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17.



 フェンリルが、また来た。


 今度は子供を連れていた。


 朝、薬草に水をやっていたトーコが顔を上げると、治療院の前に二つの影が座っていた。大きい方が昨日の、後ろ脚を治した親だ。小さい方は、三日前に砦で処置した子だった。


 二匹とも、トーコを見ていた。


 唸っていない。


「……来たんですね」


「ぐるる」


 大きい方が、低く答えた。


 トーコは魔力視を開いた。


 親の後ろ脚の傷が、順調に回復している。子の前脚も、問題ない。様子を見に来た、ということだろうか。


「傷の具合を診ます。動かないでいてください」


 二匹とも、おとなしくしていた。



    ◇



 ミリアが出てきて、固まった。


「……昨日のフェンリルが、また来てる」


「経過確認です」


「なんで先生と普通に話してるの……」


「話していません。こちらが一方的に言っているだけです」


「それで通じてるじゃないですか」


 トーコは子の前脚を確認しながら言った。


「魔力視で感情がわかります。怒っていない。怖がっていない。それだけです」


「感情が……見えるんですか」


「魔力の色で、おおよそは。シルフィのときと同じです」


「……なんでもできちゃう」


 ミリアが呆然と言った。


「できないことの方が多いです」


 子が、トーコの手の甲に鼻をつけた。冷たかった。氷のような、しかし柔らかい感触だ。


 トーコは少し、その小さな頭を見た。


「……名前をつけてもいいですか」


「ぐるる」


 親の低い声。魔力視に映るのは、落ち着いた色だ。拒んでいない。


「あなたはセルシウス。この子はスノウ」


 二匹とも、動かなかった。


 スノウが「ぐ」と短く鳴いた。



    ◇



 それからスノウは、毎日来るようになった。


 朝、トーコが水をやっていると来る。診察が始まる頃には、治療院の外の日当たりのいい場所に寝ている。患者が来ると、少し離れた場所に移る。邪魔はしない。ただ、いる。


 ミリアが最初は「怖い」と言っていたが、三日目には「スノウおはよう」と声をかけるようになっていた。


「先生、スノウって懐いてますよね」


「そうみたいです」


「かわいいですよね、顔」


「ぐるる」


「わあ、返事した……!」


 ガルドが薬棚の整理をしながら「賑やかになったな」と言った。


「そうですね」


「魔物が治療院に住み着くとは思わなかったが」


「住み着いているわけでは」


「住み着いてるだろう、あれは」


 セラが来た日には、スノウをじっと見て、そっと手を伸ばした。スノウが鼻をつけた。


「冷たい……でも柔らかい」


「ぐ」


 ミラは「かわいい……」と言いながら、少し離れたところで見ていた。


 シルフィとスノウは最初からお互いに無関心で、それがかえって自然だった。



    ◇



 セルシウスは毎日来るわけではなかった。


 三日に一度くらい、スノウの様子を見に来る。治療院の前に座り、スノウを確認して、また去っていく。


 ある朝、セルシウスが来なかった。


 その代わり、昼前に騒ぎが起きた。


 鉱山の方から、男が二人走ってきた。


「先生、怪我人が……! でも動かせなくて……!」


「どこですか」


「鉱山の入り口から少し入ったところです。落石で足を打って、自力では歩けなくて」


「案内してください」


 道具を手に、走り出そうとしたとき。


 セルシウスが、路地の角から現れた。


 トーコを見た。


「ぐるる」


 それから、前を歩き始めた。


「……先生、案内してる」


 ミリアが呟いた。


 セルシウスが、鉱山への道を迷いなく進んでいく。トーコがついていくと、確かに怪我人のところへ出た。


「早い……! なんで場所を知ってたんですか」


「さあ」


 トーコは怪我人に駆け寄り、状態を確認した。足首の骨折だ。脱臼も混じっている。


「動かさないでください。今、固定します」


 処置をしながら、後ろでセルシウスが座っていた。


 処置が終わり、男を担架で運び出す。


「ありがとうございました……セルシウスが来なければ、もっと時間がかかっていた」


「ぐる」


 セルシウスが短く鳴いた。


 男が、恐る恐るセルシウスを見た。


「この魔物、怖くないんですか」


「怖くないということはありません。でも今は、敵意がありません」


 男が「……そうか」と言いながら、セルシウスに向かって頭を下げた。


「ありがとうな」


「ぐるる」


 セルシウスが、また去っていった。



    ◇



 それから、同じようなことが何度かあった。


 怪我人が出ると、セルシウスが先に気づいて治療院に知らせに来る。あるいは怪我人のいる場所まで案内する。


 街の人間が気づき始めた頃、ミリアが言った。


「先生、セルシウスって……救急車みたいじゃないですか」


「何ですか、それは」


「急病人や怪我人を、素早く運んで知らせる……前世でそういう仕組みがあったと、先生が言っていたような気がして」


「言いましたっけ」


「確かに言ってました。魔法じゃない、人の手で作る仕組みって」


 トーコは少し考えた。


「まあ……似ています」


「先生、嬉しそう」


「そんなことはありません」


「目が柔らかいです」


 トーコは答えなかった。


 ガルドが薬を調合しながら言った。


「おかげで、早く処置できるようになった。怪我が悪化する前に来る患者が増えた」


「そうですね」


「魔物が守り神になるとは……辺境も変わったもんだ」


 セラが「デッドエンドの守り神」と小声で言った。


「ちょうどいい名前ですね」


「そうですか」


「先生、自覚がないんですか」


「何の」


「セルシウスが先生を信頼してるのも、スノウが懐いてるのも、全部先生が治したからじゃないですか」


 トーコは少し、窓の外を見た。


 治療院の前の定位置で、スノウが丸まって寝ていた。白い毛並みが、午後の光に透けている。


「……患者を、治しただけです」


「その積み重ねです」


 ミラが言った。


「先生が積み重ねてきたもの全部が、今のデッドエンドです。治療院も、セルシウスも、私たちも」


 トーコは何も言わなかった。


 しばらくして、スノウが目を覚ました。トーコの方を見て、ゆっくり立ち上がり、戸口に近づいてくる。


「ぐ」


「何ですか」


「ぐるる」


 魔力視に映るのは、穏やかな白の光だ。満ち足りた色だ。


 ——ここにいる、と言っている気がした。


「そうですか」


 トーコは次のカルテを手に取った。

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― 新着の感想 ―
動物だけでなく魔物も同じで凄く正直なんだな。自分を認めてくれる、可愛がってくれる、好いてくれる相手に懐く、好意を向けてくれるのは種族とともに万国共通なんだね
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