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18.




 顕微鏡が欲しい、とトーコが言い出したのは、ある朝の診察中だった。


 血液検査で菌の存在は推測できる。しかし種類まではわからない。種類がわかれば、薬の選択がもっと正確になる。そのためには、実際に菌を目で見る必要がある。


 ミリアが「けんびきょう、って何ですか」と聞いた。


「小さなものを拡大して見る道具です。肉眼では見えないものが見えます」


「そんなものが作れるんですか」


「八宝斎なら、あるいは」


 ミリアが「また工房に行くんですね」と言いながら、エプロンを外し始めた。


「ついていっていいですか」


「どうぞ」



    ◇



 工房の扉を開けると、今日も八宝斎は作業台に向かっていた。


 緋色の髪が、あちこちに飛び出している。手が油で汚れている。いつもの光景だ。


「あ、トーコちゃん。あとミリアちゃん」


「頼みがあって来ました」


「なになに」


 トーコが紙を取り出した。顕微鏡の構造を、前世の記憶を元に描いたものだ。


 八宝斎が覗き込んだ。


 一秒、二秒、三秒。


「……なるほどぉ」


 目が、ゆっくりと輝き始めた。


「レンズを二枚重ねて、光を通して拡大する。これ、魔石の屈折特性を使えばいけるんじゃないかな」


「作れますか」


「作れる。もち」


 あっさり言った。


「それと、これも」


 トーコが次の紙を出した。スライドグラスの図だ。薄い板状のガラスに、観察対象を薄く伸ばして乗せる。


「これも?」


「できますか」


「できる。薄くて均一なガラス板、うちの工房の得意分野だし」


 八宝斎が設計図をじっくり眺めた。


「でもなんで二枚一組なの」


「一枚でサンプルを挟みます。薄く伸ばして固定するために」


「あー、なるほど。つぶして固定するわけね」


「そうです」


「賢い」


 八宝斎がすらすらと何かを書き始めた。


「一週間くれる? レンズの精度を出すのに少し時間がかかるから」


「お願いします」


 八宝斎が顔を上げた。


「トーコちゃんって、本当に面白いものを持ってくるよね。普通の人が思いつかないやつ」


「前世の知識です」


「欲しいものを言ってくれれば、大抵作れるよ」


「なんでも作れるんですね」


「なんでも、はさすがに無理だよ~」


 八宝斎が笑った。


「でも、トーコちゃんが持ってくるやつは、作れるものが多い。設計図がしっかりしてるから」


 ミリアが棚を眺めながら言った。


「八宝斎さんって、本当になんでも作れそうですよね」


「さすがに限界はあるってば」


「でもメスも遠心分離機も顕微鏡も」


「うん、まあそれはそうだけど」


「スライドグラスも」


「うん」


「義手も」


「うん」


「輸血の管も」


「……うん」


 ミリアが「ほぼなんでも作れる」と言った。


「うふふ」


 八宝斎が笑った。否定しなかった。



    ◇



 話が一段落したとき、工房の奥から足音がした。


 トーコの記憶にある人物だった。タカト・サクダイラ。背が高く、物静かな雰囲気の男だ。


 ミリアに向かって、静かに頭を下げた。


「こんにちは」


「あ、こんにちは……!」


 ミリアが少し緊張した様子で返した。


「タカトさん、今日はここにいたんですね」


「八宝斎に、材料を届けに」


「そういえば、タカトさんって普段何をしているんですか」


 ミリアが素直に聞いた。


「世直し」


 と八宝斎。


「……よ、世直し」


 ミリアが少し固まった。


「どんな」


「色々と。今はあまり動いていないの。あ、でも今は……家の手伝いをしてくれてるの」


 八宝斎が補足した。


「タカトはね、強くてかっこよくってー。でも今は私の仕事を手伝ってくれてる。材料の調達とか、重いものを運ぶとか」


「じゃあ……お金は」


「私が養ってるの」


 間があった。


「え……それって」


 ミリアが口をつぐんだ。


「彼はねー、来るべき日に備えている」


「来るべき日……?」


「今は動く時ではない。その時が来れば、動くの!」


 ミリアが小声でトーコに囁いた。


「先生、これって……ヒモでは」


 タカトが、穏やかに微笑んでいる。聞こえてしまったのだろう。ミリアが赤くなった。


「す、すみません……!」



 八宝斎がタカトの腕を取った。


