19.
【☆★おしらせ★☆】
あとがきに、
とても大切なお知らせが書いてあります。
最後まで読んでくださると嬉しいです。
トーコが倒れたのは、夕方だった。
往診を終えて、帰ろうとした。いつも通りのことをしていたはずが、気がつくと石畳に手をついていた。
視界がぐらりと揺れた。
シルフィが「きゅ」と鳴いた。翡翠の光が、いつもより鋭く揺れている。
——心配させてしまった。
そう思ったところまでは、覚えている。
◇
目を覚ましたとき、見慣れない天井があった。
石造りの、高い天井だ。窓から外が見えた。デッドエンドの街並みが、夕暮れの中に広がっている。治療院より高い場所から見えている。
ここは。
「気がついたか」
声がした。
ライナルトだった。椅子を引いて、傍に座っている。
「……辺境伯の屋敷ですか」
「君が倒れたところから、一番近かったのだ。私が運んだ」
トーコは状況を確認した。きちんとした寝台に寝かされている。外套は畳んで椅子の上に置いてある。シルフィが枕元にいた。
「何日寝ていましたか」
「半日だ。今日の夕方に倒れた。今は夜だ」
「そうですか。すみません、ご迷惑を」
「迷惑ではない」
ライナルトが、トーコを見た。
「熱はない。脱水と過労だ。ガルドが診た」
「ガルドさんが」
「あいつが来て、そう言った。あと、しばらく安静にしろと言って帰った」
トーコは少し、息を吐いた。
「……起き上がれます」
「起き上がらなくていい」
ライナルトの声が、いつもより低かった。命令ではなく、そういう声だった。
「一つ、聞いていいか」
「どうぞ」
「なぜ、そこまでやる」
静かな問いだった。
トーコは天井を見た。
◇
「前世で、祖母がいました」
トーコが、静かに話し始めた。
「夫を早くに亡くして、体も丈夫ではなくて。私が物心ついた頃には、もうずっと具合が悪かった」
ライナルトは何も言わなかった。ただ、聞いていた。
「病院に行くたびに、原因がわからないと言われていました。あちこちを受診して、薬を変えて、それでも良くならなくて。祖母は少しずつ、生きることに疲れていきました」
トーコは目を閉じた。
「あの頃の祖母の顔を、今でも覚えています。笑うことが少なくなって、窓の外を見ていることが多くなった。私が見舞いに行くと、少しだけ顔が和らいで」
そのことを、ずっと覚えていた。
「私が医師になると言ったとき、祖母が泣きました。嬉しくて泣いているのに、そんなに泣かなくてもと思っていた。でも今は、わかります。あのとき祖母が何を感じていたか」
「……何を、感じていたと思う」
「生きる理由を、もらったと思っていたんだと思います。孫が医師になるのを見届けるまで、生きていようと」
トーコは少し間を置いた。
「医学部の五年生のとき、祖母が亡くなりました。あと少しで卒業でした。国家試験が終わって、医師免許を取ったら、祖母の病気を自分で調べようと思っていた。約束もしていました。治してみせるから、待っていてと」
窓の外で、風が吹いた。
「間に合いませんでした。私が医師になる前に、祖母は逝きました。最後まで、私の手は届かなかった」
ライナルトが、静かに言った。
「それで、誓ったのか」
「はい」
トーコは目を開けた。
「祖母を救えなかった分、多くの人を救おうと。それが、私がここにいる理由の、一つです」
部屋が静かだった。
シルフィが枕元で「きゅ」と鳴いた。魔力視に映るのは、温かい翠の光だ。
「……一つ、というのは」
「他にも理由はあります。目の前に患者がいれば、治したいと思う。それも本当のことです。でも、根っこにあるのは、祖母のことだと思います」
ライナルトが少しの間、黙っていた。
「祖母は、何という名前だった」
「ハルコ、といいます」
「ハルコ」
ライナルトが、その名前を一度繰り返した。
「あなたが治した人たちは、みんなあなたの祖母に繋がっているのかもしれないな」
トーコは少し、ライナルトを見た。
「……どういう意味ですか」
「祖母への誓いが、あなたをここまで動かしている。あなたが治した命は、その誓いの続きだということだ」
