27.
王都に戻る馬車の中で、シィナはずっと窓の外を見ていた。
景色は流れていく。しかし目には入っていなかった。
トーコの声が、頭の中で繰り返されていた。
——知識がなければ、力は凶器になります。
反論できなかった。悔しかった。自分は悪くないはずなのに、なぜあんなに言い返せなかったのか。
デッドエンドの患者たちの顔が浮かぶ。列を作って、静かに待っていた人たち。誰も、シィナの金紋に動じなかった。
ちくしょう、とシィナは思った。
◇
屋敷に戻ると、父エドガーが玄関で待っていた。
表情を見た瞬間、シィナは全部伝わっているとわかった。
「……書斎に来い」
エドガーが背を向けた。
書斎に入り、扉が閉まった。
「なぜ勝手に行った」
「……見てやろうと思って」
「見てやろう」
エドガーが、低く繰り返した。
「患者を悪化させて、後始末を置いて帰ってきたということか」
「でも私は治そうとしただけで」
「結果が全てだ」
エドガーが、シィナを見た。
「お前が作った問題を、あちらに片付けさせた。それがどういうことか、わかるか。ハルト家の娘が辺境で起こした問題を、ハルト家が追放した娘が片付けた。そういうことだ」
シィナが、唇を噛んだ。
「噂は広まる。明日には王都中が知る」
「……父様も、あの治療が正しいと思うんですか。魔法を使わない邪道な」
「邪道かどうかは関係ない」
エドガーが、疲れた声で言った。
「患者が治っているかどうかだ」
◇
翌朝、王宮から使いが来た。
国王陛下がお呼びだという。
エドガーとシィナは揃って王宮に向かった。馬車の中で、二人とも口を開かなかった。
謁見の間に通されると、国王が玉座に座っていた。
落ち着いた顔立ちの男だ。傍に、数人の大臣が控えている。
「ハルト家の当主と、令嬢か」
「はい、陛下。お召しにより参上いたしました」
「単刀直入に聞く。昨日、デッドエンドで何があった」
エドガーが、頭を下げた。
「誠に申し訳ございません。娘が勝手に出向き、患者に対して適切でない治癒を行い……後始末を現地の医師に任せる形になってしまいました」
「現地の医師に、か」
国王が、静かに言った。
「デッドエンドの治療院の先生に、ということだな」
「……はい」
「その先生の名前を、お前たちは知っているか」
エドガーが、少し間を置いた。
「……トーコと申します」
「トーコ」
国王が、その名前を繰り返した。
「ハルト家から追放された、長女だな」
エドガーが、頭をさらに下げた。
「……はい」
「知っているぞ、その者のことを」
謁見の間が、静まり返った。
「王妃の病を治したのは、その者だ」
エドガーが顔を上げた。
「……陛下」
「一年間、治癒師たちが手を尽くしても治らなかった王妃の病を、あの者が診断し、治した。鉛中毒という、これまで誰も知らなかった病名をつけ、根治させた。王妃は今、元気に庭を歩いている」
シィナが、息を呑んだ。
「ま、まさか……」
「お前たちが追放した娘が、王妃を救ったのだ」
謁見の間に、重い沈黙が落ちた。
エドガーの顔が、蒼白になっていた。
シィナが、ぼうっとした顔で国王を見ていた。
王妃を。あの落ちこぼれが。魔力ゼロの、無紋の、一族の恥が。
「そ、そんな……」
「驚くことではない」
国王が、静かに言った。
「驚くべきは、そういう者をお前たちが追い出したということだ」
エドガーが、何も言えなかった。
「ハルト家への苦情は、複数の貴族から上がっている。治癒の後遺症、説明のなさ、そして昨日の件。これ以上続くようであれば、王家との関わりについても見直さざるを得ない」
「……肝に銘じます」
「それだけではない」
国王が、エドガーを見た。
「あの者に、礼を言う機会を作れ。王妃が救われたことについて、正式に感謝を伝えたい。そのための機会を、ハルト家が作れ。それが、今できる最低限のことだ」
エドガーが、深く頭を下げた。
「……かしこまりました」
◇
王宮を出て、馬車に乗った。
シィナは、ずっと黙っていた。
王妃を救った。鉛中毒。誰も知らなかった病名。一年間治らなかったものを、治した。
昨日、自分は何をしていたのか。
列に割り込んで、金紋をひけらかして、患者を悪化させて逃げ帰った。
その患者を、トーコが治した。
「父様」
シィナが、小さな声で言った。
「なに」
「……私は、どうすればよかったんですか」
エドガーが、しばらく窓の外を見ていた。
「知識を持てばよかった」
静かな声だった。
「魔力だけあっても、知識がなければ使いこなせない。それを、私もお前に教えなかった。それは私の誤りだ」
シィナが、父を見た。
父が自分の誤りを認めたのを、初めて聞いた気がした。
「……でも悔しい」
「そうだろう」
「あんな辺境で、あんな小さな治療院で、なんであの人がそんなに」
「それがお前への答えだ」
エドガーが言った。
「場所は関係ない。患者を治せるかどうかだ。それだけだ」
シィナは、また黙った。
馬車が、王都の石畳を進んでいく。
窓の外に、王宮の尖塔が見えた。
——知識がなければ、力は凶器になります。
トーコの声が、また聞こえた気がした。
今度は、少しだけ、違う聞こえ方がした。




