静かに向き合った。


「命は助かりました。出血を止め、断端を整えました」


「腕は? 腕はなぜ戻さなかった」


「失われた手足は、人の手では戻せません」


「あんたは医師だろう。治せないのか」


「治せません」


 断言だった。


 仲間の一人が声を荒げた。


「役立たずじゃないか。なんのための名医だ!」


「私は医師です」


 トーコは表情を変えなかった。


「神様ではありません。できないことはできない。それが医療です」


 仲間たちが舌打ちをして、出て行った。


 カイだけが、天井を見たまま、動かなかった。



    ◇



 天導協会は、王都にも支部を持つ大きな機関だ。


 神の奇跡を扱う聖女や治癒師が多く所属し、高額ではあるが確かな治癒を行うことで知られている。デッドエンド近郊にも、小さいが、金紋の聖女が一人いた。


 カイの仲間たちが駆け込んだのは、その支部だった。


 聖女・エリナは白い法衣を纏い、穏やかな笑みで彼らを迎えた。


「ご安心ください。神の力で、必ずお戻しします」


 報酬の話が終わり、エリナがカイの断端に両手を当てた。金紋が、鮮やかに輝く。


 そして。


 にょきりと、肉が動いた。


 断端から、腕が伸び始める。骨が形成され、筋肉が覆い、皮膚が閉じていく。


「おお……!」


「すごい……!」


 仲間たちが歓声を上げた。


「やっぱり聖女様だ。藪医者なんかとは違う」


「さすが神の奇跡だ」


 腕が、肘まで戻った。手首が現れ、指が生まれる。


 カイが、震える右手を見つめた。


 ——しかし、止まらなかった。



    ◇



 指が伸び続けていた。


 節が増え、第一関節が不自然に長くなる。爪が伸びる。止まらない。そればかりか、腕が肩から先まで伸び、今度は体毛が伸び始めた。髪が、まつ毛が、手の甲の毛が、どんどん伸びていく。


