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15.



 セラが来るようになって、ミラが来るようになって、それからひと月ほどで、治療院の朝が変わった。


 開院前に、白い法衣が三人、四人と集まるようになった。


 セラがミラに話し、ミラが同期に話し、同期がまた別の者に話した。天導協会の若い治癒師や聖女たちが、口々に言っていた。


「デッドエンドに、変わった医師がいる」


「魔力なしで、魔法より正確に診断する」


「治癒魔法で治らなかったものが治る」


「何より、理由を教えてくれる」


 最後の一点が、若い聖女たちには特に刺さったらしかった。


 治癒師の訓練では、魔力の扱い方を教わる。術式を覚える。しかし「なぜ」は教わらない。体の仕組みも、病気の原因も、傷がなぜ化膿するかも。ただ魔法をかければ治る、それだけだった。


 トーコのところへ来ると、全部教えてもらえた。


 なぜこの薬草が効くのか。なぜ傷を縫うのか。なぜ菌が感染を引き起こすのか。なぜ血液を調べると病気がわかるのか。


 理由がわかると、魔法の使い方も変わった。


 セラがそれを実感していた。


「魔力をどこに届ければいいか、わかるようになりました。先生に体の構造を教わってから、魔法の精度が上がって」


 ミラが頷いた。


「私もです。傷の深さがわかると、どのくらいの魔力が必要か、判断できるようになって」


 トーコは診察をしながら、二人の話を聞いていた。


「それは、あなたたちが考えたからです」


「先生に教わったから、です」


「材料を渡しただけです。考えたのはあなたたち」



    ◇



 月が変わる頃には、週に一度、まとめて話を聞く時間を設けるようになった。


 集まるのは六人から八人。若い治癒師と聖女が混在している。待合室の椅子を並べ、トーコが前に立って話す。


 血液検査の仕組み。人体の構造。感染症と菌の関係。栄養と体の回復の話。


 難しい言葉は使わなかった。図を描いた。実際に器具を見せた。セラとミラが補足説明をした。


 ミリアが後ろで「なんか、学校みたい」と小声で言った。


 ガルドが「うるさい」と言いながら、自分もしっかり聞いていた。



    ◇



 その話が、天導協会の上層部に届くのに、さほど時間はかからなかった。


 支部長のハルデンが、封書を持ってセラのもとへ来た。


「協会の者が、無免許の医師のもとで学んでいるのは、協会の品位に関わる。以後、その治療院への訪問は控えるように」


 セラが封書を受け取った。


「理由を、伺ってもいいですか」


「品位の問題と言いました」


「先生の医療は、邪道ですか」


 ハルデンが少し、眉を動かした。


「協会の認めた術式ではない」


「患者が治っています。理由を教わって、私たちの魔法の精度も上がっています。それでも、学んではいけませんか」


「規則の問題です」


 セラが封書を静かに置いた。


「……伝えます」


 ハルデンが出て行った後、セラはしばらく封書を見ていた。


 それからトーコのところへ行った。


「先生、こういう話が来ました」


 トーコが封書を読んだ。


「そうですか」


「どうしますか」


「セラさんたちが来にくくなるなら、やめましょう」


「やめません」


 セラが、まっすぐ言った。


「私が決めることです。協会の規則より、先生のところで学ぶことの方が、患者の役に立っています。それは私が一番わかっています」


 トーコは少し、セラを見た。


「処分を受けるかもしれません」


「受けます」


「……わかりました」



    ◇



 それから、嫌がらせが始まった。


 治療院の前に「無免許の邪道医師」と書いた立て看板が立った。


 朝、それを見たミリアが顔を真っ赤にして取りに行こうとした。


「置いておいてください」


「でも先生」


「読んだ人が判断します」


 その日の午前、患者は普段通り来た。


 立て看板を見て、鉱夫の男が「これ、誰が立てた」と言った。治療院に入ってから「先生のことを悪く書いてある看板は、俺が毎朝退かしてやる」と言った。


「置いておいてください」


「なんで」


「患者が判断することです」


 男がぶつぶつ言いながら帰っていった。翌朝、看板はまだあった。その横に、誰かが花を一束置いていた。



    ◇



 次に来たのは、別の役人だった。


「患者への危険行為の疑いがあるとして、業務の実態を調査させていただきます」


 トーコはカルテを全部出した。


「どうぞ」


 役人が、厚いカルテの束を前にして、少し黯んだ。


「……これは全員分ですか」


「はい。治療前の状態、処置の内容、術後の経過。全員分あります」


 役人が一枚一枚確認していく。


 ミラが横でこっそりセラに囁いた。


「先生って、なんでこんなに記録を取っているんですか」


「こういうときのためもあるけど、それだけじゃないと思う」


「じゃあ」


「患者さんのことを、ちゃんと覚えておきたいから、じゃないかな」


 セラが小声で答えた。


 調査は半日かかった。役人が帰り際に言った。


「……問題は、見当たりませんでした」


「そうですか」


「患者への説明が、これほど詳細な医師は、初めて見ました」


 それだけ言って、出て行った。



    ◇



 嫌がらせが続く中、ある日、天導協会の支部に重篤な患者が運ばれた。


 王都から来た商人の男で、腹部に激しい痛みを訴えている。支部の聖女が治癒魔法をかけたが、一向に改善しない。別の聖女を呼んでも同じだった。魔力をいくら注いでも、痛みが引かない。