トーコは何も言えなかった。
そんなふうに考えたことは、なかった。
◇
「一つ、言っていいか」
ライナルトが続けた。
「どうぞ」
「あなたは間に合わなかった、と言った。祖母に。それを、ずっと抱えているんだろう」
「……そうかもしれません」
「間に合わなかったのは、あなたのせいではない」
「でも」
「あなたはまだ学生だった。どれだけ努力しても、その時点では何もできなかった。それは、あなたの力が足りなかったのではなく、ただ時間が足りなかっただけだ」
トーコは黙って聞いた。
「誓いを持って生きるのは、いい。しかし誓いが重すぎると、自分が壊れる」
「壊れません」
「今日、倒れた」
「それは」
「過労と脱水だと、ガルドが言った。あなたは毎日、寝る間も惜しんで動いている。それは誓いのためだろう」
トーコは答えなかった。
「祖母は、あなたにそこまでして欲しかっただろうか」
静かな問いだった。
トーコは、しばらく天井を見ていた。
ハルコ、という名前を、心の中で呼んだ。
あのときの祖母の顔が浮かんだ。見舞いに行くたびに、少しだけ顔が和らいだ、あの顔が。
祖母は、自分が医師になることを望んでいた。でも、自分が壊れることを望んでいただろうか。
「……わかりません」
トーコが答えた。
「でも、たぶん。望んでいなかったと、思います」
「そうだ」
ライナルトが静かに言った。
「誰かのために生きることは、尊い。しかし自分を壊してまで動くのは、誰かの誓いのためにもならない。あなたが倒れれば、治せる命が治せなくなる」
「……それは、わかっています」
「頭でわかっているのと、体がわかっているのは、別のことだ」
トーコは少し、息を吐いた。
「……そうですね」
「今夜は寝ろ」
「はい」
「明日も、ゆっくりしろ」
「……善処します」
「それでいい」
ライナルトが立ち上がり、窓の外を確認した。
「水を持ってこさせる。飲んで、寝ろ」
「ありがとうございます」
「礼はいい」
扉が開く前に、トーコが言った。
「ライナルト閣下」
「なんだ」
「祖母のことを、話せてよかった。誰かに話したのは、初めてでした」
ライナルトが、少し間を置いた。
「そうか」
「……はい」
「話してくれてよかった」
扉が静かに閉まった。
トーコは天井を見た。
シルフィが「きゅ」と鳴いた。魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。温かい色だ。
目の奥が、少し熱くなった。
泣かなかった。でも、泣いてもよかったかもしれない、とは思った。
窓の外で、デッドエンドの夜が静かに広がっていた。
◇
翌朝、ミリアが屋敷に駆け込んできた。
「先生……! 大丈夫ですか……!」
「大丈夫です」
「顔色が……!」
「ゆっくり休みました」
「本当ですか」
「本当です」
ミリアが、しばらくトーコを見てから、「……よかった」と言った。目が少し赤い。
「心配させましたね」
「すごく心配しました。治療院に戻ってきたら倒れてて、ガルドさんに連絡したら閣下が運んでたって聞いて」
「ご迷惑をかけました」
「迷惑じゃないですよ。でも先生、無理しすぎです」
「わかっています」
「わかってないから倒れるんですよ」
トーコは少し、考えた。
「……そうかもしれません」
ミリアが目を丸くした。
「先生が素直に認めた」
「たまには認めます」
「珍しい……!」
ミリアが笑った。
シルフィが、ミリアの頭の上に着地した。
「あ、シルフィ……! 先生のこと、ちゃんと見ててくれてたんですね」
「きゅ」
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
——見ていた、と言っている気がした。
「ありがとう」
トーコは小さく言った。
シルフィの光が、ほんの少し明るくなった。
デッドエンドの朝が、窓の外に広がっていた。
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