「な……なんだこれ」


「止まらない……! 止まってくれ……!」


 カイが悲鳴を上げた。


 エリナが青ざめた顔で魔力を注ぎ続けているが、暴走は止まらない。しばらくして、エリナがよろめいた。魔力切れだ。


 それでも、まだ伸び続けている。


 仲間たちが天導協会の扉を叩いた。


「なんとかしてくれ……! あんたたちがやったんだろう!」


 支部長が、冷静な顔で言った。


「私どもは治癒を行っただけです」


「だからこうなったんじゃないか」


「治癒以外の行為は行っておりません。これが我々のせいだという証拠は?」


「そんな……」


「責任は負いかねます」


 扉が閉まった。


 仲間たちが、路上に立ち尽くした。



    ◇



 治療院の戸を叩いたのは、日が暮れてからだった。


 さっきとは打って変わって、頭を下げている。


「さっきは……申し訳なかった。でも、頼めるのはもうここしかなくて」


 ミリアが小声でトーコの袖を引いた。


「さっき罵倒した人たちじゃないですか」


「診ます」


 トーコは扉を開けた。


「患者を選びません」



    ◇



 カイの右腕は、肩から先が異様に長く伸び、指が不自然な形で増殖していた。体毛もまだ伸び続けている。


 トーコは魔力視を開いた。


 ——なるほど。


 腕全体に、治癒魔法の光が暴走している。細胞を促進する命令が、制御を失って出続けている。正常な組織との境界が、魔力の色でくっきりと見えた。


「原因がわかりました」


 トーコは説明した。


「治癒魔法が細胞の促進を命令し続けています。本来なら、腕が元通りになった時点で止まるはずが、制御を失っている。強すぎる魔力が、暴走しています」


 治癒魔法は、細胞増殖を促進させる魔法のこと。魔法が過剰にかかれば、当然細胞は増え続け、結果カイのような状態になってしまう。


「治せるか」


「暴走している部分を取り除きます」


 カイが、息を呑んだ。


「また……切るのか」


「ここから先は、もう正常な組織ではありません」


 トーコは魔力視で境界を確認しながら、正確な位置を指した。


「この境界から先を切断します。ここまでは正常な組織が残っています。魔力視があるから、正確な位置がわかります」


 カイが長い間、俯いていた。


 仲間の一人が、震える声で言った。


「……カイ」


「わかった」


 カイが顔を上げた。目が赤い。それでも、まっすぐトーコを見た。


「頼む」



    ◇



 処置は、丁寧に行った。


 魔力視で境界を確認しながら、暴走した組織との境目を正確に見極める。ここから先が異常、ここまでが正常。その線を守りながら、手を動かす。


「ミリア。わかりにくいでしょうが、境界の魔力の色が違います」


 トーコはミリアに説明しながら処置を進めた。


「治癒を過剰に受けて暴走した組織は、濁った金色に光っています」


 魔法に使われる、魔力には種類が存在する。火の魔法には火の魔力、と。治癒魔法は、光の属性に所属してる。その魔力は濁った金色をしてるのだ。


「正常な組織は落ち着いた色をしている。この差がわかるから、切る場所を間違えません」


「魔力視がなかったら……」


「もっと広く切除するか、あるいは暴走を止められないままになっていたでしょう」


 処置が終わった。


 暴走は止まった。体毛の伸びも、ゆっくりと収まっていった。


 カイが静かに目を閉じた。



    ◇



 翌朝、トーコは設計図を広げた。


 ミリアが横から覗き込む。


「何ですか、これ」


「義手の設計図です」


「ぎ……義手?」


「カイさんのために作ります。今日、頼みに行きます」


 トーコは設計図を丸め、外套を羽織った。


「ついてきますか」


「行きます!」



    ◇



 デッドエンドの路地を少し入ったところに、看板が出ていた。


 【魔道具工房・八宝斎】


 扉を開けると、色とりどりの部品と道具が所狭しと並んでいる。棚から棚へ、魔石と金属の部品が積み上げられ、天井からは試作品らしき何かがいくつもぶら下がっていた。


 奥から声がした。


「あ、トーコちゃんだ」


 緋色の髪をした女性が、作業台から顔を上げた。幼い見た目をしてるが、こないだお酒を飲んでいた。年齢不詳の美女である。

 丸い目で、ふわりとした雰囲気をしている。手が油で汚れていて、頬にも少し黒いものがついていた。


「八宝斎。頼みがある」


「うん? なに?」


 トーコが設計図を広げた。


 八宝斎が覗き込む。一秒、二秒。


 目が、ぱっと輝いた。


「……なにこれ」


「義手の設計図。魔道具の力で動かしたい。断端の形状に合わせた接続部と、着脱機構が必要で」


「接続部……こういう形状にするんだ。着脱を前提にしてる、へえ」


 八宝斎が設計図に顔を近づけた。


「指が独立して動く仕組みになってる。これ、魔力の細かい制御が要るけど……できる。うん、できる。ていうか」


 ぱっと顔を上げた。


「こんな発想、見たことない。これ、どこで考えたの」


「前世の知識です」


「……まあいいや。作る。絶対作る!」


「ありがとう。急いで欲しい」


「任せて。三日ちょうだい」


 ミリアが、工房を見回しながらぽつりと言った。


「……すごい人ですね」


「凄腕よ。この人が作ってくれるから、私の器具が使えている」


「えっ、メスとかも?」


「全部」


 ミリアが八宝斎を見た。八宝斎はもう設計図に夢中で、何かを呟きながら紙に書き込み始めていた。


「緋色の妖精って呼ばれてるの、なんとなくわかります」


「腕と見た目が、両方そろっているから」


 八宝斎がふと顔を上げた。


「トーコちゃん、今褒めてくれた?」


「褒めました」


「えへへ」


 八宝斎がまた設計図に戻った。


 シルフィが肩の上で、きゅ、と鳴いた。



    ◇



 三日後、義手が完成した。


 八宝斎が誇らしげに工房のカウンターに置く。


 軽量の金属と魔石で作られた義手は、人の腕に近い形をしていたが、それだけではなかった。断端の形状に合わせた接続部は、着脱が簡単にできる。指の関節には細かい魔道具の機構が入っていて、魔力をわずかに流すことで動かせる。


「使い方を説明するね」


 八宝斎がカイに向かって、丁寧に説明した。


「ここを合わせて、こうはめる。外すときはここを押す。指を動かすときは、ここに少し魔力を流す感じで。最初は慣れないけど、一週間もすれば自然にできるようになるよ」


 カイが、義手を手に取った。


 ゆっくりと断端に当てて、はめる。


 少し魔力を流す。


 指が、動いた。


「……動く」


 声が、掠れていた。


「細かい作業もできます」


 トーコが続けた。


「手入れの仕方はこの紙に書きました。自分でできます。壊れたら八宝斎のところへ。冒険者として、また動けます」


 カイが義手を見つめた。しばらく、動かなかった。


 それから、ゆっくりと指を握った。開いた。また握った。


「……ありがとう」


 低い声だった。



    ◇



 工房の前で、カイが深く頭を下げた。


「先生……この間は、本当に申し訳なかった。失礼な態度を取ってしまって……」


「気にしていません」


「気にしてくれ……」


 カイが顔を上げた。目が赤い。それでも、少し笑っていた。


「先生が一番、俺のことを考えてくれていた。腕を戻せないって言ったとき、俺、わかってたはずなんだ。でも認めたくなくて……八つ当たりした」


「人間ですから」


「先生は怒らないのか」


「怒っても腕は戻りません」


 カイが、また笑った。今度はもう少し、ちゃんと笑った。


「……もう一度、先生に診てもらいに来ていいか」


「どうぞ。患者はいつでも」



    ◇



 夜、治療院で後片付けをしながら、ミリアがぽつりと言った。


「先生、あのとき怒らなかったですよね。罵倒されたのに」


「怒っても腕は戻りません」


「さっきも同じこと言ってた」


「同じことですから」


 ミリアが少し考えて、また言った。


「……先生って、すごいですね」


「できることをやるだけです」


「できないことは、できないって言える人も、すごいと思います」


 トーコは手を止めた。


 ミリアが続けた。


「私だったら、できないって言えなくて、なんとかしようとして、たぶん失敗する。先生はちゃんと言える。それって、かっこいいと思います」


 トーコは少しの間、ミリアを見た。


「……ありがとうございます」


「えっ、先生がお礼言った。珍しい」


「珍しくはありません」


「いや珍しいですよ」


 ミリアが笑った。


 肩の上でシルフィが「きゅ」と鳴いた。魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。


 ——それで十分だ、とトーコは思った。


 次のカルテを手に取る。


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