 ハルデンが、しばらく唸っていた。


 それから、使いを出した。


 治療院に、封書が届いた。


 ミリアが持ってきて、差出人を見て「天導協会から、また嫌がらせですか」と眉を寄せた。


 トーコが開けた。


 読んで、ミリアに渡した。


「……診てほしいって書いてある」


「そうです」


「先生に嫌がらせしてきた、あの協会が」


「患者がいます。行きます」


「先生……」


「患者を選びません。それはずっとそうです」


 ミリアが封書を見た。


「協会は、謝りもしないんですか」


「今は患者が優先です」



    ◇



 協会の支部に行くと、ハルデンが待っていた。


 いつもの威圧的な様子はなかった。ただ、疲れた顔をしていた。


「来てくれたか」


「患者を診ます」


 商人の男を診察した。


 魔力視を開くと、すぐにわかった。胆嚢に石が詰まっている。詰まった石が炎症を起こしている。治癒魔法は炎症を一時的に抑えているが、石そのものは取り除けていない。だから何度魔法をかけても治らない。


「胆嚢の石です。魔法では取り除けません。処置が必要です」


「どんな処置だ」


「今日はまず、炎症を抑える薬を使います。痛みが落ち着いてから、石を取り除く処置をします。二段階になります」


 ハルデンが黙っていた。


「先生に、お任せします」


 処置が終わり、男の顔から苦悶の色が消えた。


 ハルデンが、廊下でトーコに言った。


「……礼を言う」


「患者が回復すれば、それでいいです」


「看板の件は、私の指示ではなかった。しかし止めなかった。それについては、謝る」


 トーコは少し、ハルデンを見た。


「わかりました」


「一つ、聞いていいか」


「どうぞ」


「なぜ、来てくれた。我々がしたことを知っていて」


「患者がいたからです。それだけです」


 ハルデンが、長い間黙っていた。


「……そうか」



    ◇



 翌週、勉強会の日。


 集まった若い聖女たちの中に、見慣れない顔が混じっていた。


 二十代後半の、落ち着いた雰囲気の女性だ。白い法衣の胸元に、金紋が輝いている。


「突然申し訳ありません。話を聞いて、ぜひ参加させてほしくて」


 セラが小声でトーコに言った。


「先生、あの方……協会の本部から来た方です。かなり位の高い聖女様で」


「どうぞ」


 トーコは椅子を一つ増やした。


「始めます」


 その日の勉強会は、いつも通りだった。


 血液検査の仕組みの話をした。体の中の菌の話をした。


 金紋の聖女が、最初は静かに聞いていた。途中から、手を挙げて質問した。


「血液を分離するのは、どこで思いついたんですか」


「前世の知識です」


「なぜ、記録をこれほど細かく取るんですか」


「後で見返したとき、何が起きたかわかるように」


「患者に説明するのは、なぜですか。治癒師は術をかけるだけでいい、という考え方もある」


「患者が自分の体のことを知っていれば、次に何かあったとき、早く来てくれます。知らないままでいると、気づいたときには手遅れになる」


 金紋の聖女が、メモを取っていた。


 勉強会が終わったあと、その聖女がトーコに言った。


「また来てもいいですか」


「どうぞ。患者はいつでも、学びたい方もいつでも」


 聖女が、少し笑った。


「患者と同列に扱われるとは思いませんでした」


「来てくれる人は、みんな同じです」



    ◇



 それからしばらくして、天導協会の本部から通達が出た。


 ガルドが街で聞いてきた話によると、協会の若手治癒師と聖女の教育方針を見直す、とのことだった。患者への説明を必須とする、人体の構造を基礎知識として教える。


「……先生のやってることが、標準になりつつある」


 ガルドがお茶を飲みながら言った。


「そういうわけでもないでしょう」


「いや、そういうわけだ。あの金紋の聖女が、本部に持ち帰ったんだろう」


 ミリアが「すごい……」と言った。


「先生、嬉しくないんですか」


「患者が正しく治療を受けられるなら、嬉しいです」


「先生が評価されたことが、ですよ」


 トーコは少し考えた。


「……それも、少し」


 ミリアが笑った。


 セラが「よかった」と小声で言った。


 ミラが「先生もちゃんと人間だ」と言って、セラに小突かれた。


 シルフィが「きゅ」と鳴いた。


 魔力視に映るのは、満ち足りた翠の光だ。


 トーコは次のカルテを手に取った。

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