「ダーリンはね、来るべきときに動ける人なの。今はそのための時間。私はそれでいい」


「八宝斎さんは、いいんですか」


「全然。タカトがいてくれれば、それで十分」


 タカトが、八宝斎を見た。表情はほとんど動いていない。しかしその目が、確かに柔らかかった。


 トーコは二人を見ながら、魔力視を薄く開いた。


 タカトの魔力が、視界に映る。


 ——深い。


 普通の人間の魔力とは、色が違う。密度が違う。表には出していないが、その奥に、途方もない量の魔力が静かに沈んでいた。


 来るべき日。


 それがどんな日なのかは、わからない。来ないに越したことはない、とトーコは思った。


「ミリアさん」


「は、はい」


「タカトさんは、ヒモではありません」


「……どうしてわかるんですか」


「魔力視で、少し」


 ミリアが「また魔力視で何かわかったんですね」と言いながら、タカトを見た。


 タカトが、また静かに頭を下げた。



    ◇



 工房を出て、帰り道を歩きながら、ミリアがぽつりと言った。


「タカトさん、なんか……すごい人なんですか」


「そうだと思います」


「でも普通に、荷物を運んでいる」


「そうですね」


「不思議な人だな」


 スノウが、いつの間にかトーコの隣を歩いていた。朝からどこかに行っていたらしく、今戻ってきたところらしい。


「スノウ、どこ行ってたの」


「ぐ」


 短く答えた。


「ぐ、って……何?」


「さあ」


 ミリアが「またさあって言う」と言った。


 シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。


 魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。


 トーコは空を見上げた。


 来るべき日が来ないことを、少し祈った。


 デッドエンドの青空が、今日も広かった。



    ◇



 一週間後、工房から届け物が来た。


 箱を開けると、筒状の器具が入っていた。金属と魔石で丁寧に作られている。レンズ部分が、光を受けてきらりと光った。


「じゃーん」


 八宝斎の文字で、そう書いてあった。


「良い感じに仕上がったと思う。スライドグラスも入ってる。使い心地を教えてね」


 トーコは顕微鏡を光に透かした。


 ミリアが横から覗き込んだ。


「これが……けんびきょう」


「そうです」


「何が見えるんですか」


「菌が見えます。今は何も乗せていないので、何も見えませんが」


「菌を乗せたら見えるんですか」


「はい」


「目に見えないものが、見えるようになる……」


 ミリアが、しばらく顕微鏡を見ていた。


「先生って、本当に色々なものを見ているんですね」


「どういう意味ですか」


「魔力視で体の中が見えて、血液検査で数値が見えて、顕微鏡で菌が見えて。みんなには見えないものが、先生には見える」


 トーコは少し、顕微鏡を見た。


「見えることで、治せることが増えます」


「うらやましいです」


「見えすぎて困ることも、あります」


「……そうなんですか」


「見えたからといって、全部治せるわけでもない。見えるのに、間に合わないこともある」


 ミリアが黙った。


「でも」


 トーコが続けた。


「見えた方が、いい」


 ミリアが、小さく頷いた。


 シルフィが「きゅ」と鳴いた。


 スノウが戸口で「ぐ」と鳴いた。


 ガルドがお茶を持ってきた。


 治療院の午後が、静かに続いていた。

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― 新着の感想 ―
当人に実力が有ろうが無かろうが、女性の稼ぎで生活している時点でヒモですけど。 ヒモを否定したいのなら、昔働き過ぎて稼ぎが一杯残っているから、今はのんびり暮らしているとでも言えば良いだけでは?
来るべき日に備えて、とは?タカトは勇者?ラグナロクのようなことが起こるのだろうか。含みのある言に長編になりそうな予感‼益々楽しみが増えていく~♪
光学式を作るということは、その先に電子式も存在するということ。 電子が存在するということは磁気も存在するということ。 ということはこの先あれやこれも作ることになるのだろう。 なんとなくそのうちプロパ…
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